・ チヴィダーレ・デル・フリウリ  再訪

先月ウーディネでお会いした「オリーヴオイルを追いかけて」のルナさん達とご一緒し、
午後チヴィダーレ・デル・フリウリ・Cividale del Friuliの町の散歩に、

翌日はやはりチヴィダーレ駅近くの、国立の農業学校の見学に同行させて頂き、
オリーヴ油の搾油などを始めて見ました。 今日は、その様子をご覧頂きますね。

久し振りの町訪問、既にクリスマス・イルミネーションの準備も調っていましたが、
これが点灯されるのは、12月8日の無原罪のお宿りの祝日以降ですので、
この時はまだでしたが、今頃は・・。

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ドゥオモとその鐘楼。 その前のシルエットで見える背の高い人物像は、



ジューリオ・チェーザレ、ご存じ、ジュリアス・シーザー。
ローマ期にあって、このチヴィダーレはこの周辺一帯の首都だったのですね。

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以前のご案内は
n.1 チヴィダーレ・デル・フリウリ ・ ローマ、ロンゴバルド期の都
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462968156.html

n.2 チヴィダーレ・デル・フリウリ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462968341.html

こちらは最新のご案内で
n.1 チヴィダーレ・デル・フリウリ再訪 ・ ドゥオーモとその博物館
http://www.italiashiho.site/archives/20171121-1.html

n.2 チヴィダーレ・デル・フリウリ再訪 ・ ロンゴバルドの小寺院
http://www.italiashiho.site/archives/20171126-1.html



町中を流れるナティゾーネ川・Natisoneにかかる悪魔橋の上から。

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悪魔が一夜でこの橋を架けた、という伝説があるそうですが、
柵が開いていたので、また川床に。
なんとも壮大なイメージと美しさで、何度来ても、何度見ても、飽きません。

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水面に映る橋の眺め。 悪天候続きの後でしたので、
濁り水かも、と想像していましたが、いつもの様に澄んだ美しい水。

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ご覧の通り!

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以前ご紹介の写真と同じ場面が多く、我ながら困惑気味です。
町の他の部分の写真もあるのですが、チヴィダーレ、のご紹介を思うと、
こうなってしまうようです。  まぁ、季節による色の変化を、と・・!



橋の南側から町の中心部を。 鐘楼は、最初にご覧頂いたドゥオモの物。

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ナティゾーネの川床が大変低い位置で、町が崖の上に、という様子で成り立ちます。
橋の影がくっきりと映りますが、あの崖の辺りに、かってのケルト人の住居跡とも、
墓地とも伝えられる洞窟があります。 残念ながら、まだ見学していません。

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ドゥオモ内部横に、ロンゴバルド様式の石棺、洗礼用の泉等、無料で見れたのが、
今回行くと整備されて博物館となり、入口も外側からに変更、入場料4エウロ、
その代わり、一日中開館、と変更に。 こういう変化は、喜ぶべきか、否や?!

これは、博物館入口の向かい側の壁、です。

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町には中心となる広場が2つあり、こちらは北にあるディアーコノ広場の
カフェ・ロンゴバルド。
夕暮れ時の寒さにも拘らず、外の椅子席にも、たくさんの人が寛いで。

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駅横の駐車場に向かう途中、赤い夕陽になりました。
冬の夕陽は、心を急かせますね。

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夜は、アグリトゥリズモでの食事。 何を食べたか、ご興味ある方、
パンダさんが、こちらで詳しくご報告を。
http://allegria1i.exblog.jp/9170583/



翌朝は同じチヴィダーレの駅傍にある、国立農業学校の見学に。
まず最初に! 青林檎。 取っても良いといわれ、しっかり大きなのを見つけ、
2つお持ち帰り! みずみずしく、美味しかった!!

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見事なオリーヴの実。 まさにたわわ! 大体1本の木で30キロ程の収穫とか。

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こちらが説明してくださった・・、お名前忘れ! 挿し木のご説明中です。

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この学校では、オリーヴ栽培、そして葡萄酒製造の講義と実践を教え、
収穫物に関しては、企業形態をとっているとか。

農家の跡取りとか、就職先の心配がないので入学する者、そして、ここを出ると
大学にも入れるそうで、お昼時の退校時には、わっと一斉に出てくる
若者たちに出会いました。

我が町コネリアーノにも、早くに創設された農業学校がありましたが、
今は町中のかっての修道院跡に移り、
国立のワイン製造技術学校になっていますが、同じ様なものと。



これが今回味見もした、ビアンケーラ・Biancheraという種で、
実自体も殆ど緑のままですが、オリーヴ油の色も、緑!

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普通、時間が経つと色が濃くなり、黄土色の様になったリしますが、
これは、明るい緑のまま。 味は、少し渋みがある、感じ。
葉の形が、少し捩れていますね、これが特徴だそうです。

余りたわわになっているので、つい、味見しても良いか、と1つ木から取りました。
途端に、皆一斉に、ワッ、ワッと逃げる感じ!
説明のシニューレが、にやっと、「試してみなさい!」と言うので、口に。

いやその前に、指の間で、ちょっと押して見ましたら、緑のままでしっかり熟しきり、
ピュッと、白い汁が飛びました!
お味は、・・渋~~い!!  はい、これで納得の、初体験でしたぁ。



オリーヴの木の枝の剪定の仕方、ハエが卵を産みつけるのを防ぐ方法、など等
しっかり説明を受け、

搾油所に向かう途中の横の柵内に、馬の親子、そしてロバちゃんも。

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搾油の部屋の前、収穫された実がこんな風にプラスティックの籠で積み上げられ。

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この方法だと重さが一定するからで、袋積みだと、その重さで油が出てしまうからだと。

私の住む村のお隣オリアーノ村に、オリーヴ畑があるのですが、
先ほどのシニョーレの話では、ヴィットリオ・ヴェネトにもあり、良い油が取れるのだそう。
フリウリから我が村、そしてガルダ湖周辺が、オリーヴの木の北限なのでしょう。



こちらが搾油所。

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大変コンパクトな最新式だそうで、この部屋全部ほどの大きさの搾油機があるそう。
この大きさだと、オリーヴの種類毎に変えて絞れるという、利点もある様子。

一番奥に見える機械で水洗いし、手前に見える赤いホース部分でより分けられた葉や、
小枝が取り除かれ、真ん中で、粉砕、そして手前で、搾油。

一番左端の漏斗が、見えますか?



これです。 際限なく、ちょろちょろと搾りたてのオリーヴ油が。

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実際にはもっと緑色に見えるのですが、写真だと、どうしても黄土色に近くなる予感。
雑誌で、プロの写真を見てもそうなのですが、一度、ルナさんのブログで
大変美しい緑色を見ましたので、なんとか!と、あれこれ試します。



これが、今回の最上。 上の写真だと、青い機械の色との関係だろうと、
グレイの壁をバックに。

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部屋全体に、ぷんと油の匂いが立ち込め、それも、少し生臭い、新鮮な匂い。



学校の建物の裏の風景。 手前の葡萄畑は、学校の畑で、
どこでも見かける、イタリアの田舎の風景。

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倉庫には、葡萄畑用の消毒噴霧器が。 これは畝の間を通りながら、
一度に両側を消毒できる仕組みですね。

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で、先ほどの葡萄畑なのですが、家の近所で見るのと少し様子が違う、
というイメージの意味が分りました。

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ここでは、収穫を機械でしているのだそう。なので、真ん中の幹の幅を残して
見事に刈り込まれているのでした。
人件費の問題、という事でしたが、正直な感想は、少し、木が無残な、と。



で、ここには乳牛もたくさんいて、この種は、乳牛と食肉との両用だとか。
しっかり食べた後なのか、皆さん腹ばいになっていて、何か用?という目で。

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向こうが座っているので、こちらも座り込んで、チャ~オ!
ふさふさのお耳!

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こちらは、生まれて8日目の子。 白い部分の毛が、まだ真っ白。

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こちらは、多分生まれたて。 風に当らないように、箱の中でしたし、
首の後ろの毛が、まだ濡れているような・・。

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この後、葡萄酒醸造のタンク前で、如何にも真面目一方そうな技術専門家から
説明を聞き、そして、そして、
オリーヴ油と、ワインの試飲にあずかりました!

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手前は、おつまみのトマトを載せたカナッペ。 この北の方では、タルティーナと呼び、
かりっと焼くと、ブルスケッタとなるのでしたっけ。
オリーヴ油もワインも2種でしたが、油のビアンケーラと、ワインのカルベネ・フランク
のみ、名前を覚えています。

ご案内して下さったウーディネ大学教授の面白いお話を一つ。
       
フリウリの美味しい白に、トカイがあります。
甘くなく、食事にも大変美味しいのですが、ハンガリー辺りの本場から抗議が出て、
ヨーロッパ議会の決定で、このトカイの名が使えなくなったのだそうです。
で、フリウリの一醸造社のつけた名前が、トカイ・アノーニモ・無名のトカイ!
イタリア式無手勝ユーモア精神、ははは。

それにしても、今回ご一緒させて頂いたツァーの皆さんの、
旺盛な学習精神に感心致しました。
こういう、食材ツァーに参加されるだけの事はあり、よくご存知ですし、
イタリア語もたくさんの方が習っておられるようで、それも新鮮な驚きでした。

同行させていただいて、楽しかったです!有難うございました。
またのチャンスを楽しみに!!

チヴィダーレから近くの山に、こんな場所も。
カステルモンテ ・ スロヴェニアとの国境に近い、信仰の村
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462968910.html


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・ ヴェネトの北は、冬景色 ・ 近くの村々を一回り

この冬は30年振りかに雪の到来が早いとかで、住むヴェネトの北もすっかり冬景色。
スコミーゴ、オリアーノからの眺め、そしてコッレ・ウンベルト、サン・マルティーノ、
そしてカステッロ・ロウガンツィオーロの村々と、とお天気に誘われ
近所を一回りしました。 ヴェネトの冬景色をご覧下さい!
   
北のヴィットリオ・ヴェネトの町から、写真で見える手前の山と、
この雪のヴィゼンティン山の間を通りぬけると、北のベッルーノの町に、
そして遥かオーストリアへと繋がります。
そしてこの山が屏風代わりで、雪と寒さがずいぶん違います。

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ベッルーノ・Bellunoのご案内は、
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461664224.html



スコミーゴ村の東隣、コッレ・ウンベルト村。
朝、小路の向こう迄見に行きましたら、ご覧の通りの、霧。

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霜もおり、平野も白く。 霧はゆっくりと、流れていきます。

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少し朝日がさし、村の遥か彼方に、フリウリの高い、雪の山並みが見えます。

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なんとも、美しい!  月並みな言葉ながら、幻想的。

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オリアーノの教会の裏手から、コネリアーノに向かっての風景。
丘の流れの間に、やはり霧が流れ。

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こちらは、北の屏風代わりの山並みを望む、西の丘の眺め。
こちらの谷の木々には、まだ色が見えますね。

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一旦スコミーゴ村からくだり、コッレ・ウンベルトの丘に。
ここは大好きな場所で、手前はトウモロコシ畑。 既に半分耕されています。

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コッレ・ウンベルトの村は、かなり高く、一直線の坂道が、ず~~っと。
そして北に向かう道はカーヴを描きながらの下り坂で、両脇に葡萄畑が広がります。

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放射線状に、杭が流れ、広がります。 まだ剪定は、全部済んでいませんね。



これが北への下り坂。 奥に見えるのが、サン・マルティーノ村の教会。
     
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この辺のカーヴの坂道はどれもが大好きな道で、イェ~イ!とアクセルを、はい。



サン・マルティーノ村の教会には、ぐっと急な坂道が最後にあります。
この8日は、こちらイタリアは無原罪のお宿りの祝日で、教会前は、
ミサに参加の方の車でいっぱい。 鐘楼の日影には、霜がまだ解けずに。

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猫じゃらしも、霜で真っ白。 でも、とても綺麗でしょ?!

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同じ道を戻ります。 長い坂道の途中で、こんな枯れ葉を。
   
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この一帯は、丘の流れが幾筋もあり、手前の四角い塔がスコミーゴ村の鐘楼で、
奥の細めの鐘楼は、フォルメーニガ村。

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長い坂道を、例によって、自転車クラブの面々が。
これは最後のグループで、この前にすでに2組通過。

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坂道の様子がお分かりでしょうか。 ここはすでに半分下ってきた位置で、
奥に見える高い丘がオリアーノ村。



スコミーゴとコッレ・ウンベルトの間を、コルティナ・ダンペッツォへの国道51号が
通りますが、今日は南にホンの少し行って東に、カステッロ・ロウガンツゥオーロ村に。
村の高所に、教会と鐘楼があります。

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ぐるっと回り込む形で、カステッロ・ロウガンツゥオーロの教会の前に。
最後の坂道が、こんな風に素敵な木のトンネルなのです。

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お店も見えない小さな村なのですが、どこか由緒ありげな大きな農家がたくさんで、
ざっと調べてみましたら、ローマ期からの歴史を持ち、
ヴェネツィアと生地カドーレの中間に当たり、気候も良いというので、
16世紀の画家かのティツィアーノが住んだ事もあるようです。

ティツィアーノの生地・ピエーヴェ・ディ・カドーレのご案内は、
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461664802.html   



教会は閉まっていましたが、眺めが良いのは知っているので、まずぐるりと楽しんで。
東側にこんな農家も見え、糸杉の並木もなかなかで、奥にはフリウリ平野が続きます。

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ぐるっと回って見て戻ると、ちょうど教会から出てきた神父さんが、中を見たいか、
と鍵を開けて下さいました。
以前一度中を見てフレスコ画のあるのを知っていましたので、有難く!

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今の内陣部分はかっての古い礼拝堂だったようで、手前を19世紀に拡張した様子。
内陣のフレスコ画は、16世紀のフランチェスコ・ダ・ミラーノの作。



描かれている人物の服装などは16世紀の物なのですが、
この壁面の題材は、ローマ皇帝コンスタンティヌスの、戦闘場面と。

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折角写真を撮らせて頂けたので!、もう2枚お目にかけますね。
天井部分の下側は、サン・パオロの斬首場面と。

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一番手前のアーチの部分には、全部女性像が描かれていて、こういうのは始めて
見ましたので一枚。

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寓話の様ですが、色々な美人と服装で、かっての人々も大いに楽しんだのでは?

◆実はこのカステルローガンツゥオーロの教会の祭壇画には、ティツィアーノが絡んだ
 お話があり、こちらに。 可笑しくもあり、哀しくもあり・・、是非どうぞ!
古きロンゴバルドの教会と、 「ティツィアーノの家」始末記 その1 と 2
http://www.italiashiho.site/archives/20170419-1.html
http://www.italiashiho.site/archives/20170420-1.html



逆光で失礼。 国道への戻りの坂道、豊かそうな葡萄畑が広がります。

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最後は我が家の近くの柿の木を。 たくさん実がついたままで、畑の真ん中に。

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渋柿にしろ、何度かの霜で、もうすでに、渋が抜けているかもね。       
  
     
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・ デルタ・デル・ポー ・ ポー河が海に出会う所

今日は先回に続き、デルタ・デル・ポー・ Delta del Poの一帯、
イタリアで一番長い河ポーが海に出会う三角州の辺り、そしてエステ家のお城、
果てしなく広がる平野、水門、アドリア海に注ぐ場所、などなどのご案内を。

先回のメーゾラの森のご案内の地図に、ピンクの丸を3つ追加で、
中央上メーゾラ・Mesolaのエステ家のお城、その右下にアバーテの水門、
運河に沿って下り、ポー・ディ・ゴーロ・Po di Goroの下、ここにパルーの水門、
そして、一番突端のピンクの丸に、ゴーロの灯台があります。

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地図の右半分に見える3本の流れはすべてポー河の支流で、灯台の位置に
流れ出るのがポー・ディ・ゴーロ。 このポーが、エミリア・ロマーニャ州と
ヴェネト州の州境になります。

その右はポー・ディ・ニョッカで、一番右が、一番の主流からこの地図のすぐ上部で
分かれたポー・デッレ・トッレ。 この一帯はフェッラーラのエステ家に始まる
営々と干拓された土地で、縦横に運河が走ります。
      
先回のメーゾラの森、ポンポーザの修道院のご案内



メーゾラの森、ポンポーザの修道院を見た翌朝は、大快晴となり、
まずは、パルーの水門・トッレ・パルー・Torre Palùを見に。

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地図に見えるPo di Goroの字の近くの、メーゾラの森を突き抜ける県道を通り抜け、
運河沿いに下るとある筈ですが、よく分らず、土手で魚釣りのシニョーレに尋ねOK。
車で行けるよ、というので、そろそろと土手道を。 逆光に、見えてきた所です。



これが来た道。 白い橋が見えますが、あれが森を突き抜ける県道で、
土手道の奥に見える白い車のシニョーレに、道を尋ねたのですね。

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手前のブルーの車も魚釣り! 日曜の朝とは言え、ヴェネトでは余り見かけない
魚釣りの多さに少し驚き。 写真の土手下にも、魚釣りの車が一台。



水門を順光で。 このパルーの水門は18世紀前半の物。

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今回調べていて、ヴィンチャーネ式扉、という言葉にぶつかりました。
つまりこの5つ並んだ閘門の開閉システムは、かのレオナルド・ダ・ヴィンチ様の
発明で、水自体の力を利用し、干潮時には海に流れ、満潮には海水が入り込まぬ様、
自動的に開閉する方法で、現在も現役との事。
       
500年前の大天才の、発明の説明を飲み込むだけに、大分時間が・・。ああ!



土手から見る南の風景。 右手の奥から南にかけて、ずぅ~~っと続く林の流れは、
メーゾラの森。 前日には立ち入り禁止だった部分。

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少し離れての眺め。 この運河は、カナーレ・ビアンコ。 

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土手は、ご覧のように草を刈った跡が見え、車2台がやっとすれ違えるほど。
ずっと先に行くと県道に出て戻れる、と教えて貰ったのですが、ごとごとと、
行けども行けども県道に出ません。 運河に沿っての土手道の長かったこと!
まぁ、それでも、地平線を見つつ走り、戻って来れました。



再度、メーゾラの森を突き抜けて戻り、アバーテの水門目指し北上。
松並木の真っ直ぐな道が続き、両脇には平野が広がる素敵な道。
     
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前を行く車の荷台に白い箱が見えますが、あれはワン君の運搬用。
トスカーナでも見ますが猟犬、そしてタルトゥーフォ探しのワン君が乗っているのです。
この辺りもタルトゥーフォが採れるらしく、サイトで、タルトゥーフォ採集ハイキング、
とあるのを見つけました。



道の両脇に平野が広がります。 これは、上の写真の位置から前夜の宿を。

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大きな農家を修復したレストラン兼宿で、料理もまぁまぁ、宿もサッパリ清潔。
初めての、日本人のお客だったようです!

で、手前の緑の畑は・・、


ニンジン畑でしたが、ご覧の通りの砂地。 干拓地なのですね。

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この一帯の名産物に「砂地のワイン」というのがあり、お城の「秋の物産展」で見つけ、
買い込みましたが、う~ん、まぁまぁのお味。
今頃は、フリウリの美味しい、強い白にすっかり慣れているのでして!



アバーテ水門のすぐ近くに小さな礼拝堂があり、周辺が格好の釣り場に整備され、
この流れのあっちにもこっちにも。

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写真の右端からも釣り糸が光っているのが見えますか? 前夜からの泊り込みの
小さなテントもあり。 
逆光に、墨絵のよう。裸木の風景が、とても好きです。



これが、アバーテの水門・Torre Abate、大変美しい姿。
16世紀の半ばに始まったフェッラーラのエステ家による、デルタ・デル・ポーの
干拓の歴史の証ともいえる、水門との事。

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先のパルーの水門同様、ポー河の水の管理も勿論ですが、要所の防御監視も
兼ねての建物だった様で、やはり、ここの閘門システムもダ・ヴィンチ式だそう。

3年ほど前、メーゾラというのは何所?と、友人からメールと写真が届き、
その時調べたのが、メーゾレの森、この水門、お城への興味の始まりでした。
ただ、その添付された白黒写真の別荘が、今回特定出来ませんでした。
その内、出会える事を楽しみに。
       


穏やかな秋晴れの日曜の朝、静かな水面に、形の良い水門が映ります。
       
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エミーリア・ロマーニャ州は、ヴェネトのすぐ南のお隣なのに、行った事のあるのは、
フェッラーラ、ボローニャ、パルマ、ラヴェンナ、コマッキオ、フォルリ、チェゼーナ
と街だけ。 美食、フェッラーリ、古城、独特の音楽、踊り・・、
他にもたくさん見所がありそうです。
       


水門のすぐ向こうにもう一本運河が通り、橋の上を自転車クラブの面々が
走り抜けていきました。 日曜の朝、何所でも見かける男達の姿。

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その運河の土手、ここにも何台もの魚釣りに来た車。

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それにしても、イタリアの男達はマメに良く遊びますねぇ!
若いうちは女の子と遊び呆け、はは、少し年が行くと、一人で、または
男同士で遊ぶ、というのが多いような!!



奥に小さい礼拝堂が見える水門脇で、やはり、釣り糸が光ります。

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何が釣れるか、尋ねて教えて貰いましたが、土地の呼び名らしく、覚えられず。
沼地独特の水草が、生い茂ります。



アバーテの水門から、メーゾラの町に。 水門から北にかけて、細長く
サンタ・ジュスティーナの森が続きますが、こちらはメーゾラに比べ小さいもの。

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広い畑が広がり、農家が見え、そして背後にある林は殆ど裸木になり、
上に少し濃く見える部分、あそこだけまだ葉が残っているのです。



サンタ・ジュスティーナの林を抜け、メーゾラに向かう真っ直ぐなポプラと松並木の道。
道の奥の空気が青く見え、それだけで、嬉しくなってしまいます。
       
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自転車のシニョーレを追い越し、写真を撮るのに車を止めると、彼がまた追い越し、
・・が2度ほど。 アホかいな、という目で一瞥され!



道脇の小川の向こうに彼らが。 放し飼いで、彼らにとっても、日曜日?!

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メーゾラの中心部。 右がお城で、左に教会、写真の右手外にガソリンスタンド、
これで全部! ちょうど、秋の物産展開催中で、こんなに車とテントの店。

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お城の内部は、この一帯の環境博物館で、無料でのガイドつき見学が出来ました。
       
このお城を作ったフェッラーラの最後の領主アルフォンソ2世は、3度結婚していて、
3度目の奥方はマントヴァのゴンザーガ家のマルゲリータで、城は彼女に捧げた物と。
が、結局3度の結婚にも拘らず男子が生まれず、彼がエステ家最後の領主と。

写真は博物館内にあった、鹿に関する展示の一つで、ポンポーザ修道院のある
ゴディゴーロの町の紋章にも鹿が描かれているのですね。 
メーゾラの森のみならず、とにかく鹿が多かった様子。
フェッラーラのエステのお城の装飾にも、たくさん描かれている様子で、
その心算で、見に行きたくなりました。

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剥製は好きではありませんが、まぁ、実物にお目にかかれませんでしたので・・。

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これは私も持っている、こちらの身分証明書を模したもので、フフと可笑しく、ご紹介。

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名前・イタリア鹿
通称・メーゾラの鹿
類・哺乳類 偶蹄
住所・メーゾラの大きな森
市・メーゾラ、ゴーロ、コディーゴロ
州、国・フェッラーラ、イタリア
身長・オス108cm、 メス95cm
体重・オス110kg、 メス75kg
毛皮・夏-褐色、黄褐色、 冬-褐色、灰色
子供には、白い斑      など等。

写真に押されたコムーネの印、ヒズメ紋が笑えます。
前日森で見た足跡と、やはり同じ!

追記:何年か前から身分証明書もプラスティックのカードとなり、
   こちらの様々なカードについては
   http://italiashinkai.seesaa.net/archives/20180621-1.html 



お城の展示室は4階に当たる部分で、ガラス越しですが、展望が素敵でした。

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すぐ背後にポー・ディ・ゴーロが流れ、ヴェネト州・かってのヴェネツィア共和国との境。
城の周辺建物に囲まれた中庭、そして土手に沿って、たくさんのテントが並び、
秋の諸国物産展、開催中。



上の写真の東側。 奥に見える橋、あれがロメア街道、国道です。

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上の写真共々、ご覧の様に、ポー河水面の方が地面よりも高いのがお分かりでしょうか?
長い年月の堆積物で、こうなのですね。 

ポー河が穏やかに流れる時は良いのですが、2000年のスイス側での大雨が原因の
大水の際など、堤防を切り畑に水を流し町を守ったり、鉄橋を切って持ち上げたり、
と大変でした。

ポー河は全長652km、河上からアドリア海に注ぎ込むまで、約1週間かかるそうで、
あの大雨の時も毎日、今一番の大水がどこを流れている、とTVニュースでありました。

干拓の歴史共々、たくさんの逸話が残りますが、ポプラの木が多いのも、早く成長し、
根を張り、地面を護るからと言うのも知りました。



ゴーロの町でお昼を食べ、灯台を見に。

そのまま真っ直ぐ南に下れる筈が、行き止まり! 尋ねましたら、ポンテ・ディ・バルケ・
舟の橋を渡りなさいとの事。 教えられた通りに戻り、土手に上がって納得!
「小舟橋」という名ではなく、舟を繋いで作った橋で、その時になってやっと、
旅行雑誌で見た事を思い出し・・

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板を並べた上をゴトゴトと渡り、写真の車が止まっている橋中央部分に小屋が
見えますが、あれが料金徴収所だったのです。
渡る前に、車一台75チェンティージミ、とか見ましたが、お兄ちゃんが顔を出したものの
何も言わないのでそのまま通り過ぎ、こちら側に来て後、無払い渡河に気がつき!!

戻りに2回分払おう、と思いつつ、帰り道は、ナヴィが他の道を指定し・・! きゃ。
ここが州境で、私はヴェネト側、向こうが、エミーリア・ロマーニャ州。



ゴリーノ・Gorinoで舟の橋を渡り、突端にある灯台まで7~8kでしょうか。
一面遥かに干拓地が広がります。 所々に、放置された農家の廃屋。
       
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1951年に、ポー河の大氾濫がありました。 大雨の流れがアドリア海に注ぐ時、
満潮と重なり逆流し、88名死亡、5600軒程の家屋破壊、畑、道、工場破壊等の、
大災害でした。 こういった廃屋は、多分その時のものと。



ここは、既に車の行き止まり地点。 靄にかすみ、幾つかの農家の廃屋が点々と。
土手の高さを、4mも越す洪水だったそう。

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土手道は車は行き止まりですが、自転車か、歩きでは、もう少し突端まで行けます。
が、戻りの時間を考え、ここでオシマイに。



葦のそよぎ、逆光の煌き。

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エミーリア・ロマーニャ州側に灯台が見え、アドリア海への河口が、左に広がります。

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この灯台は1950年に作られたもので、それ以前の物はドイツ軍が引き上げる前に
破壊して行ったのだそう。
土地の歴史が、即、世界の歴史に繋がるイタリア、ヨーロッパの歴史と変遷。
それにいつも、ああ、そうなんだ、と改めて振り返り、驚かされます。

イタリア最長の河ポーと、アドリア海の接点を見たぞ! と納得、
霧の出はじめたヴェネト平野を、我が家へ。
  
     
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