・ モンテプルチャーノ ・ 歴史と文化と上等なワインと 

今日はオルチャの谷からだと東外れに位置し、エトルスク期
からの歴史をもち、ヴィーノ・ノービレD.O.C.Gでも有名な
モンテプルチャーノ・Montepulcianoをご案内です。

昨年夏の訪門では余り時間がとれず、少し中途半端でしたが、
今回ブログでご案内するためにガイドブック、サイトで調べ、
大変に古い歴史を持ち、文化的にも豊かな事を知りました。 
      
モンテプルチャーノの町の中心、グランデ広場・Piazza Grande 
の西を占めるパラッツオ・コムナーレ・市役所で、
夏季には上のテラスに上れます。 後ほど。

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ちょっと見に、フィレンツェのヴェッキオ宮に良く似ているでしょう?
15世紀に上に塔が造られた、ゴシック様式の正面。
       
広場が、緩やかに傾斜しているのがお分かりでしょうか?
向かって左手にドゥオーモがあり、
右手には・・、


広場の北側に2つの建物があり、右手前側の白い建物が
ノービリ・タルージ邸・Palazzo Nobili Tarugi.

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最初はノービリ家、ついでタルージ家の住居として、
16世紀初頭に建築家、アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオ
によって建設されたそう。

この建築家アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオは、
町の他の有名建築、そして他の地にも名を残していて、後ほど。

写真でご覧のように、私の行った7月の初旬。 お祭り準備があるようで、
はいはい、あっちに行って!と追い払われ、傍にも近づけず。
建物の表面は修復されていますが、一般公開なしと。      
       


こちらが16世紀末から17世紀にかけて建設のドゥオーモで、
未完の正面壁が逆にインパクトを。

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以前にあった古い教会を壊し、新しく建設されたそうで、鐘楼のみ古い時代のまま。
内部の装飾などは、古い教会のものや近くの教会からもと。


    
これが前の教会から移されたという、1401年作の美しい
「聖母被昇天」の祭壇画で画家はタッデオ・ディ・バルトロ。
     
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外の未完の粗い石組みに比べ、中部はクラシック。 薄暗い教会の中で、
黄金背景の祭壇画や、金泥塗りの聖女像がひっそりと輝きます。

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ドゥオーモ前広場左手角に、このレストランのテント。 小さな建物でアーチの下の
石像がなかなか良く、メニューを覗きに行きたくなりましたが、時間が早すぎ・・!
   
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で、隣の市役所のテラスに上りに。 市役所は一番最初にご覧頂いた建物ですが、
これは正面入り口左上にいた、ライオン君。
    
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建物の内部、中庭。 広場に向かっている面も修復され大変美しく、内部もスッキリ。

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入り口に、塔に登れます、という案内があったので入ったのですが、中には表示も無く、
その辺りにいた制服のお巡りさんに尋ねると、丁寧にエレベーターに乗せてくれ。

エレベーターを降りた所に、机を前にシニョリーナが居て、
これは安い!と思った上り料を払い、彼女の後脇の木の階段を。

で、こちらが市役所テラスからの眺め。
安い筈で、上の塔には上れず、テラスの前側だけ、行ったり来たり出来ます!!

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それでも眺めはやはり良いですねぇ!!

モンテプルチャーノの町は海抜605m、人口1万4千人ほど。
町は南北に細長く、くの字型に丘の上に広がり、この市役所のあるグランデ広場が
一番高い場所。 ここは北の眺めですが、歴史あるだけに瓦が古いでしょう?



右角の建物が広場の写真に見えたノービリ・タルージ邸の左奥に見えた物で、
カピターノ・デル・ポポロ宮・Capitano del Popolo.
現在は裁判所のようす。

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が1階の一部が展示室になっていて、ちょうど興味深い絵の個展が開催中でした。 
がこの絵描きさんとは知らずに下の駐車場で出会った時に料金について尋ねており、
会場でお互いに気が付いたのでしたが、

なんとイギリス人がウンブリアに住み着き、絵を描いているのです。
世界は広く、狭く・・!

隙間の通りが、ヴィア・リッチ・via Ricci。
      


上の写真でも見えた塔、鐘楼のようですが、さてどこの?
   
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ええ、モンテプルチャーノは、再訪の要あり! です。



テラスが狭いので撮りにくく、斜め写真で失礼を。
右の白い建物がタルージ邸で、前に由緒ありげな井戸。

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広場の敷石と、準備されたバールの席。



広場の南に見える小路。  ここを辿って広場に来ましたが、

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今回町の地図を調べながら、テアトロ・ポリツィアーノとか、ポリツィアーノの
生家等を見つけ、 ん?! なんとまぁ、
ルネッサンス期の有名な詩人、古典学者、メディチ家の家庭教師でもあった、
アンジェロ・ポリツィアーノの生地なのを知りました。

モンテプルチャーノの住人、物を、ポリツィアーニと呼びますが、
(モンテプルチャネージ の方が稀と)これは彼の名前に由来しているとか。


町を訪門前に一応読んでいくにも拘らず、頭には何も入っていない様で・・!
       
写真の右端に切れているのが、ドゥオーモの鐘楼、
そして小路の左に少し写っている建物、つまりグランデ広場の東側のこの建物は、
コントゥッチ邸・Contucciといい、

かの有名なヴィーノ・ノービレ・ディ・モンテプルチャーノ、
D.O.C.G の、ワインの有名醸造所の一つ。

モンテプルチャーノの小さなワイン醸造所訪問。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460854939.html       
       

最初に、この町をオルチャの谷の東はずれ、と書きましたが、
実際はヴァル・ドルチャ・Val d'Orciaと、ヴァル・ディ・キアーナ・Val di Chiana
との境に辺り、オルチャの谷の地図には含まれていない事もあります。

ヴァル・ディ・キアーナと言うと、北にアレッツォ・Arezzo,コルトーナ・Cortona, 
南に下りキウージ・Chiusi、そしてウンブリアにまで届きます。
       

これは遠くに麦刈りをしているのが見え、雲の動きが面白く。

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テラスから見たドゥオーモ。
この写真でも鐘楼が切れてますがぁ・・!

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ドゥオーモの石段にこの子。
この金髪はドイツの女の子かも。 細い脚に、大きなサンダル!

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テラスからの、塔の眺め。

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うむ、あの上まで上れるのかと思ったのに!そりゃ、安い筈だわ。
階段も、短かったよなぁ。と、何とかの高上がりは、ぼやきます。



これが下の事務所からテラスに上った階段ですが、狭い、狭い。
イタリア人も、かっては本当に小さかったのだ!

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戻りはエレベーターに乗らずに階段を。
建物内部が素晴らしかった! 天井の梁や明かりを、ご覧下さい。

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タルージ邸の横にある、グリーフィとライオンの井戸。
   
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真ん中にメディチ家の紋を支えたライオン(フィレンツェの印)がいて、
その両脇にグリーフィ・Grifi、鷲の頭とライオンの胴を持つ
伝説の怪獣(モンテプルチャーノの印)がいる素晴らしいもので、
この井戸も、タルージ邸を建設したサンガッロの作。

モンテプルチャーノはエトルスクからの歴史を持ち、記録にも8世紀には登場し、
すでに大変豊かで文化的な、自由都市であった事が記されているとの事。

シエナからも、フィレンツェからも狙われ、ペルージャや、オルヴィエートと
組んだり、専制君主の下での戦争の時代を経て、14世紀末にフィレンツェの下に。
そういった町の歴史を、良く現している井戸ですね。



中心のグランデ広場からリッチ通りを下ります。
ご多分にもれずこの古い町の通りも狭く、びっしりと車が並び、なお一層狭く・・。

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お祭りの準備を広場でしていましたが、通りの家々にも旗が。
何のお祭りだったのでしょうか?

映画「トスカーナの太陽の下」で、アメリカ女性がコルトーナに家を買い、
このモンテプルチャーノに旗振りのお祭り・ズバンディエラータを見に来るシーンが。
旗振り男性のタイツ姿に、大喜びしてましたっけ。

町のガイドによると、樽を転がす競争や(この坂の道で?!)ドゥオーモ前を舞台に、
劇があったり、また歌曲の国際的なガーラも行われる様子。



由緒正しげな建物の中庭に入り込んだ所、かの有名な教会サン・ビアージョが見え。

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隣の建物から、盛んに歌曲の練習をしている歌声が聞こえ、実はグランデ広場に
近い裏道でも聞こえ、ふ~む、でしたが、歌曲のコンクールが、
夏にこの町であると知った次第。
       
生の歌声は、CDやTVで聴く歌曲とはまた違う趣で柔らかく、なかなか良いのですが、
練習ですから時に同じ箇所を繰り返しで、聞く方としては、生殺しの感じも、はい。
昔アッシジで、まさに半殺しにされた思い出がありますです。


自分の辿った道を今回地図上で確かめ、町の半分ほどで引き返しているのを、
改めて確認し! クヤチイ! まぁ、再度挑戦いたしましょう。


これは、パラッツォ・ベニンカーザ・Benincasaという建物のようで、
奥に見えるのが、サン・フランチェスコ教会。
市役所のテラスから見えた鐘楼は、この修道院のらしいですが、確認できず。

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辿ってきたリッチ通りは細長い町の上側を通り、町の中程から低い側の
グラッチャーノ通り・via di Graccianoが町の北奥に。
そして町の北半分に、一見に値する建物群がいろいろある様ですが、残念ながら見ておらず。
       


高い方から見下ろす、町の家並み。

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旗の柄と同じ紋が入り口上にあり、地区のいわば集会所の感じ。
が、それにしても立派な建物。

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かなり凄い坂道でしょう?!

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こんな風に町の奥に続いているのを見て、こりゃ駄目だ、
と引き返したのですが、少し急いでいたので、残念!



町の南外れにメディチ家の要塞があり、近くで見つけた通りの名。
ジョルダーノ・ブルーノ通り・via Giordano Bruno.

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そして、なんとも素敵な古い壁!



駐車場の脇から見えたサン・ビアージョ教会・San Biagio。
この姿からテンピオ・神殿とも呼ばれますが、

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建築は15~16世紀に活躍した、広場のタルージ邸と同じ
アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオ・Antonio da Sangallo il Vecchio.

調べた彼の経歴は大変興味深いもので、
父親はコシモ・デ・メディチの建築家で、彼は兄と一緒に木彫の仕事からはじめ、
そして大砲の発達に伴う要塞の近代化の仕事に手をつけ、ローマのカステル・サンタンジェロ、
リボルノの旧要塞、アレッツォのメディチ家の要塞、ecc と次々。

フィレンツェのドゥオーモ建築の長もし、ローマのサンピエトロ教会建築の
ブラマンテの後任も。 こういった経歴ですが、このブラマンテ、ブルネレスキの特徴も残す、
サン・ビアージョ教会が彼の名を後世に伝えます。
       


少し小さくて見難いですが、町の地図をどうぞ。
ドゥオーモは、お分かりですね。 その前がグランデ広場、
左にコムーネ・市役所、北にタルージ邸。
 
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インフォメーションは、この地図ではリッチ通を辿っていくとあるのですが、
別の地図では広場のタルージ邸の位置にあります。
行かれる前にお調を。

町の北半分、グラッチャーノ通りの見所にピンク丸をつけましたので、
大体位置がお分かりと思いますので、ご探訪を。

町への行き方ですが、ローマ方面、またはフィレンツェから出かける場合、
国鉄のキウジ・キアンチャーノ・chiusi-chiancianoで降りられ、バスで45分程と。 

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・ モンテリッジョーニ ・ 市壁と、中世巡礼街道の町

今日は昨年7月にシエナから訪ねたモンテリッジョーニ・Monteriggioni
のご案内です。 丘の上に市壁に囲まれ、まるで王冠の様に見える小さな町、
ダンテの神曲、地獄編にも登場する中世の要塞の町で、そして、
ヴィア・フレンチージェナと呼ばれるローマへの古い巡礼道がここを通っていました。

モンテリッジョーニ遠望。 これはガイドブックからで、シエナ郊外の宿に行くのに
フィレンツェからの国道をモンテリッジョーニで出たとたん、写真よりもっと近くの
位置から、まさに王冠のような市壁に囲まれた町が丘の上に見えました。

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ガイドブックで一応読んだだけで、行く計画はありませんでしたが、
姿を見たとたんにその気になり、訪れました。期待は裏切られませんでした!



地図でご覧の様に、シエナの北西15kほどに位置し、バスも1時間に1本ほど、
コッレ・ディ・ヴァル・デルザから、サン・ジミニャーノ方面行きが連絡していて、
25分もあれば到着する様子。

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町の地図は、まぁ、行ってご覧になればお分かりでしょうが、必要ありません。
市壁に囲まれた、小さな小さな町です。

バスの時刻表は、先回のサン・クイリコ・ドルチャの最後にアドレスがあります。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461279240.html



上の写真に見える丘の中ほどの位置に広い駐車場があり、そこから坂道です。

ラヴェンダーの花盛りで、香りがたち、風景がもわんと紫がかって見える程!
左に見える階段の坂を登り、左に折れて上り、また右に折れ上り・・、
はい、海抜200mの町です。

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ラヴェンダーの花に、薄緑色の蝶がひらひらと。

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やっと、市壁が見えてきました。 壁の高さは20m、その上に塔が6,5mと
ありますが、土地の高さによりかなり変化があるものと、思われます。

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この塔が14ある塔のうちの1つで、15塔と書いてあるのもありますが、
実際に現在見えるものは11で、他は、壁の高さに削られているそう。

手前に見える木はオリーヴで、あちこちから蝉の声が聞こえましたが
姿は見つからず、蝉の抜け殻を1つだけ写真に。
手前に少し見える道を右に辿ると・・、



この門が町の2つある門のうちの1つ、シエナに続くフランカ・エ・ロメーア門・
Porta Franca e Romea. 町の東側の門になります。

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門の左上に石碑が見えますが、1213年にシエナのポデスタ・執政長官の
命により、この地に村と壁が築かれた事がラテン語で書かれているそう。

それ以前には、この地にロンゴバルド出身の貴族の農園があったようですが、
それを買い取り、フィレンツェに対する護り、駐屯地としての町の起こりです。
壁の厚みは2mで、跳ね橋はありませんが、イザという時には、上から鉄の門が
降りる仕掛けとか。

実際この市壁は以後300年間にわたり、シエナ共和国を対フィレンツェから
護ったのでした。 落ちたのは、裏切りからだったとか・・。

で、この門を入ると・・、



細長く広がるローマ広場・Piazza Roma。
今右端にちょっと見える井戸が広場の真ん中に当ります。

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この広場を古い時代からの主要な建物が取り囲んでいるわけですが、
この広場も戦後に石が敷き詰められる迄は、ずっと土のままだったそう。
イザという時の籠城戦に控え、野菜畑にもなるようにとの名残だそうで、
現在も壁の内側には庭と野菜畑が、建物を取り囲んでいます。



ローマ広場を囲む建物群の南側半分。 いかにも、歴史を経た建物の壁です。
壁の縁の下側が厚くなっているのをご覧下さいね。 時々見かける古い建設技術と
思いますが、壁を支えるのに下部分を厚くしてあるのですね。

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建物の左側の小路を入っていくと・・、



こんな小路のお土産物屋さん。写真に見えるようなスーヴェニールとか、
土地のワイン、オリーヴ油の店も。

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上で見て頂いた写真の、建物の右半分。 こちらもみやげ物兼土地の物品店。

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サイトで面白い数字を見つけましたので、ここに。
市壁内の現在の住民は42人、建物群は、住民の住居と、バールが2軒、
1軒の食料品店、レストランが2軒、土産物店1軒、薬草品店1軒、ホテル1軒、
土地の物産品店1軒。

以上で全部ですが、この数字以降町の様子も変わっている様で、
土産物店数、バールなどに訂正が必要かも。
 

       
広場にある教会、ゴシック・ロマネスク様式のサンタ・マリア・アッスンタ教会。

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創設は1219年とありますから、この要塞の村が出来てすぐ教会もできた事になり、
素朴で、石の色の混ざり具合が美しいですねぇ。



教会の祭壇部分。 十字架のキリスト像、黄金背景の祭壇画は15世紀の物。

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涼しげな陰を作るレストランの席。 食欲が弾みそうです。

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広場からだらだらと道を下ると、町のもうひとつの門、北西側に位置する
サン・ジョヴァンニ門・Porta San Givanni、フィレンツェに向かう門です。

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こちら側は、当時のシエナ共和国の敵国フィレンツェに向かっているわけで、
丘の斜面に接し、門の外側の右に少し見える様に跳ね橋が下りる仕掛けで、
もう一つ外に門がある仕掛けだったかも、と。

市壁の左上に少し見えるのが、城壁の内側を巡る道で、



この様に、上って見れます。

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シエナ側の門の脇にも上がれる部分があるのが、お昼を食べている間に閉じられ、
あれま!と思っていましたが、こちらは、無料で上れました!
が、いつも無料かどうかは、保障いたしませんです、はい。

ご覧のように、市壁の上はかって歩哨が、常時ぐるりと警護していたわけで、
こうして見ると、様子が想像できますね。

町の直径は172m、市壁の長さは570m、塔の高さは15mにも達したそう。

ダンテはこの市壁に大変強い印象を受けたようで、神曲の地獄編31章 巨人の穴
に、王冠を戴いたように、塔に囲まれたモンテリッジョーニ、と、詠っているそう。

町では、毎年7月に中世のお祭りが行われるようで、少額の席代が必要ですが、
町のサイトをどうぞ。 英語版もあります。
http://www.monteriggionimedievale.com/index.html



市壁の上から身を乗り出し、丘の下を。
う~ん、壁の厚みが広く、なかなか角度が上手く決められないのですが、
上に乗る程の勇気も無く・・。

大きな農家の向こうには、広々と平野が広がっていました。

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追記:所でこの家の持ち主が、意外な持ち主が、はい、ひょんな事から分かり、
   その様子をこちらに書きましたのでどうぞ。 


市壁の上から、広場に続く道を振り返り。 奥に見える塔が、シエナ側への門。
塔の裏側がどうなっているのか、分かりますね。

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こちらも市壁の上から町の裏通りを。 はい、厳密に言うと町の通りは2本のみ!

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ここでも、手前の高い建物の壁の下部分が、少しせり出しているのが見えますね。



サン・ジョヴァンニ門からちょっと外に。
こちら側はフィレンツェに向き、丘の下り斜面でもあり、まさに高い市壁です。

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市壁の周囲を歩いて回れる様ですが、まぁ、突撃作戦を練る必要はないので、ははは。



門の内側の小広場に、吸水塔と見られる円柱があり、その蛇口が可愛らしく。

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裏通りを歩きます。 この辺り町の歴史においても一番古い建物群のようで、
広場の写真でご覧戴いた建物群の裏になります。

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家並みが低いですね、歩いている観光客と比較を。
まさに中世のまま、時が止まり・・。



1階部分の窓の位置が少し高く、小さく、天井がやはり少し低いでしょうか。

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石の壁が何とも味があり、いい色です。 で、この建物の上部分が・・、

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これが上の写真の建物上部。

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ここには標識があり、マッテオッティの塔・Torre Matteottiと呼ばれる、
この町で最も古いと見られる建物だそう。 記録には無いものの、
窓の枠取りとか、入り口が同じ石だとかで識別できるそう。



モンテリッジョーニの町は、ダンテの詩と、「フランチージェナの道」を
町の看板としていますが、シエナ側の門の入り口にこの標識がありました。

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イギリスはカンタベリーからのローマへの巡礼道がある事は、知っていましたが、
この町で図らずも、しっかり出会い・・。

借金をすべて払い、
息子たちに別れを告げ、
女房にも言い含めたら、
さぁ、出かけよう!

こちらに来てすぐの頃、TVでこの巡礼道を辿る放送があったのですね。
その時のこの言葉が私の頭の中にしっかり定着し、折に触れ浮かび・・、
今回、こうして出会えて嬉しかったです。

この地図で見ると、モンテリッジョーニから、カンタベリーまで1722km、
そしてローマへは285kmで、計2007km。
ですが、もう一つの数字もあります。



中世において、ジェルサレム、スペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラ、
そしてローマが3大巡礼地であったわけですが、

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990年、カンタベリーの大司教シジェーリコがローマに参拝、その戻り道の様子を
休憩地も含め、毎日記録に残し、これが巡礼達にとっての当時の格好の
ガイドブックとなり、ヴィア・フレンチージェナ・Via Francigenaと呼ばれた様子。
本によっては、フランク街道と記しているのもあります。

彼の辿った道は、1600kの行程を79泊で、一日の行程は約20k。
カンタベリーからドーヴァー海峡を渡り、フランスを縦断、アルプス越えは
サン・ベルナルド峠で、イタリア内での宿泊は48泊。
この行程距離はかなり短めですが、体力に応じ、その時代の情勢に応じ、
変化したのでしょうね。

一日の行程が約20kというと短い気もしますが、
今の道路事情と違いますし、毎日悪路を歩くわけですね。
先回の、サン・クイリコ・ドルチャでご紹介した13世紀の病院跡、巡礼宿泊所も、
やはり20kmおきに設置されていたそうです。

オスペダーレ、スペダーレと2つあるのですが、スペダーレの方は宿泊施設のみで、
ここには3泊まで逗留でき、暖かい食事を提供された、という事も、
モンセーリチェのガイドさんが教えてくれました。

このフランチージェナの巡礼道は、1994年にヨーロッパの文化行程として
改めて認められ、有名なスペインの、サンチャゴ・デ・コンポステーラの巡礼道と
肩を並べるようになったという訳で、
英語版もありますから、サイト探訪をどうぞ!
http://www.viafrancigena.eu/

ローマの参拝を終えた巡礼たちはブリンディシ迄下り、この地はシルクロードの
終点地ですが、そこで船を待ち、ジェルサレムに向かった巡礼もいたと。
なんとまぁ、遥々の旅を続けた事でしょうか!

中世の徒歩巡礼に想いを馳せるとき、いかにも自分の存在が小さく感じられます。
せめて風に吹かれ、丘の向こうの地平線を眺めに、出かけましょうか?!


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・ サン・クイリコ・ドルチャ ・ 中世街道の分岐点

今日はオルチャの谷特集2回目ですが、
地図は先回のピエンツァの最後にありますので、どうぞ。

ローマからシエナに続くカッシア街道が通り、オルチャの谷の北の要所
サン・クイリコ・ドルチャ・San Quirico d'Orciaのご案内を。

エトルスクからの歴史を持ち、中世から街道要所として有名な町で、
サン・クイリコ・ドルチャは有名観光地ではありませんが、
歴史の重みを感じさせる鄙びた良さがあります。
やはり昨年7月初旬の写真で、どうぞ。


町の中心通りダンテ・アリギエーリにあるサンタ・マリア・アッスンタ教会。
やはりこの町も海抜が409mと、南から来るとかなりの急勾配で、
通りを中心に向かっていくとこの教会に出会います。

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11世紀に遡るロマネスク様式で、ご覧の様に、教会の後陣部に
鐘楼がある形で、
       
アッシジの南にあるスペッロの町で、12世紀ロマネスク様式の教会で
この鐘楼の形を見ました。
アーケード式鐘楼というそうですが、あちらは正面壁に続いてました。

写真の右端に小さく、白いスーツ、パナマ帽のシニョーレが写っているの、
分かりますか? 写真が黄ばんでいたら、いつの時代か?ですね。

スペッロの町のご案内は
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461551769.html       


これは上の写真で手前の張り出し壁に隠れていた、
側面入り口の動物のモチーフ。
内部にもあるというのですが、閉まっていて見れませんでした。

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サン・クイリコから南西に、直線距離で約20k、
8世紀からの古い歴史を持つ、サンタンティモ修道院・Sant'Antimo 
のモチーフにも似ていますが、
この大修道院はたいへん興味深かったので、またご紹介を。


この町をローマ~シエナを結ぶカッシア街道が通っていると
上記しましたが、もう一つ有名な中世の巡礼道が通っていました。

イギリスのカンタベリーからローマを繋ぐ巡礼道ヴィア・フランチージェナが
重なるのですが、
これについては次回ご案内予定のモンテリッジョーネ・Monteriggioneで
少し詳しく書きますが、

シエナのサンタ・マリーア・デッラ・スカーラ病院が設置した
病院兼、巡礼者の宿泊所が街道筋に沿って点在していた様子で、


上の写真の教会の斜め前に、13世紀の病院の建物が残っていて、
道側のアーチから中庭を見た様子。

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現在私有になっている様子なので、余り入り込みませんでしたが、
中庭には16世紀の年号のある井戸があります。

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建物の2階部分は、アーチのある壁に広い大部屋の様子で、
いかにも中世の病院跡、巡礼者収容の雰囲気がありました。

建物にあった説明にグランチャ・grancia という言葉があり、
これは修道院付属の荘園を表すそうですから、教会が土地を持ち、
その作物で、またその収益で、巡礼たちへ食物を施し、
施設を維持していたのでしょう。
       
        

道から建物の下をくぐり中庭に入る所にあった、
編んだ座の部分がほつれた椅子。
後ろの厚いはげかけの壁とで、なんとなしに座る人を想像し・・。

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ご案内順が逆ですが、先の教会よりももっと坂道の下、
いわば町のとっつきの道角に、この立派な洗い場があります。
  
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サイトをあれこれ知らべましたが、詳しい説明を見つけられずですが、
中を覗くと水槽があるので、かっての洗い場だったろうと想像しますが、
この立派な形から見て何か由緒がありそうですね。
       


教会、元病院前のダンテ・アリギエーレ通りを中心に向かいますが、
この辺り、如何にものんびりの田舎町の印象を受けました。
奥に見える鐘楼は、サン フランチェスコ教会のもの。

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中心のリベルタ広場・piazza Liberta`とサン・ フランチェスコ教会。
ゴシック様式の正面壁が見えますが、何度もの改修により、
オリジナルは殆ど無いとの事。

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教会名も、本当はマドンナ・ディ・ヴィタレータ教会といい、
こことピエンツァの間にある小さな素敵な礼拝所の聖母像が、
安置されているとの事。
       

ヴィタレータの礼拝所を探して、行きつ戻りつした事を思い出し。
       
まさにブログに書くお陰でより良く知る事ができ、
再度行けたなら、ゆっくり狙って見れるというもの。 お蔭様です!



これは、フランチェスコ教会の正面階段から、リベルタ広場と、
町の門であるポルタ・ヌオーヴァを眺めたもの。

10-035_GF.jpg


左にみえるアーチ、あの奥には・・


オルティ・レオニーニ・Horti Leonini と呼ばれる、16世紀の
イタリア式庭園があります。

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右側の市壁に囲まれ、手前はツゲの木を刈り込んだ幾何学式の柄、
大きなマルタ騎士団の十字架をかたどり、

真ん中に見える石像は17世紀のもの、メディチ家のコジモ3世だそうで、
この古い町も、シエナの下に、そしてメディチ家にと、
長い変遷を経ているのですね。

右の市壁の部分にかっては39の高さを誇る塔があり、
町を睥睨していたのが、第2次大戦の空襲でやられたそうで。

奥にはトキワガシの林が広がりますが、大変に奥深いようで、
最初にご覧頂いたサンタ・マリア・アッスンタ教会の裏手にまで続き、
教会の裏には、薔薇の庭園があるようす。



でリベルタ広場からポルタ・ヌオーヴァをくぐった所に、こんな物が!
歴史映画がお好きな方は、お分かりですね、
下に下がっている大鍋に、石とか、燃えている火等を入れ、
バネの反動を利用して敵に投げつける、カタプルタ・Catapulta!
       
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それにしても何も知らずに門をくぐり、パッと遭遇した時は、エエッ?!
勿論複製とは分かりますが、何でこんなものがここに?!
市壁の高さと見比べて、その大きさをご想像下さいね。

ちなみに、イタリア語の楽しく可愛い所は、
現代のミサイル発射台も、同じく、カタプルタ!! ははは。



サン・フランチェスコ教会の横道を辿り、小さなアーチをくぐり外に。

13-040_GF.jpg



上のアーチを、外側から。
次々と小さな建て増し積み重なりが続き、中世が色濃く残ります。

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サン・クイリコの町はかっては完全に市壁に囲まれていて、
ここもまさにその一部で、
町の北西部分と南の一部を除き、今も完全に残っていると。



すぐ先にこの塔があり、現在も市壁に14の塔が残るそうで、
これはカップッチーニの門・Porta del Cappuccini.

15-046_GF.jpg

ガイドブックなどで見る同じ門は、半円筒形ですが、
つまり塔の下に見えるアーチをくぐって出ると、半円筒形と
言う訳ですが、夏の暑い日の訪問はズクが出ずに・・(長野弁)
14ある塔のうち、これが一番完全な形だそう。


    
こちらは町の東を通るポリツィアーノ・Poliziano通り。
小路ですがなかなか趣があり、立ち並ぶ建物もご覧の様子。

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一際目を引く由緒正しげな、きちんと修復されたゴシックの建物、
カピターノ宮とあり、現在は4つ半星のホテルに。
  
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ローマへの巡礼道、カッシア街道の要所のこの町、
貧しい巡礼だけでなく、貴族のローマ詣でもあった訳で、
賑やか、そして猥雑でもあった事でしょう。

若桑みどりの「クワトロ・ラガッツィ」の中に、
天正の4少年使節がこのサン クイリコの町に到着し、
ローマからの教皇グレゴリオ13世の使者に会った、
と言う一節があり、それを思い出し少し感慨が。

ヴァティカン訪問 ・ 天正4少年使節のご縁により
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462596727.html       
       

上のホテルの向かい側の建物も同じホテルになっていて、
そのわき道が、やはり市壁の塔に続き。

18-051_GF.jpg

改めて見ると、町の石は黄土色のかなり明るめな色ですね。



少し賑やかな人通りが見えるダンテ通りを振り返り。
立ち並ぶ各建物の間口が狭いでしょう?
これは中世特有なもので、奥には結構長いのですね。

19-068_GF.jpg



ダンテ通りに出てきた道角に、このプレトーリオ宮・Pretorio。
ゴシック様式の素敵な壁面で、以前は市役所が使っていたのが、
今は、観光案内事務所の様子。

20-055_GF.jpg



道角の向こうに素晴らしい教会が見え、途端に元気でいそいそと。
コレッジャータ・デイ・サン クイリコ・エ・ジューリッタ・
Collegiata dei san Quirico e Giulittaと長い名。
ラ・コレッジャータと呼ばれるのは、格式としてはドゥオーモの下と。

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写真の右端に見えるピンクと白の建物が、キージ邸と呼ばれる
17世紀のこの町を治めた司教の館。
      
現在市役所はここにあり、ここも完全に修復され、
今春から中が見学できると。


      
キージ邸と隣の教会のちょうど中間に、この井戸が。

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ラ・コレッジャータ教会の側壁に入り口が2つ並びますが、
これは全景写真で見える奥の大きな方で、
ジョヴァンニ・ピサーノの作品と。

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これは上の入り口上部。
植物の飾りの他に、鳥や奇怪な動物も。

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ガイドブックによると、1450年ドイツの貴族ナッソー伯爵が
ローマ詣での戻りに、この町近くでマラリアで亡くなり、
内部にはそのお墓があるそうですが、民話に残る話では、
彼のワン君がお墓の足元にうずくまったまま、後を追ったとか。
      

この教会は、8世紀からの古い教会の跡に13世紀に建てられた、
ゴシック~ロマネスクの様式のものだそうですが、
あちこちに奇怪な動物やら、しかめっ面の小人がいたりで、
嬉しくてそわそわしますが、

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修復され美しくはなっているものの、傍で見ると
大変に侵食されていて残念です。
が、すでに700年の時を経ている訳で、仕方がありませんね。

とはいえ、1585年に天正の4少年たちも見たであろう教会の
見事さを自分も見れたわけで、嬉しく、やはり感慨深く。



こちらが、全景写真には写っていない正面入り口の上部。
両脇にライオンがうずくまり円柱を支える形で、

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この入り口上部は7層のアーチの重なりで、その下に尻尾は蛇の、
2匹のワニがいて、噛み付いているのか、それとも愛噛み?
上の聖クイリコが可愛らしい! 



私は町の通りを逆に辿って来ましたが、
皆さんはここでかっての巡礼になったおつもりで、
北の遥かイギリスのカンタベリーからフランスを縦断し、
アルプスを越え、この町にたどり着いたと、ご想像下さい。

シエナから南に下り、町の入り口を入ったとたん、
道の奥にこんな風に、この教会が見えるのですよ。
ひときわの感激だった事でしょうね。

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上の右の建物の壁に、町の名がこう書かれているのですね。
写そうと思いつつ取り紛れ、残念なのでガイドブックからご覧を。

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現在の町の北側には高架になった州道が通り、
たぶんかっての巡礼が仰いだ町とは雰囲気が違うと思います。

これは南からの眺めで、麦畑の向こう、小高い丘の上の町。
想像の一味を加えて、ご覧を。

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**◆**

先回お約束のバスの接続について調べました。
が結論から言いますと、

バス利用で、シエナからオルチャの谷に行くのはかなり不便です。
シエナ ~ サン クイリコ ~ ピエンツァ ~ モンテプルチャーノ 
の路線がありますが、
ピエンツァに日帰りで行くには、町で2時間程しか時間が取れません。

私のお勧めとしてはシエナを終えた後、サン・クイリコ、
またはピエンツァに宿を取り、動かれた方が良い気がします。 

モンテプルチャーノには、ローマから汽車でキゥージ迄行き、
こからバスで行かれた方が、楽のようですね。
そしてシエナに抜ける、という方法も考えられます。

シエナからの移動は、サン ジミニャーノ、モンテリッジョーニ、
ヴォルテッラなど、北西方面が便利なようです。

シエナからの各方面へのバス時刻表はこちらに。
http://www.tiemmespa.it/index.php/layout/set/print/Viaggia-con-noi/Orari-e-linee/Siena/Extraurbano

時にサイトのページが変更になり出ない時は、検索で
orari pullman extraurbano da siena でお確かめを。

調べるのは面倒ですが、素敵な風景がご覧になれますから、
挑戦して、ぜひ、お出かけ下さい!!

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・ ピエンツァ ・ ピオ2世の夢の町

トスカーナはシエナの南に位置し、ユネスコの世界遺産の町にも
指定されているピエンツァ・Pienza の町。 
同じく世界遺産のオルチャの谷・Val d'Orciaに位置し、
周辺一帯にはまさに素晴らしい珠玉の町・村が点在するので、
少し連続してご案内をと思い立ちました。
まずは、理想郷とも呼ばれるピエンツァの町からどうぞ!

1-694_GF.jpg

行ったのは、昨年の7月初旬。
東にあるモンティッキエッロ・Monticchielloという
ピエンツァ市に含まれる小さな町を基地にして4泊、
オルチャの谷一帯をあちこち訪ねました。
       
上の写真は、モンティッキエッロから町に南から近づいた位置で、
あちこちの町に行くのに必ずこの道を通るので、
何度も仰ぎ見たピエンツァの町。 ちなみに町の標高は491m!

鐘楼が見える位置にドゥオーモがあり、右横に少し隙間が見えますね。
あそこから町を取り囲む市壁の道に抜けられ、素晴らしい眺望が。 
後ほど!


初日はシエナから下り町の北側から入り、北側にある駐車場に止め、
即、町の壁内に入ってすぐのトラットリーアでお昼を。

お皿が届くのを待ちながら前の家を。
修復され綺麗過ぎる感はありますが、花鉢が見事。

2-625_GF.jpg



これもそのバール兼トラットリーアの椅子。
椅子の座の小穴が影に写っているのを写したのですが、
ははは、よほどお腹が空いていた様子!!

3-627_GF.jpg



町の地図も見つけましたが、必要ありません。
小さな町で、中心にドゥオーモやピッコローミニ邸があり、迷う事はありません。
大変に小路の美しい可愛い町ですから、その様子をどうぞ。

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あちこち覗きながら、見上げながら、ふらふらと、ゆっくり歩き、
また小路を戻りながら、写真を撮るのを楽しみながら、
少しずつ、町の中心に近づいていきます。

上の写真の突き当たり部分。
特別にどうという風景ではありませんが、何となし、居心地が良さそうな。
あのベンチに座ったら、おしゃべりが弾みそうです。
   
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この町の雰囲気が少し他と違うと思うのは、田舎町ではありますが、
空気が洒落ているというか、かといって、大きな町ではありません。
店が並ぶのは中心の通りのみで、小路に入ると、こうした古い壁の家並み。

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こんな3輪車を良く見かけます。 バタバタと音を立てのんびり走って行きますが、
こうして見ても、風景に納まっているでしょう?!

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戸口を囲む植物の奥のほう、白い花が見えるのはジャスミンで、
これもあちこちで見ますが、生垣にも良く使われます。



この写真を見ながら、ピエンツァには余りアーチが無かったなぁ、と。
町の東西の門と市壁を抜ける門、そしてもう2つほどでしたっけ。

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文字通り町の中心にピオ2世広場があり、周囲を主要な建物が取り囲み、
これは南側を占めるドゥオーモ。

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ピエンツァが他所と違う大きな理由に、町の生い立ち、由来があります。
学者肌の教皇ピオ2世(1405-1464)が、
以前はコルシニャーノと呼ばれていた自分の生まれた村を
理想の町に作り直すべく、取り組んだ成果なのですね。

今、町の真ん中を抜けるコルソ・ロッセリーノに名を残す
ベルナルド・ロッセリーニに設計建設を一任し、
わずか3年で、古い村の中心をルネッサンス様式に都市再建を
実行したという事になりましょうか。

1462年にドゥオーモと周辺の完成の後、教皇は自分の名を冠した
新しいピエンツァの町を楽しむ余裕もなく、町全体の再建をも
済ます事無く、1464年に十字軍派遣の中途で亡くなります。

教皇在位も1458年~1464年とわずか6年という、
まさにピオ2世の夢の町、見果てぬ夢の町。



普通は薔薇窓がある部分に教皇の紋章があり、
紋章のあちこちが黒く見えるのは、鳩君たちが休憩中で・・。
    
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ルネッサンス様式に町を再建と書きましたが、まだまだルネッサンスの
最盛期ではなく、建物群には少し素朴なイメージも感じます。



広場の隅にある井戸、ポッツォ・デイ・カーニ・犬たちの井戸。
ロッセリーニ設計の素晴らしい井戸ですが、なぜ、犬たちの井戸
といわれるのか、今回色々検索しましたが・・、収穫なし。
どなたか、ご存じないでしょうか?

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映画「イギリス人患者」に、確かこの広場の井戸が登場したと
覚えているのですが。

後に見える壁面が、広場の西側を占めるピッコローミニ邸。
ピオ2世の一族の建物の跡に建てられたそうで、
建物全体の写真は今回ありませんが、まぁ、サイトで全体をご覧に。

町全体の設計を一任されたロッセリーニは、
フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の正面壁や、
ルチェライ宮の設計でも有名なレオン・バッティスタ・アルベルティの
追随者であり、ピッコローミニ邸もルチェライ宮に良く似ています。
       
井戸の後、腰板の高さに鉄製の輪が2つ、馬つなぎですね。
かっての駐車場!
      
レオン・バッティスタ・アルベルティについては、
マントヴァの時に少しご紹介しましたので、こちらを。
       


広場北西角のテントの見える建物がアンマンナーティ邸と言うそうですが、
スッキリとしたルネッサンス様式に挟まれ、可愛らしく素朴。
右側に少し見える、一階部分ロッジャの建物がプッブリコ宮、現市役所。

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2つの建物の間の通りには・・、


アンマンナーティ宮の横側の張り出し窓。

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写真を撮っていると、横の観光客が何を撮っているのか、と振り返り、
彼もあわててパシャっと。。
教授料払わんかい! ははは。



広場東側のボルジャア宮。 ディオチェザーノ博物館になっていて、
今になって調べると、かなりの収蔵品ですが見ておりません。
(夏の暑い日には、もう動けなくなりましたぁ!)

15-674_GF.jpg

右がドゥオーモ、左がプッブリコ宮。
先月ご紹介のイタ猫の、見事に哀れな猫ちゃんは、このロッジャにね。
       


教皇の館、ピッコローミニ邸の扉。 
木目の浮きでた美しさもですが、このノッカー、素敵でしょう?
余り厳しくなく軽くもなく、優美。

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ピッコローミニ邸の中庭。 内部拝観は横着してパス。

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庭園はテラスに設けられたもので、この手のものとしては
ヨーロッパでも最古のものの一つとか。これも見てない・・!
中庭に置かれている玉は、弾ではなく、
たまたま展示中のどなたか作家の作品。

注:後に行った時庭園を拝見しました。 ホテルの庭園ですが、
  横の小路から入れます。
  が風景のみの目的だと、城壁沿いの道からの方がGooです。



上と同じ作家の作品で、これには思わず、あはは。
部屋の入り口に掛けられた暖簾式で、髭もじゃのムサイ顔の男が
司教の衣服で。 こういう由緒ある邸に相応しいアイディア!

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ドゥオーモの横(正面左)を通り抜け、アーチをくぐり、市壁に沿った道に。
ここから素晴らしい眺めが楽しめます!何せ、海抜491m!

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少し靄がかかり残念ですが、道はモンティッキエッロからの道で、
刈取りのすんだ麦畑が広がります。

20-643_GF.jpg

トスカーナの麦秋風景はこちらに。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460855556.html       


も少し遠くを。
ユネスコの世界遺産にピエンツァの町が1996年、オルチャの谷が2004年に指定され、
まさにその名に恥じない、雄大で、美しいオルチャの谷の風景。

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ドゥオーモ・鐘楼を振り返って。

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ピエンツァは、小路の名前が大変面白く、興味深いのでも有名です。
最初は知らずになんとなく見ていて、あれ?!と気がつき笑ってしまい、
その標識のみの栞を売っているのも見ましたっけ。

この写真でも、ご覧になれるかな?
奥が、ヴィーコロ・デッラ・フォルトゥーナ・幸運の小路、
手前が、ヴィア・デッルアモーレ・愛の道。

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ついでに書きますと、道のこちら側に引き続き
ヴィーコロ・デッラ・バーチョ・キスの小路と、いささか出来すぎの感じですが、
ただしフォルトゥーナには、幸運の他に、お金・財産の意味も
ありますから、そう考えるともひとつ意味が深いかも!

他にも、狐の道とか、穴の道、突き当たり(盲小路)とか
面白い名もありますので、行かれた時はお探しに、ね。


これ何か、ご存知ですか?
家の戸口の横にあるのですが、靴の泥落としです。

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今時の新しい家の前にはありませんが、日本家屋のように靴を脱いで
家に上がるのではないので、道路事情の悪い昔には必需品だったでしょう。

ヴェネツィア・メストレの息子のアパートは戦後の物ですが、
そこにもありましたっけ。



市壁沿いの道を突き当りまで行き、左の小さなアーチをくぐり戻ると、
町の中心通りのコルソ・ロッセリーノの東端に出ます。
道が分かれる角にレストランがあり、なかなか良い雰囲気。

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右に見えるアーチはチーリオ門・Ciglio、町の東の門。
ちなみにコルソの西の突き当たり門は、プラート門・Prato。



さすがにこの道は観光客も多く、お店もあちこちに。

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町の人口は現在2200人程で、最高だった1951年の半分以下。
グラフの載っている初年、1861年の3100人よりも低いわけで、
なんとなく気になりましたが・・。
ちなみにイタリアの国税調査は10年毎で、次回は2011年。



店は土地の物産品店が多く、勿論有名なワイン類、オリーブ油、
そしてチーズはペコリーノ(ヤギのチーズ)。
この一帯どこに行ってもペコリーノばかりでしたが、美味しかった!
自家製の蜂蜜をつけて食べたのが美味しく、その蜂蜜も買って戻りましたが、
同じ味の蜂蜜は家の近所では見つかりません!
       
この看板は狐のようですが、何の店だったっけ?

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中心にあるピオ2世広場の近くの、サン・フランチェスコ教会。
13世紀の古いもので、これは入り口の上。

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教会内部。
一廊式で、やはり13世紀の古い素朴な壁画が見られました。

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オルチャの谷の地図をどうぞ。
昨年の夏訪れ、今回引き続きご紹介しようと思っている町に線を。

30-49_GF.jpg

左上、シエナからの道がここに。

サン・クイリコ・ドルチャ・San Quirico d'Orciaを基準にしての
距離を書きますね。 所要時間は車でで、バスではありません。

・サン クイリコ・ドルチャ~シエナ 45k  約1時間半
・サン クイリコ・ドルチャ~ピエンツァ 10k  約15分
・サン クイリコ・ドルチャ~モンタルチーノ・Montalcino 14k 約25分
・サン クイリコ・ドルチャ~カスティリオーネ・ドルチャ・
   Castiglione d'Orcia    8,5k 約20分
・サン クイリコ・ドルチャ~ラディコーファニ・Radicofani  27k 約40分
・ピエンツァ~モンテプルチャーノ・Montepulciano 15k 約20分
・ピエンツァ~モンティッキエッロ・Monticchiello  10k 約13分
       
道の距離と、所要時間の関係がまちまちなのは、
土地の道を行くのか、主要県道を通れるかの違いです。

ピエンツァ、モンテプルチャーノには、シエナからのバスもありますが、
ローマ、またはフィレンツェから汽車でキュウジ・キアンチャーノ・
Chiusi-Chianciano迄行き、そこからのバスも便利なようです。


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