・ ウーディネ ・ 中心をほんのチョッピリ

今日は先日行ったウーディネ・Udineの中心を、ほんのチョッピリご案内致します。
大快晴の日曜日、フリウリの青空をお楽しみ下さい!

我が町コネリアーノから東に約85K、フリウリ・ヴェネツィアジューリアの州都
ウーディネがあります。 フリウリ平野の真ん中に位置し、駅前から街の中心迄すぐ。

こちらはドゥオモですが、日曜の朝のミサの最中でした。

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ご覧のように、正面壁は13世紀のままですが、内部は18世紀に改装されています。

ウーディネの人口は現在10万人ほど。 実り豊かなフリウリ平野を抱え、
街のイメージも、のんびり、ゆったりの、穏やかな感じを受けます。

いつも教会周辺は駐車場と化すのが、ここではしっかりと、広場を確保。       
小さな事ですが、街のイメージを確立しますね。



街の中心に2つの広場があり、こちらはそのひとつ、リべルタ広場・Libertàを南から。

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右側に柱廊が見えますが、その中央上に時計塔があり、上にはヴェネツィアと同様に
ムーア人の鐘つき男が2人。 左には、サン・マルコのライオン君の円柱が。
そう、ウーディネはヴェネツィア共和国の元で、2番目に大きな重要な街でした。



時計塔です。 柱廊部分の真ん中が修復中で覆われていましたので、上部のみを。
真ん中部分は、現在は戦没者の慰霊廟の様子。

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広場は、道よりも1mほども高く造られていて、この日はぐるっと車展示の催し開催。
お昼前で、そろそろ人出が増えていきます。

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広場に向き合って見えるのが、リオネッロのロッジャ・La Loggia del Lionello
と呼ばれる15世紀の物。
壁の石の色のピンクと白、窓の形、いかにもヴェネツィアですねぇ。
このロッジャの中も素晴らしく、円柱の飾りも素敵なのですが、またの機会に。



リベルタ広場の時計塔の写真左に見える女神像の後で、写真撮影をしていて、
最初は、結婚式の記念撮影かと思ったのですが、
宣伝写真の様で、本物の新婚さんでは無く、で、にこやかに、ポース!

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で、アップもお見せするのも、実はこの皆さん方はイタリア人ではなく、
スロヴェニア辺りと思われる言葉で、ええ、こうして見ると、やはり少し違いますね。
特に男性がね。

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リベルタ広場から少し西に、このマッテオッティ広場・Matteottiがあります。
エルベ広場とも、サン・ジャコモ広場とも呼ばれる様子で、ここが市民の中心広場で、
毎週土曜には市が開かれるそう。
 
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ここも中心が少し高くなっていて、泉があり、周囲を幾つものバールが取り囲み、
お昼前のひと時、大賑わいなのです。



広場の西にサン・ジャコモ教会があり、その前の円柱の、聖母子像。

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教会は14世紀末の物で、正面壁の白い石は、イーストリア産だそう。
これもやはりヴェネツィア同様、アドリア海の向こう側の国との深い繋がりを示します。



広場の南側、日影のバールの席も、ご覧の様にいっぱい。
日曜日のお昼前、生活を楽しむ人々の姿。

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広場の中心にある泉の上部ですが、 お天気のせいか、後の建物の壁の色が
綺麗で、小さい窓が幾つも並ぶのにも惹かれました。
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泉の周囲。 とにかく、家族連れが多いのです。 皆、秋のお天気を楽しんで。

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サン・ジャコモ教会の横。 古い、いかにも中世の建物も見え、井戸も見え・・、
お喋りを楽しむ大勢の人々。

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こちらは広場南側の建物。 やはり大体5階建てで、窓が連なり、壁画の名残も。
建物の幅、間口が狭いのは中世の街づくりの特徴で、結構、奥に長いのですよ。
      
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マッテオッティ広場の、北西の隅から少し奥に行ったところ。
建物の形、庇の様子、いかにも古そうですが、窓には、こんな鮮やかな色ガラス。
何だと思われます? 魚市場、と書いてありました!

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この一見、可愛い小さな窓、実はこの右にも、もうひとつ。
上に見えるロカンダの文字が示す様に、左に入り口ドアがあり、レストランなのですが、
この調理場の窓で、ワインとおつまみが買え、立ち飲みできるのですね。

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実は、今回のこのウーディネ行きは、ブログ「オリーヴオイルを追いかけて」の
ルナさんがウーディネにやって来られたので、お会いし方々、翌日の見学にも、
厚かましく、加えて頂いたというわけです。

ルナさん、そして皆さん、ありがとうございました!
この可愛い場所は、ご一緒していた方に連れて行って貰ったという訳です。
ご一緒させていただいた見学の模様は、また、改めてご案内いたしますね。



で、こちらのみならず、あっちでも、こっちのむこうでも、皆さん、アペリティーヴォを。

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このオレンジ色のはスプリッツという、アルコール分の少ないアペリティーヴォで、
ちょうど射し込む陽に輝き、本当に綺麗!
手前の男性の影に、向こうのグループの女性がいて、乳母車を押す若いマンマでしたが、
やはり彼女の手にも、オレンジ色のスプリッツ。



アペリティーヴォも飲み、準備万端。 で、お昼を食べに。
ここも、教えていただいたオステリーアで、海賊君がお出迎え。

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土地の人相手のお店のようで、料理もフリウリ風が多く、一度ガイドブックの写真で
ご案内の、チーズにジャガイモを入れて焼くフリーコを一口頂きましたが、美味しかった!

入り口脇の樽テーブルでは、シニョーレが、新聞とアペリティーヴォをお一人で。



お昼の後、お城への道を辿りました。 「お城」と呼ぶのは、最初にご案内の
リベルタ広場の脇道を上った所にあります。
       
これは、この辺りの建物の壁に残るフレスコ画。

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イタリアの歴史ある街どこもそうですが、現代的に改装された大きな建物が多い中に、
古い物が混在している事で、
そして、ウーディネの街は、どこか、お金持ちの農村、のイメージがある様な気が。



リベルタ広場からお城への坂道、下にボッラーニのアルコ・L'Arco Bollaniが
あり、写真が逆光で、門上のサン・マルコのライオン君が見えにくく残念。

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この門はアントニオ・パッラーディオの設計になる、16世紀のものだそう。
で、左端に少し見えるのが・・、



こちら、リッポマーノの柱廊と呼ばれる物ですが、いつもこれを見ると思うのです。
ちゃんと道があるのに、何で、こんなもの造ったんだろうと。
お城への道で、重要な方も通られたでしょうが、雨の日以外余り必要ないような・・。

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で、上の緩やかな坂以外に、先ほどの門から、こんな急な階段が、
やはりお城に続いているのです!

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で、やはり先ほどのモデルさんが、衣装を変えて、お仕事中でした。
ア、またさっきの日本人が写真を撮ってる!と皆さん、笑っているような。ははは。

お城といっても、大きな四角い建物で、現在は博物館と美術館に。
大きな草原の広場があり、ウーディネの街が一望。 また、ご案内いたしますね。



これは、門脇にある水のみ場。 お多福ちゃんがいるようで、可愛いでしょう?

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最後に、リベルタ広場の円柱上のサン・マルコのライオン君を。

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この広場周辺だけでも、ざっと考えて、有翼のライオン君、4~5頭います!
抜けるような、秋の青空を最後に。

イタリアに来てすぐの頃はこの広場が、ウーディネが、何となし余り好きでは無く・・。
でも、今はまた別の感慨があります。

イタリアのそれぞれの街に慣れ、個別の良さを、素直に受け取れる様になったのかもで、
ウーディネを、フリウリを、もう少し、良く知りたいと思います。

フリウリの味についてのご案内は、
生ハムの サン・ダニエレ・デル・フリウリ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462970208.html
       
フリウリの、ヴィーノ・ビアンコ(白ワイン)!
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461014254.html
 
フリウリの チーズ! ガチョウ! ポレンタ!
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461014090.html
                              
生ハムとユダヤ人の足跡 フリウリ・ヴェネツィアジューリア
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461013826.html
        
       
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・ バロックのフィレンツェ ・ レッチェ n.2 

今日は、月一ゲストのグロリオーザさんの写真とコメントで、
レッチェ・Lecce その2 のご案内です。 ではどうぞ!
** 

先月に引き続いて、今回もレッチェの紹介です。
「バロックのフィレンツェ」という名前の理由をたっぷりご覧下さい。
何といってもここのバロック建築の象徴は、ドゥオモの北東部、
といっても歩いて5分ほどの所にある、サンタ・クローチェ教会です。
建設は17世紀の半ば。

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当時の南イタリアは反宗教改革の嵐が吹き荒れており、
スペイン支配下にあったレッチェも信仰や言論弾圧にあえいでいた時代。
そんな中でこのような過剰ともいえる装飾建築に打ち込んで行った
職人たちの気持ちはどのようなものだったのだろうか。
ド迫力のファザード周辺は圧倒的です。


      
では、個々の彫刻をピックアップしてみましょう。
使われている石は地元の石灰石で、加工しやすいため、
緻密な細工が可能になったようです。

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肥満気味の老人と子どもの取り合わせ。

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こちらは豊満な女性たちですね。

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彼女は女神でしょうか。 よく見るとちょっと恐い表情をしています。

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ユーモラスな動物たち。 牛でしょうかね。

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クローチェ教会だけでなく、街を歩いていると至る所にこうした
彫刻、建築があふれています。
特にヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りはその展示場のような場所です。
 
女性の持ち送り。無表情なのが返って不気味な感じです。

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競馬のゲートインの瞬間のように、整列した馬たち。

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双子のおじいちゃんのにらめっこ?

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一方で優雅な像も見かけられます。 マレーゼ邸という邸宅の壁に
刻まれた女性像は、美しさではダントツのナンバー1.

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サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会の正面も、かなりのゴテゴテ状態。

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ちょっとお疲れだと思うので、ここらで一休み。 対照的に、
すっきりしすぎるほどのシンプルなクーポラもありました。

サンタ・マリア・デッラ・ポルタ教会の天井は、白い陶器を一つ一つ
貼り付けたような模様になっていました。
とてもレッチェの教会とは思えない簡素さ。

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サン・マッテオ教会は、路地の突き当たりに突然姿を現す。
陰になった狭い道の突き当たりに、ちょうどそこだけに光が当たった
教会の正面が現れる劇的効果は、
強烈な南イタリアの太陽光によるものだけに、一層印象的。

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夜になると風景は一変する。 ゴテゴテの装飾も夜の光の中では
グロテスクさが緩和されて、優しげな姿に見えてくる。
さきほど昼の写真をお見せしたバッティスタ教会も、
ライトアップされて夜空の青さと調和し、優雅に映ります。

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サンタ・クローチェ教会の夜景。
金色に浮かび上がる光景は・・・
やっぱりここの装飾は優雅とはいえないかも。

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クローチェ教会の隣りの政庁舎もライトアップ。

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この後何かのイベントがあるらしく、舞台が作られていた。
もう9時過ぎだったと思いますが、まだまだ始まる気配は一向になく・・。
南イタリアには眠らない夏の夜がありました。


***

長い間、月一ゲストをして下さったグロリオーザさんですが、
ご自分のブログを始められた事もあり、
今回で、私のブログへの登場はお終いという事になりました。
数えてみると、全部で33回ほども!あちこちご案内頂きました。
有難うございました!
 
ご自身のブログ、イタリアの誘惑 は、こちらです。
http://jun-gloriosa.cocolog-nifty.com/blog/

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・ メーゾラの森、 そして、 ポンポーザの修道院

今日はデルタ・デル・ポー・Delta del Po と呼ばれる、ポー河がアドリア海に注ぐ
三角州にある、かってフェッラーラのエステ家の狩猟の森だったメーゾラの森と、
その近くにある、中世からの、ポンポーザ修道院のご紹介です。

まずは、地図で位置を。
一番下に見える赤い旗、ここにポンポーザ修道院・Abazzia di Pomposa、
その右(東)に、メーゾラの森・Bosco di Mesolaが広がります。

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フェッラーラ・Ferraraが左下に見えますが、ここからだと東に70Kの距離。
青い線が、我が家からの路線150K程で、ヴェネツィアから南に下るこの国道が
ロメア街道・strada Romeaと呼ばれる、以前ご紹介のコマッキオ・Comacchio
を通り、ラベンナ・Ravennaに続く道。

コマッキオのご案内

ラヴェンナのご案内 
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463253355.html       



デルタ・デル・ポーの一帯を、も少し大きくどうぞ。
赤いAの字がポンポーザ修道院で、その右、薄めの緑色、ここがメーゾラの森。

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この広さからご想像できるように、全体は1500ヘクタールを越える広大なもので、
現在は自然保護の国有林。

上方、小さく赤丸をつけましたが、一般公開されているのはこの辺りのホンの一部。
で、今日のご紹介はこのメーゾラの森と、ポンポーザ修道院で、

この辺り、エステ家が干拓の為たくさん水門を造っていますが、その中世の水門風景、
舟を並べた橋、灯台等は、また次回のご紹介で。



メーゾラの森に出かけたのは、11月1日。 雨続きで、この朝もぱらつき、
漸くに南の空が明るくなったのを見て、出かけました。 というのも、
この日を最後に、来春3月の末まで森が閉じられるのですね、それで決行です!

これが入口を入ってじきにある横道ですが、鉄柵越しの写真で、入れない部分。
入口脇に、森林警備隊の建物があり、暇そうに2人程頬ずえをついていましたが・・。
入場は無料です。 追記:6歳以上は1エウロに! 2018.12.15

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これが一般公開されている部分の、お勧めの3行程で、黄色1時間15分、
緑1時間45分、赤2時間30分、とあり、手前側は同じで、奥への広がりの長さが違う、
という訳で、まぁ、歩き始めました。

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森の中は、歩くか、自転車、または電動車、と制限されていますが、
森の前に2軒見えた貸し自転車屋は、既に休業中。       


コースが始まって、すぐのあたり。
「メーゾラの森」の森という言葉から、それもボスコーネ・大きな森と、サイトで読んで
いたので、なんとなく、もっと、うっそうとした大森林を想像していましたが、違いました。
森、というより、雑木林、と呼ぶ方が似会いそうです。

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雨続きで、黄葉した葉はすべて落ち、逆に明るくみえます。



所々の水溜りには、こんな風に、堆積した落ち葉が。

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森の道はくねりながら、ゆるゆると続き、殆ど落ち葉に埋もれ、どうやら分る程度。
他に誰も見かけず、私一人!  静寂そのもの! まぁ、空が明るいので・・・。

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白く見える樹は、白ポプラだそう。 所々に、樹木の説明があります。



一人で、せっせと歩き、時々、おっ! と写真を。
珍しくもありませんが、はい、ドングリです。

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こちらはちょっと珍しいかな、この森に住むという、鹿君のウンチ。
この近辺にウンチはたくさん見かけ、どうやら、通り道に当る様子。

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もっと、黄葉を期待していたので、すこし残念。 が、まぁ、これで・・。

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こんな倒木もたくさんあり、なんとなく手入れが行き届かない印象を受けましたが、
これは翌日、メーゾレのお城で聞いた説明により理由が分りました。

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自然保護の森、というのは手入れをするのではなく、ありのままの自然を保つ事と。
ですから、生息する動物が死んでいてもそのまま、樹が倒れてもそのままに。
で、どういう変化があるのかを、5年ごとに調査しているとの事。
       


敷き積んだ落ち葉に雨が続き、こんな茸があちらこちらにたくさん。

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奥のコースの道筋で、写真ではかなり明るく見えますが、実際は暗い舞台装置の様に、
青い空気で、その中に、こんな苔むした樹が。

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上側の部分、つまり雨に打たれる部分に苔むしている樹が多く、今のこの時期、
落葉で明るく透けて見えますが、
夏など、かなりうっそうと茂った、薄暗くヒンヤリした森なのだろう、と想像した事でした。 



落ち松葉に、新しい仲間。

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この森にある木々の種類ですが、白シデ、樫、ナラ、白ポプラ、トキワガシ、
海洋性松(日本の松とも違いすらっと高く)、園芸松(上がこんもりのイタリアでよく見る)
ビャクシン(旧約聖書にある、レダマの木)、
その他にも名札が出ていましたが、雨に打たれて消えていました。



森に着き、歩き始めた時は曇り空で、人の気配もせず、少々陰鬱でしたが、
一番奥のコースを歩く内に、陽が射して来ました!

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すると一度に森の中の印象が、一変! 落ち葉の積もった香りが立ち、
木々の隙間に見える空気が、青く。

この道は奥の広い道で、車も通った跡が見えますが、
ほとんどの道はもっと狭く、自転車の跡が、所々に見えるだけ。



黄葉した葉が雨で落ち尽くし、残っている緑の葉がなにやら早春の印象で、
森の芽吹きの季節を想像。
       
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さぞや、素敵な事でしょう! 明るい緑で覆われたこの森に、春に、もう一度?



突然、ドドッと、目の前を鹿が横切って行きました! わっ、わっ!
あっという間の事で、そう大きくもない鹿、角がなかったような・・。

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で、これが残されたつめ跡。 
近くには、結構跡が見つかりましたから、道を横切るポイントなのかも。



これは、旅行雑誌MERIDIANIから。
       
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メーゾラの森には、鹿・Cerbi, Daini、狸などが生息しているそうで、
ここの鹿は、他に類のない特有の因子を持ち、かっては狼もいたとか。

サイトや、旅行雑誌ではこういった鹿の写真が見れますが、年に何回か、
特別なガイド付きの見学があり、それだと、彼らの生息地にも近づけるのでしょう。
かって、このメーゾラの森は、ポー河の支流に挟まれた島だったそうで、
それで、こういった特有な動物が生息している様子。
現在は自然保護の国有林で、ぐるっと金網で囲まれ、森林警備隊が見回りを。
     
鳥達もたくさんいるのですが、森の中を歩いていくと、どこで見ているのか
バタバタと飛び立ち・・。


少しでも写真が見れるサイトは
https://www.aqua-deltadelpo.com/cosa-vedere/oasi-e-centri-visite/bosco-della-mesola-mesola/
       
公式サイトは Riserva Naturale Bosco della Mesola
http://www.ferraraterraeacqua.it/it/mesola/scopri-il-territorio/ambiente-e-natura/parchi-riserve-naturali/riserva-naturale-bosco-della-mesola-parco-delta-del-po
住所:44026 Mesola FE (Bosco Mesola via Frassini 24)
tel 0533.794285
開園:3月から10月 火曜 金曜、土曜 祭日 朝8時から日没1時間前まで



最後に森の入口に続く直線の道に出て、お天気も回復、森開放の最後の日でもあり、
2組ほど、こうした自転車での親子連れも。

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入口脇にあった、ヴェネツィア共和国のライオン君。

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エステ家最後の領主アルフォンソII世は、ヴェネツィア共和国との国境防備になる、
という理由で、森を買い取ったようですが、時代は移り・・。


***

ここからは、ポンポーザ修道院のご案内を

メーゾラの森から、ロメア街道を南に8Kほど、11世紀の創設になる、
ベネッデッティーノ派のポンポーザ修道院があります。

修道院の周囲は整備され、美しいすっきりとした公園になっていて、祭日でもあり、
少し向こうを通る街道筋も車が少なく、悪評高いトラック群も通らずで・・。

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どっしりと、西日に聳える鐘楼を見た時、アクイレイアのあの聖堂と鐘楼を思い出し。
見事な存在感です!

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アクイレイア ・ ローマについで栄え、そして衰退の町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462970421.html

n.2 アクイレイア と、 アルティーノ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462970554.html



隣接するサンタ・マリア聖堂。
 
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修道院は6世紀から7世紀に遡る歴史を持ち、ポー河の支流に挟まれたこの地で、
ラヴェンナの領主の庇護の下、11世紀頃には宗教と文化の一大中心地だった様子。

この右側に、3方を囲まれて回廊があり、(奥の建物に、礼拝堂や、多分図書館も)
南横に大食堂。 今のこの背後には裁判所・palazzo della Ragioneが。



このテラコッタの壁に、魅せられました!

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正面壁は、3つのアーチ、両脇に2つの窓、所々に石の彫刻、
後はすべて、煉瓦とテラコッタの陶板装飾。



煉瓦の色違い、陶板の飾り板。 素朴な、そして華やかな。

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素晴らしいとは聞いていましたが、実際に見て、納得!



こちらは鐘楼の一部ですが、テラコッタに埋め込まれた、この緑色!

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最初すぐには気がつきませんでしたが、なにかチラチラと光るのが、目の隅に。
それで! マヨリカ焼きの小鉢が、要所要所に埋め込まれているのです!

なんとまぁ! 気がついて感動しました。

マヨリカ焼きで有名なデルタ・Derutaの陶器製造は、8世紀に遡るとの事なので、
この聖堂、鐘楼が造られた10~11世紀には当時の最新技術、流行だったわけで、
それを取り込んだ職人のアイディア、修道院の財力に、思いが行きます。



真ん中に見えるような、動物の図柄は少なく、日本の藍の染付けを思わせる柄も。
そして、煉瓦の並べ方による柄の作り方。 円柱の上部には丸い形の煉瓦も。

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右上の円形装飾の面白さ。 そしてその中央の小鉢の柄にご注目を。
八角形に延びる星型の間に、P O M P O S I A と入って入るのが見えますか?

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この柄の色違いをかなり見かけました。 という事は、発注品なのですね。
さて、どこに?! やはり、デルタでしょうか? 色々想像し、楽しみました。



こちらは、鐘楼部分。 煉瓦の並べ方を工夫して。
黄土から、オレンジ、茶の壁に、青や、緑の小鉢の色。

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教会内部、奥から入口を。
 
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内部は3廊式ですが、側廊部は補強も兼ねてか、通り向けできる程度のくり抜きで、
区切られています。

どっしリとした典雅な美しさで、全ての壁はビザンティン様式の壁画で覆われ、
床面もかなりの色数のモザイクで、少しの動物柄を除き、ほとんどが幾何学模様で
埋め尽くされています。
アクイレイアの聖堂を小さく賑やかに、というイメージでしょうか。



上の写真位置からの、向かい側のフレスコ画で、14世紀中頃の物。
下の段の右端、最後の晩餐。 丸いテーブルで、ぐるりと取り囲んでいるのが珍しく、
写真禁止でしたが、エエイ、ままよ!

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一般に見るのは細長いテーブルで、ユダのみがこちら側にいますが、
ここでは、こちら側右から二人目が手を後ろに回し、何か握っているのが見えます。

こういった壁画は、大概は照明を暗くしていますが、ここは煌々と過ぎる位の照明で、
大丈夫かいなと心配を・・。



入口内側の壁。 最後の審判ですが、古い時代の審判図によくあるように、
地獄絵が面白く、写真が取れず残念!

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こちらは回廊部分で、真ん中に井戸が。 聖堂の壁の印象は、
グラードの聖堂に良く似て、典雅で、重々しく。

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こちらは、ラジョーネ宮と呼ばれている回廊の向かい側建物の、テラス部分。

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当時ここの僧侶達が裁判権を持っていて、裁判所だったとの事。
現在はブック・ショップ兼お土産物店で、周辺に3匹の猫ちゃん在住。またいずれ。



という事で、猫ちゃんならぬ人間様のカップルを。

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当日朝、急遽宿の予約もないままに出かけ、途中のバールで教えて貰い。
秋の陽は、つるべ落とし。 みるみる暮れて、やっとたどり着いた宿の前で。

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内心、焦っていたのでしょう、3枚とも、少しピンボケ!

という事で、次回のデルタ・デル・ポーの風景をお楽しみに!
   

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・ n.2 マントヴァ・Mantova と、サンベネデット・ポー・San Benedetto Po

天正4少年使節のご縁で訪れた、マントヴァと、サン・ベネデット・ポーのご案内、
その2を続けます。 で、なぜ、サン・ベネデット・ポーなのか・・、ご覧下さい!
九州大村からの皆さんのグループと無事再会し、テ宮殿・Palazzo Teの見学に。 

16世紀の半ばにゴンザーガ家のフェデリコ2世が街の外につくり上げた、
浮世を忘れるための別荘!ですが、

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ここの素晴らしさというか、度肝を抜くような大きさ、などなどは、こちらのサイトで。
http://www.itis.mn.it/palazzote/
       
ご覧の通り、余りの大きさ、広さで、写真に撮っても、ああ・・・!



これが全体の大きさの木の模型で、上の写真は、右の四角い建物の中庭部分。
    
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テ宮殿のテ・Teは、何を意味するかと思いましたら、この宮殿が建設された島が
Tの字形だったそうで、お茶の、テでは無いとの事、はい。



浮世を忘れるため、愛人との愛の巣のため、など等、これでもか!というような部屋、
装飾なのですが、気に入ったのは、この「馬の部屋」。

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フェデリコ2世は、馬の飼育でも有名な男で、ここに描かれた馬達も、
それぞれ名前を持つようです。

ええとここに名の出るフェデリコ2世というのは、ルネッサンスの女性の中でも筆頭級の、
フェッラーラからお輿入れのイザベッラ・デステ・Isaberra d’Esteと、
フランチェスコ2世ゴンザーガの嫡男の事です。



馬も彫像も、全てだまし絵的な手法ですが、色の落ち着き、部屋全体のイメージが、
他の部屋に比べて大変良いと・・! 馬の大きさは、実物大に描かれているそう。

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鷲の間。 ご寝所だったとか。

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凄いねぇ! という部屋ばかりで、「愛とプシケの間」という大宴会の壁画の中では、
皆さん、フリー・スタイルで、ライオンや、犬まで酔っ払っているのです、あはは。



中庭を持つ四角い建物から出たテラスの横に池があり、魚を飼育していたそうで、
何もない庭園の、この広さ!

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再度、ドゥカーレ宮に戻り、皆さんと内部拝観。
     
1585年春にローマを訪問した後、天正の4少年は、フォリーニョ、アッシジ、
ボローニャ、ヴェネツィアと巡り、いずれの地でも大歓迎を受けましたが、
このマントヴァにも立ち寄り、時のマントヴァ公グリエルモから大歓迎を受けた記録
があり、そのご縁で、今回皆さんと一緒の訪問となった次第です。

これは、ドゥカーレ宮内から見た、お城の中のサンタ・バルバラ教会と鐘楼。

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お城の中の礼拝堂的教会なのですが、格としては聖堂に当り、1564年に完成。
建設間もないこの教会を4少年達も訪問し、ユダヤ人が改宗する式にも立会い、
千々石ミゲルの名を与え、ミゲル・XXとなったという記録もあるそうです。

2つもある高いクーポラの窓から光が届き、明るい内部。

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教会内にはパイプオルガンが備わっていて、我々が入って行った時、演奏して
下さったのですが、「星のマリア」という、ミサのための古曲だそうで、
ひょっとしたら、4少年達も聞いたのかも!
       
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オルガンの扉の絵、受胎告知も素晴らしい!



ソルデッロ広場に再度出て、一時の解放を!
もう日が落ちていますが、諸国旨い物物産展はまだまだ大賑わい。
              
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こちらエルベ広場も、まだまだ人々で大賑わい。 三日月が、低くて残念。       

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ここは、元のイエズス会神学校のあった場所で、現在は国の古文書館ですが、
夜、ここにお邪魔しました。

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というのもこの古文書館に、マントヴァに滞在した4少年達が、
その厚遇に感謝して出した、礼状が保管されているのですね。



右の男性が、サン・ベネデット・ポー在住の日本人画家の宮田光さん、
左が、この古文書館館長のダニエッラ・フェッラーリ博士。

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宮田さんご夫婦は、今回のグループ訪問に関し大変なご尽力で、
フェッラーリ館長は、昼の両宮殿の拝観にもご同行くださり、特別に、貴重な資料を
見せて下さったのでした。 厚くお礼を申し上げます。



これが、伊藤マンショの名で出された礼状。
マントヴァで、4少年達は狩をしたり、馬を頂いたり(これは日本まで連れて帰ったとか!)
大歓迎を受けたという事ですが、ミラノに向かう道中から、この礼状を出した模様。

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達筆に驚きましたが、祐筆が同行していたという事で、その手になるものだろう、と
ご一緒していたグループの先生方に、お聞きしました。

イタリアに現存する日本語の文書では、おそらく最古の物である、との説明があり、
他にも、当時のヴェネツィア政府の通報官が少年の巻き起こしたブームを
報告している文章やら、関連文書が、ここに大切に保管されておりました。

そしてこの拝観後、なおの事素晴らしい事には、フェッラーリ館長のご自宅で、
手作りのお料理で、歓迎して頂きました!!
なんとも、暖かいおもてなしで、一同、大感謝の夜でした。
      


まず、場所の確認に地図をどうぞ。
オレンジの太い線が高速で、ヴェローナ・Veronaはお分かりですね。 
ヴェローナの東120Kにヴェネツィア、ヴェローナ~マントヴァ・Mantovaは43K
マントヴァの南東25K程に、サン・ベネデット・ポー。

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ガルダ湖から流れ、マントヴァの北を通る河がミンチ河・Mincioで、
西から、サン・ベネデット・ポーの北を通り、ミンチョと合流するのが、
イタリアで一番長い河ポー河、長さは652Kmあります。



翌日朝サン・ベネデット・ポーに向かい、市役所の中で市職員全員のお出迎え!
      
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真ん中が市長のジャヴァッツィ博士、その右、写真を手にされている方が、
殉教した中浦ジュリアン神父のご子孫に当る小佐々先生、
奇しくもお2人とも獣医博士。
市長の左が、私の友人のご主人九州大村出身の徳田さんです。

昨年徳田さんご夫婦がヴェローナにこられた際、マントヴァで右の宮田さんと会われ、
この町に、日本に知られていなかった4少年関連の石碑がある事が分り、
今回の、この町訪問のきっかけになった、という次第です。
       
町のサイトは、こちら。   
https://www.comune.san-benedetto-po.mn.it/servizi/notizie/notizie_homepage.aspx


     
一同、会議室で、市長さん、助役さん等の歓迎を受け、関連の資料も頂きました。
会議室のテーブルに置かれた、見事なザクロ、ザクロは、歓迎の印。

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ガイドを務めて下さったニグレッリ氏に連れられ、町を拝見。
この町はちょっと常の町と違います、というのも、サン・ベネデットという名が現す通り、
ベネデット派の大修道院がこの町の核なのですね。

で、まずこの門ですが、かっては唯一の、修道院への門、でした。

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門を入って、遥かに見る教会。 遥かに、と書きましたが、本当に広い広場!

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かっては修道院内の庭であり、菜園もあったでしょうが、一般人は入れず、
この素晴らしい教会も修道僧のもので、一般人は壁の外の教会に!

で、この修道院を解放したのはかのナポレオン。
現在は外の教会は無くなり、町の人々の教会です。
手前右に見える2人は、取材のカメラマン!



広場中程から振り返る、入ってきた門。 2層に3つのアーチの続くあの下です。
右に続く建物のアーチの向こうに厩舎があったそう。

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教会の写真の、右の建物に入口が見えますが、あそこが修道院入り口になり、
中には2つの回廊、写本所、図書館などが。

これは、修道院内の「バルベリーニの階段」と呼ばれる素晴らしいもの。
17世紀前半、ペストの襲来とドイツ軍駐屯による略奪で、衰退した様子ですが、
後、教皇庁の助けにより建設した物とか。

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上の階段の天井部分に描かれた物で、中心と、屋根の上の風見が繋がっていて、
ここでクリスタルでできた針が、風向きを示したという、なんとも優雅な物。

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「薔薇の風」と呼んだそうですが、修道院というより、王侯貴族の趣味の様な・・!



サン・ベネデットの回廊と呼ばれる部分。 なんとも広~い感じはお分かりと。

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奥に見える建物がかっての大食堂だったそうですが、展示館になっていて、
開催中の「ポリローネ・マティルデの修道院1000年展」を我々も拝見しました。
で、手前右のアーチの部分、現在の食堂で、お昼をご馳走になったのです!!
       


上の、元の大食堂の地下が、現在、石碑類の博物館になっていて
そこに、少年の記念碑があり、真ん中に2つ並んでいる手前がそれです。

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見え難いですが、原文はラテン語で、そのイタリア語訳から、宮田さんが
日本語に訳してくださったので、ご紹介します。

信仰心なくして如何なる事が成されるであろうか!
対蹠地の住民(日本人)の事を、より古い人民(イタリア人)は、
その存在を容易に認めようとしなかったのであったが、日本の諸王側から、
祖国に於いて最近開始したキリスト信仰を、至聖なるローマ教皇の面前に
表明する事を熱烈に欲した。
使節のマンシオ(伊藤祐益)、ミケーレ(千々岩清左衛門)、マルチノ(原)、
そしてジュリアノ(中浦)はローマ法王グレゴリオ13世に最高の名誉でもって
謁見せられ、使節の使命を果たし、生地に帰還の途中に、信仰愛の為に
この神の家を訪れた。 
いとも尊きラタンツィオ神父、この僧院の大修道長は彼らがベネデット派の僧の
家族に宗教的に迎え入れられ、そしてまた大変記念すべき事なので
長い間記憶に残るようにこの碑を造る。  1585年7月15日

彼らが、イタリア各地に巻き起こした感動が目に見えるようですね。



先に、この建物は元大食堂であったと書きましたが、この地下博物館は
かってのワイン貯蔵庫だったようです。
       
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大教会、回廊、写本室、後にご覧頂くかっての医療施設、そして貯蔵庫。 
修道院生活が、髣髴とされます。 これは、隅から見える連絡通路。 



この肖像が、マティルデ・ディ・カノッサ・Matilde di Canossa.

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さて、と調べました。 
中世における半ば伝説的人物でもありますが、カノッサ家は、当時この一帯の
大封建領主で、法王と皇帝との長い権力闘争の間にあって、
平和の為に、尽力もした様子。
  
この修道院の正式の名は、ポリローネ修道院・Polironeで、ポー河と出会う 
Lirone川との中洲に、彼女の祖父テダルド・Tedaldoが1007年に
建設した修道院、という事で、
ポリローネという地名が、現在のサン・ベネデット・ポーになった事、等を知りました。



という事で、「ポリローネ・マティルデの修道院1000年展」が
ここサン・ベネデット・ポーと、マントヴァで開催中なのを、拝見しました。

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これは、ぶどう酒のタル詰めの場面で、いかにも中世のイメージで好きです。



11世紀の、極彩色の手稿写本。 人物はサン・ベネデットと。

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で、食堂で、お昼をご馳走になりました!

メニューは、サルシッチャ・ソーセージのリゾットで、肉のから揚げ、生ハム、
茄子のオイル付けなど。
       
白ワインも出て、車で戻るのをすっかり忘れていて・・!

こちらは、ガイドを務めて下さったニグレッリ氏とこの僧院の神父さんが、
歌を披露してくださった場面。
ヴェルディの、「行け!黄金の翼に乗って」でした。

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お昼をご馳走になった後、グループの皆さんは、最終地のミラノに向け出発、
私は家に戻りました。
  
ご縁があって、ローマ、ヴァティカン、そしてマントヴァ、サン・ベネデット・ポーとご一緒し、
大変貴重な資料を見るチャンスを得ました。
お世話をして下さったイタリア側の皆さん、宮田さんご夫婦、
そしてグループの皆さんに感謝です!



8月末の夜、真夜中ごろの広場と教会を最後に。
      
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長い記事、お付き合い有難うございました!!
     
    
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・ n.1 マントヴァ・Mantova と、サンベネデット・ポー・San Benedetto Po

今日は少し長くなりますが、と先にお断りして置きまして、天正4少年使節の
ご縁で訪れました、マントヴァと、サン・ベネデット・ポーのご案内です。

マントヴァは遥か昔の訪問以来3度目ですが、
サン・ベネデット・ポー・San Benedetto Poは、初めての土地。 
大変貴重な資料も見せていただき、暖かいおもてなしを受けました。 
ゆるゆると、ご覧下さい!

後ほど地図をご覧頂きますが、マントヴァに行くにはヴェネトからだと、高速の
ヴェローナ南を過ぎ、モーデナ・Modena方向、南に向かって40k足らず。

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北からマントヴァの街に入る際の、素晴らしい眺め!
ガルダ湖からのミンチョ川・Mincioが、マントヴァの街の北で上の湖、下の湖と
呼ばれるほどの水量をたたえます。

マントヴァには昨年の初夏に立ち寄り、今回は8月末と10月と2度訪問。
8月に出かけた時、上の風景を、おお!と見ながら街に入り、先にドゥカーレ宮を観、
お昼を食べて戻りましたら、ああ、逆光になっていました!
ですからこれは10月に再挑戦の写真で、



橋を渡る前にこんな公園があり、そこからの眺め。

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上の写真の、ドゥカーレ宮の左半分。
真ん中の大きな丸屋根はサンタンドレア聖堂・Sant’Andrea、
その右手前は、城内の教会サンタ・バールバラ・Santa Barbaraの鐘楼。

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こちらは8月の末。 水辺に咲いていた河骨。

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岸辺に、遊覧船の発着場が2箇所あり、ガイドブックによると、大変素晴らしそう。
月夜の、特別なクルーズもあるようです。

あ、魚釣りしている、と小さなボートを写しましたら、なんともう一人、乗っておられ!

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湖を渡り街に入って行くと、すぐにドゥカーレ宮の前のソルデッロ広場・Sordelloで、
この細長い広場の半分が駐車場になっています。
初回は大変運よく駐車でき、すぐ前のドゥカーレ宮・Palazzo Ducaleの見学を。
 
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昔見た時よりもずっと整備され、見学できる範囲も広くなっていました。

但しこの広場側から見える建物は、正式にはカピターノ宮・Capitanoだそうで、
ゴンザーガ家・Gonzaga以前の街の統治者であったボーナコルシ家・Bonacolsi 
の12~13世紀の建物との事。        



広場に沿って、ドゥカーレ宮の柱廊が長く続きます。
このドゥカーレ宮内部は次々の増築により大きくなった様子で、大変複雑。

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ドゥカーレ宮内部に湖に面した側のお城、14世紀の末から15世紀にかけ建設の、
サン・ジョルジョ・San Giorgioの城があり、
そこに、マンテーニャ・Manntegnaの壁画で有名な夫婦の間・
Camera degli Sposiがあります。

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この写真がその一部ですが、よく分るサイトを見つけましたので、ご覧下さい。
http://www.cameradeglisposi.it/storia.asp

Video、photogalleryの項目で、かなり詳細に分ります。
今回、椅子の下のワン君の名前が、Rubino・ルビーノと分り、笑えました!

ドゥカーレ宮全体のサイトは、
http://www.mantovaducale.beniculturali.it/HomePage 

上のメニューからPercorsiをクリック、その下に出るVideotour dei percordi
をクリックされると、あれこれと城内見学が楽しめます。

ルネッサンスの歴史で有名なイザベッラ・デステが、ゴンザーガ家にお輿入れし、
住んだ城でもあり、500以上もの部屋があるという宮殿、ごゆっくり!



長い建物の中途の門で、庭に通る事が出来ます。

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古い建築物の壁に、よくこの様に赤と白で単純な柄、縞、格子、ジグザグとか
描かれていますが、これが意外と大きな効果を発揮していて、好きです。



門の内側には、こんなフレスコ画の名残が。
単なる紋章だけもあり、デザイン性に飛んでいる部分もあり・・。

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8月末の庭園の模様。
       
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お城の中には中庭に当たる部分、実は2階の高さに庭園を造り、
それを眺めつつ大宴会をする、という大変贅沢で、優雅なお部屋も。



ソルデッロ広場では各種催し物が行われる様で、8月には年代物の車が、
番号をつけて、所狭しと並んでおり、

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で、10月に行った時は、


       
諸国旨い物物産展、開催中!

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年代物の車の時よりも人出が多く、駐車場は満員でぐるっと回ってきて、やっと。
私の横のちょうど空いた隙間に一台滑り込んで来て、運転していた男性が、
ぱっ、ぱっと感謝の十字を切るのが見え、うぷっ、と吹き出すのを、ぐっとこらえ・・!

秋晴れの快晴の空の下、美味しい物を試食し買い込む人々で、大賑わい。
真ん中に見える黒い牛の像は、記念撮影に一役買い、
右に見える紅葉の木は、菰巻きで運び込まれた物。
広場の北側を占める荘厳なバロック様式は、マントヴァのドゥオモ。



これは、シチリアの手押し車で、極彩色の絵が描かれ、飾りたてられた物。

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でも、余り皆さん見惚れないのです。先程の黒い牛とか、もっと先の広場にあった
たくさんの豚ちゃんの像には興味を示して、記念撮影するのに、ね。
やはり、食い物かな、イタリア人には?!


とにかく、あるとあらゆる旨い物、ハム、ソーセージ類、チーズ、蜂蜜、タルトゥフォ、
オリーヴ油、ワイン、オイル漬け食品、お菓子、トルタ類・・。

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イタリア各地の地名が見えます。ソルデッロ広場に繋がる、他の2つの広場でも
開催中で、会場が広い分、美味しい物だらけ!

夕方、この広場に一時解放された!九州からのグループの方々も、
もの凄く嬉しそうにあちこち巡っておられました。 そう、これが旅の大きな楽しみね。



ソルデッロ広場は、一旦こうして終わり、
このアーチの手前側は、ブロレット広場・Broletto。

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ブロレット広場は、上の写真のアーチと、こちらの塔・Torre della Oreに
挟まれた部分で、ソルデッロ広場の半分の広さもありませんが、

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レストランの椅子席が並び、庶民の生活の場が始まる広場、でしょうか。



ブロレット広場の隅のレストランで、ちょっと庶民的なイメージの店。

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shinkaiは、も一つ先のエルベ広場で2度お昼を食べましたが、どちらの店も
美味しかった! どうやら、マントヴァは食道楽の街、の感あり。



これは、ブロレット広場に続くエルベ広場・Erbeの、一番南端の美しい時計塔と、
円形の、ロトンダと呼ばれる、サン・ロレンツォ聖堂。
この背後には、広場いっぱいにラジョーネ宮・Ragioneが長く続きます。

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この写真は昨年初夏の物で、広場の足元が工事中か何かで写したくなく、
狭苦しい印象ですみません。



時計塔のアップ。 15世紀の作で、当時としては大変な精密な時計で、
外側の針が時を示し、中の針が星座を示しています。

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そして月歴、太陽暦も、中の青と金色で現しているのだそうです。
塔の設計は、どうやらレオン・バッティスタ・アルベルティであろうと。



エルベ広場の南西角に、このサンタンドレア聖堂・Sant Andreaがあります。
レオン・バッティスタ・アルベルティ設計で、中にアンドレア・マンテーニャのお墓が。

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マントヴァに、マンテーニャの有名な作品があるのは勿論知っていましたが、
アルベルティの大きな作品もあるのは、今回まで気がつきませんでした。

フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の正面壁のデザイン、ルチェライ宮の
設計でも有名な、あのL・B・アルベルティです。
出かける前にガイドブックで知り、彼の設計した別の教会も見に行きました。 
後ほどご紹介しますね。



こちらは、サンタンドレア聖堂のクーポラ。

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湖越しの街の遠景ではよく見え、その大きさも比較できるのですが、
この辺りは街の一番の中心地で広場が狭く、正面からはこのクーポラが見えずで、
これはエルベ広場でお昼を食べた時の物。



エルベ広場の南側角を占めるこの建物。 「商人の家・Casa del Mercante」
と呼ばれますが、ちょっと面白いでしょう? 今回調べていて、大変興味深い事が。
     
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ご覧の通り15世紀半ばのゴシック建築ですが、ミラノからこの街に来た羊毛商人
ジョヴァンニ・ボーニフォルテ・Giovanni Boniforteの家だったと。

この街で成功し、ゴンザーガ家とも縁戚になった商人で、
今は、窓も単に渦巻きの形が残るだけですが、当時は、薄いラメの板を張り、
朱色で模様が描かれていたとか!
雲の晴れ間から太陽が覗く時、人々の目を驚かせ、間口は狭いものの、
中の装飾もお金が掛かっている様子。

当時にあって、商人がどれ程の力を持っていたかを、どういう商人になりたかったのか、
を示している家と。 3階の向かって右の窓は少し形が違いますが、
ここだけルネッサンス様式が入り込んでいるのだそう。


      
エルベ広場の裏通り、サン・ロレンツォ聖堂のロトンダ、11世紀にこの一帯を
治めていたマティルデ・ディ・カノッサ・Matilde di Canossaにより建設された
マントヴァで一番古い教会との事。 1m半ほど地面を掘り下げての建設。
       
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その向こうに、時計塔の後姿、そしてラジョーネ宮。
かってはこのコンコルディア広場から、ラジョーネ宮の裏通り、そして突き当たり一帯が、
ユダヤ人のゲットーでした。
こちら手前側にも興味深い建物がありましたが、今回は割愛を。



ところで8月末の訪問時、L.B.アルベルティの手になるというもう一つの教会 
サン・セバスティアーノ・San Sebastianoを見に行きました。
 
大変に暑い日で、車を遠くに止めて訪ね歩き、皆さんが教えてくれるピッツェリアが
お休みで探しあぐね、通り過ぎ、最後に偶然尋ねた方が設計家で、
自分の車で連れて行ってくれ、説明までいうおまけ付きの、訪問だったのです。
で、こちらがそうです。

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設計家の説明によると、この前面両脇の階段は20世紀初頭につけられた物で、
本当は、左側に見える柱廊の階段から、上がる様になっていたのだそうで、
当時としては、大変均整の取れた斬新なデザインだった、という事で。
           
      

この教会のすぐ右手に、サン・セバスティアーノ宮と呼ばれる、ゴンザーガ家の持ち物
であった邸宅があり、この教会は15世紀にルドヴィーコ2世の依頼により、
礼拝所として建設され、L.B.アルベルティは、パンテオンを念頭に設計したそう。

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現在は、戦没者のための礼拝堂に用いられている様子。



大変興味深かったのは、教会内部に、アルベルティの設計した建物の
木の模型が幾つもあったのですね。
何年か前に、アルベルティの展覧会が開かれた際の展示物のようですが、

このサンタンドレア聖堂の模型の様に、実際には正面壁しか見れないものが、
周囲の建物群の中でどうなのかが、よく分ります。

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こちらは、大変有名なフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の正面デザイン。
この置かれている場所が余り良くなく、残念です。

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こういった精密な模型を作る人、について興味を持った事も否めません!
調べている内に、このマントヴァに、L.B.アルベルティの財団もある事を知りましたし、
このすぐ近くに、マンテーニャの家もあります。
そちらは見れませんでいたが、当時の大人物2人の接点が感じられた事でした。
             
       
        
マントヴァの街の地図をどうぞ。

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ヴェローナからの高速を降りると、右上に突き出した橋、最初の写真で
ご覧頂いた橋に出ます。
緑色をつけた所がご紹介してきた場所で、街の北東部に固まり、
次回にご案内のテ宮殿・Palazzo Teは一番下、南になります。
   

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