・ マニアーゴ ・ 刃物の町 

今日は先回のフレッチェ・トゥリコローリの演習の後訪れた、
マニアーゴ・Maniagoのご紹介ですが、

ここは、ローマ期からすでに鍛冶の仕事が始まった刃物の町として有名な所です。
マニアーゴの町は、フレッチャ・トゥリコローリの基地リボルトから、北西に約45kほど。

タリアメント河・Tagliamentoを渡り、北に向かいます。

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お天気の良さもあり、透明な水、実際はもう少し色が薄いエメラルド色と、
河原の白い砂が本当に綺麗でした。
北に向かうにつれ、あの奥に見える雪の山がどんどん近づき、
カメラを構えるのですが、道との角度が合わず残念!



地図をどうぞ。 ほぼ真ん中に見えるコドゥロイポ・Codroipoの右のピンクの丸、
ここがフレッチャ・トゥリコローリの基地リボルトで、左上にマニアーゴが見えます。

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蛇足ですが、コドゥロイポから東へウーディネ・Udineの南に見える、カンポフォルミド・
Campoformido、ここはナポレオンが、ヴェネツィア共和国の取り扱いでオーストリアと
協定を結んだ、ヴェネトの人間にとっては、恨みの場所! はは。
       
地図の左端に見えるサチーレ・Sacileの近く、ここで最後に夕暮れを見て、
おやつを頂きました。 今日のブログの最後でどうぞ。

サチーレ ・ Sacile ・ ヴェネツィア共和国の庭



町の中心に広い、広いイタリア広場があり、それを取り囲む店に早速刃物店を。
ショウウインドウの一つをどうぞ!

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こういうナイフ刃物類は、見ているだけであちこちがヒリヒリ痛くなる感じで、
刃物の町のご紹介ですが、この写真1枚でご容赦を。
「イタリア、マニアーゴ、ナイフ」で検索をかけますと、ずらずらっと出ますから、
興味がおありの方は、そちらからどうぞ!



広場の真ん中に泉があり、その少し高い上から南東方面を。
鐘楼は、建物の隙間を入っていくとあるドゥオーモので、後ほどご紹介を。

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こちらは、広場の北側の建物群。 サン・マルコのライオン君の壁画が見えますが、
アッティミス邸といい、17世紀のもので隣にロッジャ部分も見えます。

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が、現在は建物は外からのこの眺めだけで、ロッジャ下のアーチを入っていくと、



アーチをくぐるとこの眺め。 古いどっしりとした建物と、空間が広がります。

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一番奥に門が小さく見えますが、あの奥には、



奥に向かって公園が広がり、その手前に馬場があり、白いお馬ちゃんが。

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こちらが、その公園。 ずっと以前この町に来た時、ロッジャのも一つ向こうの
建物の中から見た覚えがあります。 なんとも広い空間で、素晴らしい眺め。

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町並みは、かなり整備され美しくなった感じですが、全体は一つも変わらず。



アーチの下の右側の建物の奥側、壁面がこの赤色なのですね。
そこにあったかっての井戸、水槽です。

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広場から参道を入って行った、ドゥオーモと呼ばれる町の主要な教会正面。

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15世紀のフリウリ・後期ゴシック様式だそうですが、正面壁には8世紀の
かっての石碑の残りも使われているのが、認められます。
薔薇窓が美しく、鐘楼は、ドゥオーモの右手に。



内部は一廊式で、内陣奥に17世紀の、鍵盤も管も木製のオルガンがあり、
これは15世紀の作品ですが、真ん中の木製の聖母子は14世紀と。

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現在こうしてみるマニアーゴの町は、フリウリ平野北西の、山の麓の小さな町ですが、
新石器時代からの住民がいたそうで、水があり、鉄があり、
ローマ期にはすでに、鍛冶の仕事が始まっていた様子。

ドゥオーモの参道から出てきた所から見る広場と、北の山並み。

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来る途中で見えた奥の雪山は、手前の山に隠れて見えませんが、
このマニアーゴの町の背後にはフリウリ・ドロミーティの県公園が広がり、
自然保護地帯が、あちこちにあります。



中心広場の少し東にある刃物博物館に。 正式には、鍛冶と刃物の博物館と。
 
大きなやつから、小さいもの、古いものから、新しいデザインのもの、
大変な量の刃物類がありましたが!! ・・省略。
興味深くみた古い写真類をご紹介しますね。

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これは博物館入り口にあった写真で、1920年の物だそうで、町の人々ですが、
一番右下の女性、この方は、老人ホームにご存命だそうです!

ガイドの説明によると、鉄の抽出の最初の段階は大きな水車を回し、
その力で打ち付けるので大変な騒音で、町では出来ないそうですが、それが終わると、
今度は小さな作業工程なので、家の中でも出来、小さな工場がたくさんあったそう。

ヴェネツィア共和国の元に15世紀に入り、武器製造でも栄えたようですが、
それが没落した後、近代になってゾリンゲンがこの町に一時工場を持ち、
それもこの町の名を有名にしたのだそうです。



なんとも迫力のある顔立ち、というか、強面で、首から提げた台に、
いっぱい刃物類が立ち並び、道で出会ったりしたら、逃げたくなりそうですが・・!
こうして、かっては刃物類を売っていたのでしょうね。
       
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コネリアーノの町は金曜、ヴィットリオ・ヴェネトは月曜、とちょっとした町には、
毎週市が立ちますが、必ず、刃物とぎの屋台もあるのですね。
台所の刃物だけでなく、農作業の道具類もで、まだまだ実生活に近い位置なのです。



ガイドさんの説明では、「有名な4本指」と言う事でしたが、分かります?!
法律で決まっている、との事ですが、「心臓に届かない、4本指の長さ」と!

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届かんかなぁ? 届くよねぇ! 背中に出ない長さ、ではないの?!



こんな様子で、かっての刃物店とか工場に、この箱が積み上げられていたのだそう。
弾薬箱で、頑丈で、刃物を入れてもこぼれ出る事なく、安全との事。

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刃物だけでなく、ノミとか金槌など金物類すべて、石工の道具類も勿論製造し、
石工自身もイタリアのみならず、ヨーロッパ全体に働きに行っていたのだそう。

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建物の石の装飾は、単なる人夫の仕事ではなく、一種の芸術的センスが
要求される仕事ですから、需要も大きく、賃金も高かったのだそう。
そういった、彼らの写真です。



という所で、博物館見学も終え、コネリアーノに向かいます。

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この枯れた川はチェッリーナ川と思いますが、地図で見ても、フリウリ平野の途中で
消えています。 これよりも東にある川も、こういった半ば枯れた流れで、

昔地図で見た道を行くのに、道と言うよりも広い広い川床を適当に渡る道で、
たぶん、雨が多い時などは通行禁止になるのでしょうが、
途中に立て札があり、「戦車に注意」!! な、なに?! 一瞬読み違いかと。
どうやら広い広い無人の川原で、戦車の演習をしているようで・・。



靄のかかった写真になり残念ですが、こういう雪山が、ちょいちょい顔を出します。

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バスの止まった所がこの風景で、サチーレ近く、と思われる場所です。
  
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お向かいに見える農家。 もう夕暮れに近い逆光で、よく見えませんが、
なんとなく、出雲あたりの屋敷林を思い出し。

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一行が入っていった大きな農家。 普段は使っていない家のようですが、
農機具は大きなのが納屋に揃っていて、かっては家畜小屋だったと思われる
大きな小屋もありました。

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空軍関係のピクニックの際、以前にも寄った、とご一緒したシニョーラの話で。



私は初めてで、なにやら良く分からないものの、しっかりと修復された家で、
磨かれた梁には、いっぱい色々と下げられ、
フレッチャ・トゥリコローリの機体模型も、木靴も、銅鍋も。

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大きな炉があり、火が盛大に燃えて暖かく、気持ちが良かったです。
       
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丸パンを半分に割り、その中にチーズとハム類をはさんだおやつが、次々と用意され、
肉を食べない私めは、キュウリのピクルスとオリーヴ、チーズをしっかりはさんで、
飲み物は、ワインがプラスティックのコップでたっぷりと回され、運転の心配も無く
飛び入り参加ながら、しっかり頂きましたぁ。



奥に続く台所の壁に、たくさんの鍋が掛けられ、後の板壁との対比が面白く。
壁が斜めなのは、階段の横壁のせいです。

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入ってすぐの部屋の壁にあったジェルラ・背負い籠。

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高さは1mほどで、上の口の直径は約50cm。 壁についている側に肩紐が2本
つけられていて、リュックのように背中に背負います。

このジェルラの素材は、細い枝か何かの様に見えますが、最近読んだ
マウロ・コローナの本では、ハシバミの木の細い薄い木片で、
底と上の口の縁にはカエデの木を使うのが、彼の住むエルトのジェルラだそう。
エルトに住む作家、木彫家のマウロ・コローナについては、また改めてご紹介を。

ロンガローネの悲劇 ・ ダムの出水に飲み込まれた町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462861529.html

新しいご案内は
ロンガローネ、 54年前のダム出水大災害のまとめを
http://www.italiashiho.site/archives/20170727-1.html



前庭に懐かしいポンプがありました。 まえに四角い水槽があり、
水が雫を作っては、ポチャン、ポチャンと。 となると、やはり雫を待ちますねぇ。
見えるかな?

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少し靄がかかりながらも夕暮れが近づき、ご一行はまだ中で食べ飲み、お喋りで、
こちらは何とか、夕暮れの写真をと。 もわっと、色は良いと思うのですが・・、

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この近辺、広い平野を良い事に、高圧電線の鉄塔が続き、電線もあちこち・・!



これは、まだ太陽が上に光っているのを入れないように、下の部分だけを。

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見た目にも確かに赤い夕日でしたが、撮ったのを見ましたら、驚くほど赤く・・!
       
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一日良い子で遊んだ、早春の夕暮れ。


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・ フレッチェ・トゥリコローリ ・ 「イタリアの3色の矢」飛行隊

今日はフレッチェ・トゥリコローリ・Frecce Tricolori・3色の矢 と呼ばれる、
イタリアのアクロバット飛行隊のご紹介を。

最初の写真は、以前ご紹介しました
6月2日のイタリア共和国記念日に、ローマの上空を飛ぶ様子ですが、
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463096706.html

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このアクロバット飛行隊、フレッチェ・トゥリコローリの基地が、フリウリ州のリヴォルト・
Rivoltoという所にあり、我がコネリアーノからも近いのですね。



で、フレッチェ・トゥリコローリのクラブがコネリアーノにあり、空軍の協会と共同で
基地訪問の遠足があり、それにもぐり込めるチャンスがあったので、
お尻について行って来た、という訳で~す。

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フリウリ平野の広い、広い青空をどうぞ!
ようやく春らしいお天気が続きだした3月13日です。

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実は、実際に演習が見れるとは思ってなかったのです。 停まっている飛行機を
傍で見れる位、に考えていたのですが、往きのバスの中で
演習が見れます、との説明で、わぁ~い、やったぜぇ!! と大ニコニコ。



この大きな方が宣伝担当とかで、演習の後、スライド付きでしっかり説明を。
帽子の刺繍がカッコいいでしょう?

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帰りのバスの中でピンを買いましたぁ。 7エウロのピンが、会員価格で4エウロ!
大型の観光バスが4台ほど集まっていて、それが今日の観客ですが、
一般公開のショウとは違い、滑走路脇の草原で、ゆっくりと見る事が出来ました。
       

演習が始まりました。 残念ながら、煙は3色では無かったですが、
何せすぐ目の前での演習ですから、迫力満点!

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私のレンズは200mmですが、殆ど写したままの大きさでご覧頂いてます。
本当に近いです。



あの大きな軍曹殿(というイメージがしません?!)の説明では、
演習は1日に4~5回するのだそう。
もちろん毎回10機全部ででは無く、その都度の練習により、機数が違うとの事。

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飛行機というのは、乗ってシベリアの上空を飛んだり、真っ暗な空の、
長~~~い飛行は疲れるだけですが、
飛んでいるのを見るのは、カッコいいですよね?そう思われません?
自分で操縦して飛べるなら、気持ち良いでしょうねぇ~!!



大空に煙を引きながら色々な形が描かれ、下から見上げながら、
皆が、おお! おお!と。
ヴェネト訛りで、「オー、ケ、ベーオォ!」と。

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昔、朝のNHKの「雲のじゅうたん」という番組で、主人公が「飛行機ィ~、ひこうきぃ」と
叫ぶ場面がありましたが、同じように叫びそう!



こういったすれ違いのシーンが、3回ほど!

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両方から迫るのを見ると、わっ、わっ、と思わず緊張し、すれ違った後は、はぁ ~!
あとで聞いた軍曹殿の説明では、機体と機体の横の空間は、1,5~2mとの事。
ただし、200mの高度差があるそうです。

煙の元は液体ヴァセリンで、まったく無害との事で、じきに消えて行きますが、
ボッ、ボッ、と吐き出す煙に、時に基地のあちこちが真っ白に煙るほど!



片方の組が円を描き、その中をくぐり抜けて行っていますが、写真を見ていて、
頭が下になっているのに気がつきました。
凄いなぁ! 鉄棒の逆上がりだって、難しかったのになぁ!

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ボッ、ボッ、と小さな円を描きながら上って行って、この後、急降下で。

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描く形それぞれに名称があるようで、これは、ボンバ・爆弾と。

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青空に大きな円が描かれました。
お天気も良く、風も冷たくなく、大変爽快な、演習風景でした。

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演習は30分ほども続いたでしょうか、やがて一機ずつご帰還です。
軍曹殿が、挨拶して、と言い、勿論言われずとも、わ~い!!と手を振り、
こうして見ると、機内からも手を振ってくれてましたね。

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フレッチェ・トゥリコローリのキャプテン、マッシモ・タンマーロ少佐がご挨拶に。 

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空軍の少佐殿がご挨拶、というよりも、
飛行チームのキャプテンが、ファンにサーヴィス、という感じで、一緒に写真を撮ったり、
サインしてくれたりで・・。

軍曹殿の説明によると、軍で唯一、隊員から、将来隊長になる人、と
選ばれる形式なのだそう。 何よりも隊員の信頼が必要なのでしょう。
シャツの襟に姓では無く、名前のマッシモが刺繍されているのにお気づきですか?
うん、それにしても、カッコ良いサングラス!!



イタリアは2007年以降、徴兵義務兵がいなくなり、現在はすべて職業軍人です。
バールの前にいたこの一人だけ、女性兵士を見かけました。

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この女の子は、別のグループで来ていた子。 青い眼の間がちょっと開いた
可愛い子でしたので、頼んで1枚撮らして貰い。

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この格納庫は、上空からの探知にも引っかからない特殊な物だそうで、
数年前までは民間人は入れなかったとか。

ここで、コネリアーノからのメンバーの記念撮影。
後ろに見えるのが、飛んだのとは違いますが、実物です。

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皆さん殆どが退役軍人か、その家族の様で、実際はもっと男性が多かったですね。

申し込みの際は、身分証明書の提示で番号を控えられました。
勿論、国の空軍基地内に入る訳ですから当然ですが、当日はまるでフリーパス。

で、この日の参加費は30エウロで、バス代、基地の食堂でお昼食べ放題、
戻りに、近くの刃物で有名なマニアーゴという町に寄り、刃物の博物館見学、
アグリトゥリズモでのおやつ付き。

基地の食堂はワインがないので、しっかり持ちこみ、食事が済んだ後に
改めてスプマンテで乾杯。

元空軍のグループの長の音頭で、
       
フレッチェ・トゥリコローリに、 ゲー、
空軍に、            ゲー、
ゲレ、ゲ、ゲー、        ゲー、ゲー、ゲー
と唱和したのでした!!  ええ、これも初体験でしたぁ!!



貰って来た2009年版のパンフレットから、パイロットの皆さん。

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真ん中が上でご紹介の隊長で、全部で12名。実際に飛ぶのは10機です。
飛行機の番号にポニーと書いてありますが、最初のアクロバット隊が出来た時、
騎馬隊からパイロットに移ったのだそうで、その名残と思われます。



飛行機の長さ、高さ、翼の長さ、など色々。

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現在の形の飛行隊が出来て、来年で50周年。

軍曹殿が説明するのに、
イタリアが、イタリア製の飛行機で、技術で、パイロットで、
我々の望む形の飛行隊が創れるようになった時、 アメリカが望むように・・、

と、付けくわえたので、思わずぷっと吹き出しました。 皆さんも、ははは、と。
国の軍とはいえ、こういうイタリア式センスが大好き!



毎年5月から10月までが、飛行シーズンで、全世界にも出かけ、
6か月間で40回の飛行をするそう。

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この写真は、毎夏ヴェネトの浜である飛行写真と思いますが、こういった海の場合、
滑走路代わりの目印に、消防の船が何隻か並んで役目を果たすのだそう。
ああ、なるほどなぁ、と思った事でした。

そして、隊長が何か指示をする時は、基地を基本に、その近くの町の名で言うのだそう。
コドゥロイポに寄り過ぎてるぞ、とか。

では、楽しかった思い出と、これからの皆さんのご健闘も祈り、
フレッチェ・トゥリコローリに、 ゲー、
空軍に、            ゲー、
ゲレ、ゲ、ゲー、        ゲー、ゲー、ゲー



演習風景おまけ

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写真をアップしながら、一つ文章を書き忘れていたのに気がつきました。
気に入っている写真なので、見てやってください!

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・ ベットーナ ・ エトルスク以来の歴史をもち

今日はウンブリアの小さな町、アッシジから向かい側の山の上に見える、
エトルスク以来の歴史を持つ古い町、ベットーナ・Bettonaのご案内を。
写真は昨年5月、アッシジから出かけた時の物です。

アッシジのサン・フランチェスコ聖堂前広場から、夕暮れの灯の点り始めた
お膝元のサンタ・マリア・デッリ・アンジェリの、聖堂の丸屋根が見えますが、

今日ご紹介のベットーナの町は、写真右端の山中腹に見える灯のかたまり、
あそこになります。

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アッシジから直線距離で10kの距離に位置し、海抜は355m.
ちなみにアッシジは、と調べましたら424mで、かなりのつづら折りの坂道!



これは坂道にかかる前の眺めだったと思いますが、町はほぼ南北に広がり、
写真右が北で、左側にもう少し広がっています。

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町は完全に壁に囲まれていて、壁の高さも地形を利用し見上げるような高さ。
この辺りの壁は、エトルスク期の基礎を利用した中世の壁だそうですが、
町の北側にはエトルスクの壁も残っていて、後ほどそれもご覧いただきますね。

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で、壁の外に車を止めこうした門から入りますが、階段の上り道なのです!
暑い日で、またもやヒィヒィ言いながら上り、こういう日の写真は、資料として
お見せするのに不足ばかりですぅ。(最初から言い訳!)



壁の中の町は、中世の雰囲気が強く残ります。 これは中心広場に繋がる道を
逆に見ていますが、町中の坂の様子、お分かりでしょうか。

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中心広場ピアッツァ・カヴールに向かいます。 道の奥に見える教会と鐘楼、
行った時、名前を確かめておらず、今回サイトや、ガイドブックを探し回り、
サンタ・マリーア・マッジョーレ教会と思います。 後ほど、正面を。

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上の写真を撮った通りの右側辺りにこんな石碑があり、
       
マラテスタ4世・バリオーニがこの家で1531年12月23日に死んだ、という石碑で、、
  
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今回ブログを書くのに調べ、この建物がベットーナの町を15~17世紀にかけて
治めたバリオーニ家の物だったと知りました。
が、町も複雑な政治の舞台に操られ、教皇領になったり、バリオーニ家になったり、
アッシジの下に入ったり・・、のようで、
バリオーニは、町の人からは好かれていなかったらしい事も知りましたが、

このマラテスタ4世はヴェネツィア共和国でも働いていた、多分傭兵隊長ですね、
で、おかしな言い方ながら、世の中は狭いですねぇ~!



中心のカヴール広場にあるポデスタ宮。 ここは現在、市の絵画館になっていて、
町で一番素敵な14世紀の建物!
1階部分はバールになっていますが、横の階段を上がり、小さな絵画館に。
       
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表に見える大きなポスターはぺルジーノの女性像で、ペルージャのご案内で
書いた、開催中だった「ピントリッキオ展」にちなみ、ウンブリア出身の
2人の画家キャンペーン中なのでした。

この絵画館にもぺルジーノの作品がありましたが、一体に、ウンブリアの美術館、
博物館の取り組み方が、とても積極的な印象を持ちました。
ブックショップもこんな小さな絵画館なのに、大変品ぞろえが良かったですしね。

ペルージャのご案内は



絵画館の入り口横の壁。 写真でもお分かりの様にフレスコ画があったり、
石碑類の展示があったりで、古い石壁に一層の趣を。

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確かぺルジーノの作品だったと。 

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ガイドブックで、彼の「パドヴァのサンタントニオ」があるというのが・・!



女性像は、単に綺麗とか優しそうなのよりも、少しエキセントリックなのに
惹かれますが、これは少しカルロ・クリベッリに似ている、と思って。

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クリベッリの作品は、ミラノのブレラ絵画館に祭壇画が多くありますが、
ヴェネツィア生まれで人妻と問題を起こし、マルケ州のアスコリ・ピチェーノ
辺りに追放された様で、あの一帯に彼の作品が散らばっており、
聖堂に残っているのは素晴らしい作品!

アスコリ・ピチェーノの夏祭り  1 と 2
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461029151.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461029323.html
       


サンタ・マリーア・マッジョーレ教会の広場に向いている壁面は修復され、
変哲もありませんが、こちらの正面は、古いままの良い感じ。

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キリスト教の始まりに、基礎が置かれた様ですが、その後13世紀に拡張
されたそうですが、閉まっていて中は見ておりません。



絵画館の階段の上からの眺め。 この建物も古いですね、確か現市役所と。

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広場右奥に大きな教会の鐘楼が見えますが、広場一帯が工事中で、
赤いプラスチックで覆われているので、写したくもなく・・。
ガイドブックによると、新しく考古学博物館にする為の建物を修復中との事で、
案外その工事だったのかも。



中心広場の真ん中に、この古い大きな泉が。

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暑いのと、工事中でごった返しでいささか疲れ、余り写真を撮っておらず。
今こうして見ると、泉の上の部分が、確か四角な、背の高いものだった、様な・・。


◆ 追記 2018.10.28 ◆
何とも不明瞭なので、グーグルで調べましたら、なんと、立派な大きな泉で、へへ。

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サン・クリスポルト教会。 聖クリスポルト・San Crispoltoというのは、
ウンブリアの最初の司教で、殉教した、この町の守護聖人との事。

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大きな教会でしたが、13世紀にべネデッティーノ派によって建てられた部分は、
今鐘楼のみが残っているそうで、
左奥の、この黄色い古い壁の部分が大変良い雰囲気で、正面壁は立派すぎ・・、
という事で、この1枚のみ!



中心広場の横の少路を行った所の、レストラン兼ホテルの建物。
      
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修復された建物の、2階への階段アーチが面白いと思ったのですが、
レストランは閉じていて、味見出来ませんでしたぁ。



小さい市壁の中の町ですから、少し歩くと、すぐ突きあたりになります。

多分ここは、サン・クリスポロ教会の裏手になると思うのですが、小さい半分になった
回廊があり、その横にこのアーチが続き、乳母車を押したお父さんと、女の子が。
町の通りの写真で、唯一、人の写った写真!

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上の写真のアーチを抜けた所が、この公園。
周囲の建物の様子からみて、かっては、教会内の庭だったのではないかと。

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この公園は、今回の記事2枚目の、下から見上げた写真でも位置が分ります。
   


涼しげな、高い公園から見下ろして。
東を見ているのですが、靄がかかってアッシジの位置が分りません。

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町の位置の高さがお分かりでしょうか。 古代の人間、エトルスク人は防御の為、
丘の高所に町を作りましたから、こういう眺めになります。
鮮やかな緑をどうぞ!

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紀元前4世紀から3世紀にかけてのエトルスク期の壁。町の北側部分の壁、
約40mほどがそのまま残っていて、特徴ある大きな石組が見てとれます。
他にお墓が1つ、発見されているそう。

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エトルスク期に既に主要な町だったと言いますが、ローマ期には、トーディから
ペルージャに抜ける北への重要な道、アメリア街道が西を通る有名な町だったと。



こんな町、というより村に行って通りを歩いても、本当に人通りがないのですね。
と言って、ちょっと大きな町の寂れた裏通りよりも、ずっときちんと整備され、
薄気味悪い感じはまるでありません。

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横っちょを覗き、写真を撮らして貰いながら、ゆっくりと歩きます。


 
こういう風にアーチが続き、陽が射し込む、中世特有の町の感じが好きです。
時間が止まっている感じで、心がゆったりします。

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ウンブリアの町特有の様でいて、少路の幅、坂道の傾斜、両脇の建物の高さ、
石の色・・、 それらが皆、その町独特の雰囲気を作ります。



この家の角は、中心広場から西に下った所。 何とも言えない、洒落た一廓で、
一口に中世とは言えない雰囲気だったのですが、上手く撮れなかった様な・・。
手前に両側の家の壁があり、これがもういっぱいでした。

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ベットーナの町は、イタリアの一番美しい村々、に選ばれていますが、
確かに、と思える部分があります。
美しいから選ばれるのでしょうが、と同時に、選ばれた事が住んでいる人々に
自信を与える、そんな事も感じます。

スポレートの奥のバッロ・ディ・ネーラの村にも行きましたが、住んでいる人の表情が
明るいというか、旅人に対してゆったりと接してくれ、訪問者には嬉しい事です。
       
「イタリアの一番美しい村々」のサイトはこちらに。英語版もあり、ホームページの
イタリアの地図の州にポイントを合わせると、選ばれている村の名が出ますので、
それで、あちこちご訪問を! http://www.borghitalia.it/

バッロ・ディ・ネーラのご案内は、
       


裏通りに、なんとも居心地のよさそうな場所を見つけました。
日陰に椅子が並べられ、既にお喋りの舞台が用意!

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壁の傍で会ったシニョーラにアッシジの位置を確かめ、もう一度、公園まで戻り、
おお、今度は靄が少し晴れ、見渡せました!
丘の上に広がる町並み、サン・フランチェスコ聖堂の威容、山の上の要塞。
やはり美しく、凄い町ですね。

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アッシジ全体のご案内は、こちらからどうぞ。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460871638.html


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・ チゾンの村に、春をさがしに 

今日は我が町コネリアーノから北西に車で20分ほど、チゾン・Cison di Valmarino
の村に先日出かけて来た様子をご案内です。 

つい最近写真グループに加えて貰い、この日が最初のお出かけで、あいにくの曇り空
でしたが、久し振りにせっせと写真を撮りまくり、楽しんで来ました。

雪割り草、ブーカネーヴェ。 名前は知っていても、初めて見た気がします。
スズランをも少し清楚にした感じ、とでも。 空き地、一面に咲いていたのですよ。

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小川が流れ、その向こうの柵の中にお馬さんたちが何頭か。
       
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この村は、チソンの手前のレーゼラという村近辺で、一度、春、桜の季節をご紹介。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461744769.html
      

この辺りは、ヴィットリオ・ヴェネトから西に続く道、「白ワインの道」にも合流する、
湖あり、中世の修道院あり、段々畑の葡萄畑あり、の素敵な道筋で、
脇にそれて小さな古い村に入り込んで行くと、どこもが絵になる、写真が撮れる、という場所。

枯れ色の風景、そして蒼 ・ 冬の湖
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461343626.html

レーヴィネ・ラーゴの聖所      
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462784153.html
      
フォッリーナ ・ 中世の修道院と町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461744969.html 



山腹にちいさな納屋が見え、道具類収めと。 その下に葡萄畑が広がりますが、
山は、木々は、まだまだ冬の色。

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県道が東西に走り、その北側に山並みが続き、ちょっとした屏風の役割を果たし、
この山並みのお陰でこちら側は暖かですが、山向こうのベッルーノ・Bellunoは大変寒いと!


ベッルーノ再訪 ・ アルプス兵と、古いボルゴと
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463457241.html



北の山並みとコネリアーノの間に、もう一筋丘の流れがあり、その間に湖があり、
平野が広がる、というこの変化が、風景を美しくしています。     

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今回写真グループの先生が、この建物を教会と呼び、見るとまさに小さな十字架が!
初めて気がついたというか、知ったというか・・、きっと由来や謂れがあるのでしょうね。



チゾンの村の山上にお城があります。 この写真ではそう高くも見えませんが、
近くからは遥かに見上げる高さの、ローマ期からの歴史を持つ、由緒ある
カステル・ブランドのお城です。

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2年前の夏、訪れたカステル・ブランドのお城
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462784366.html     



我らの背後に大きな農家があり、空き家の様で、脇に、この農具が。

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分ります? 草を刈った後、ムラなく干すためのかき混ぜの爪、とでも云うのか、
トラクターの後ろに付けて使います。



畑の脇の木の蕾が、膨らみかけていました。 この寒い冬も、そろそろ終わり、かも。
      
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名前が出ません! どなたか、お教えを!!



差しかけ風の屋根の下に何か動くものが。 覗きに行くと、やはり羊の親子が。
反対側に回り身を乗り出すと、子供の羊は好奇心が強く、出て来てくれました。

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古い村の古い家並には、必ずどこかに廃屋が残り、住んでいた持ち主が亡くなったり、
その息子たちは町に住んだりだと、少し悲惨な廃屋になりますが、
この納屋の扉と窓にはクリスマスの飾りがまだ残っていて、暖かさを感じ、ほっと・・。

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長めの建物の中ほど2軒が廃屋になっていて、その両脇の家は修復され、住んでいます。
こうして見ると、1階部分は納屋とか家畜小屋で、2階に、居住部分があったようですね。

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以前、こうした古い家の中を見た事がありますが、家の中にトイレがありませんでした。
そういった時代の廃屋です。



こちらは、きちんと修復された家の門を出た所にあった、石造りの水槽で、家畜の水飲みや、
ちょっとした作業に使ったのでしょう。 左上の蛇口部分が、今は塞がれています。

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石造りの建物がきちんと修復されると、それは見事な、重厚な風格となります。



ここからの写真は、チソン・ディ・ヴァルマリーノ・Cison di Valmarinoの村です。

この村は県道から少し入り込、こんな田舎に、と思うほどの重厚な雰囲気がありますが、
上でご紹介のお城、カステル・ブランドから見下ろすお膝元の村が、ここになります。
北の山から流れ出る川が村の真ん中を深くえぐって流れ、きちんと整備されていて、

小さな礼拝堂ともいえるサン・ヴィトー教会。

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後ろに見える鐘楼は、司祭長教会のもの。後ほどご案内いたしますね。



村は山裾に沿ってゆっくりと傾斜し、ルージョ川・Rujoをはさみ両側に広がります。
が、家並みが切れた所にはすぐ背後の山が迫ります。

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なんとも可愛い雰囲気の野菜果物屋さんですが、パンも牛乳も新鮮なサラーミもね。

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川沿いの坂道をちょっと左に入り込むと、かなり広い広場が広がりますが、
これは、その角の建物の窓。
手作りレースの窓覆いがあり、蔦の葉の茂る季節にはさぞや美しい窓でしょう。

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17世紀建設の司祭長教会前に、矩形のかなり広い中心広場が広がり、周囲を
大きな建物が取り囲こみ、単なる田舎の村とはちがう重厚さが漂います。

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広場の北側の眺め。 背後の山は1358mのコル・デ・モイ・Col de Moiと。

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チゾンよりも少し東に、あの山を越えベッルーノ方面のピアーヴェ川の谷に抜ける、
サン・ボルド峠706mがあります。 春になったら、一度通ってみたいもの。

サン・ボルド峠越えは



広場のこちら側の建物の壁と窓。 壁の色も褪せ、窓の周囲の飾りも消えかけ、
広い屋根庇の下にのみ、向日葵が残っています。
ベランダの手すりの形も優しく、どんな人の屋敷だったのかと想像します。

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村の真ん中を川が流れている、と書きましたが、背後の山から流れ出るこの川水を利用し、
かっては、村の奥に行くに従い、一連の水車小屋が続いていた様子です。

今、その川沿いの水車用に造られた水の流れに従って、ちょっとしたハイキングコースが
整備されていて、その道を辿ると、こういった木彫像が随所に置かれ、なかなかです。

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何年か前にもこの村に来た事がありますが、その時は村もこれほど整備されておらず、
が今、家々の窓にはちょっとした余裕も感じられます。

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いつもは町や村のご紹介をするのに、なるべく雰囲気がつかめ易いようにと
全体の様子の写真を多くしますが、今回は参加したグループの性格もあり、
せっせと、部分の面白さも撮りました。
       
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ですが、田舎の山懐に広がる村に、こういったセンスも見つかるという事ですね。
       


水車用の細いかなりの急傾斜の水路を辿り、少し上った所に、完全に石壁のみになった
廃屋があり、苔むした木が伐採され、陽が差し込む草地になっていました。

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これも、かなり上の家の軒先。 一体いつごろの物なのか、私には分りませんが、
最近の物でない事は確かと。 それに、今も使われていますね。

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余り奥まで行きませんでしたが、一つ、水車の残っているのを見ました。
手前に流れ落ちる水が見えますが、この細い流れが次々と水車を回していた様子。

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ガイドブックによると、かってこの土地は食料用の水車で有名だった、とあります。
という事は粉挽きでしょうか。 案内の標識には、チーズの製造小屋もあった様子。



このお家はなかなか洒落ているでしょう? 窓の板戸の濃い緑が余りよく見えず、残念。
下に伏せられているステンレスの容器は、乳搾りの乳入れ。

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川の向かい側に大きな建物があり、綺麗に修復され、サン・マルコのライオン君が!
この一帯も勿論ヴェネツィア共和国でしたが、この家は確か元、宿とレストランだったと。

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この冬は本当に寒く、雪も雨も多く、未だこの山村には春の兆しはイマイチでしたが、
それでも最後は、この可愛いピンクの蕾で。

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春よ、来い!
はぁやく、来い!!

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