・ オリアーノ村から、コネリアーノに ・ 秋の道、秋の色 

この日曜からイタリアは冬時間になりましたが、日中はまだまだ暖かく、
秋の色がとても綺麗です!

朝から煌くような陽射しのこの日曜の朝、オリアーノからコネリアーノへの道を辿り、
イタリアの、ヴェネトの秋の色を写して来ました。
日本の紅葉と違う、イタリアの、静かな黄葉の秋をどうぞ!

オリアーノ村の教会。
右に見える道をぐっと下って行くと、我が村スコミーゴに続きます。

1-034_GF.jpg

教会との間にもう一本ガードレールが見えますが、この道は丘の上を通りつつ、
ヴィットリオ・ヴェネトの、チェーネダ・Cenedaに続きます。
多分この道が、コネリアーノとチェーネダを繋ぐ古街道だったのではないかと。



オリアーノ村の標高は150程ですので、教会前からの眺めが大変素敵です。
お天気は大変良いのですが、この日は少し靄がかかって残念。
       
2-030_GF.jpg

少し見え難いですが、黄葉の向こう奥に教会の鐘楼が見える所が東隣の村
コッレウンベルトで、その左奥に、サン・マルティーノの村の鐘楼も見えます。
イタリアの町、村には、必ず中心に教会があり、遠くからも鐘楼が見え、
位置がよく分ります。
       


左下に見える葡萄畑の葉の色が、茶色になって来ています。
今年の葡萄摘みは昨年よりも遅かったですが、それでも9月の末には
大方済み、年明け早々の剪定を待つ休暇中。

3-032_GF.jpg

逆光に光る細い草。   
奥に見えるのはヴェネツィアに続く高速道路で、これを通り旅行に出かけま~す。



今回唯一の、紅葉!
これは木ではなく、草ですが、ああ、名前がぁぁ・・。

4-077_GF.jpg



この道を、週に最低5回は往復します。 週2回通うプールもこの道筋にありますし、
コネリアーノに出るのに都合も良いのですが、何度通っても飽きないのです。

5-073_GF.jpg

季節ごとの美しさも勿論のこと、丘を巡り、坂を下り、また上り、
景色を愛でながら、通ります。

この景色の前にも素敵な場所がありますが、カーヴ、上り下りの連続の上、
道幅が狭く、路肩に寄せる場所も無いので断念。 歩くには7k程あります。
       
奥に見える丘の向こうに、コネリアーノの町があります。
夫の入院中、病院から毎晩この道をタクシーで戻っていましたが、一度この道を、
110kmで走られて、肝を冷やした事があります。
街灯などない夜道のカーヴの上り下り。 ご想像を!!



上の写真に見える大きな家の、カーヴを下り、曲がった所です。
一番奥の丘の上に塔が見えますが、あれが、コネリアーノのお城の塔で、
町の北の丘に当ります。

6-082_GF.jpg

中程に広がる茶色の丘、あそこには夏の間、トウモロコシ畑があるのですが、
今すっかり耕されて、土の丘。
冬はずっとこの土の風景が続きますが、コネリアーノからの戻り道は、すぐ近くで
カーヴしているので、目の前に、ワッと、土山が迫り、いつも、ああ、良いなぁ! と。

かなり大きな土山で、今回どうしてもその大きさ、高さが、写しきれずで。
どう撮ったら、あの感じが撮れるのか、消化不良のままです。




今、この坂道を自転車クラブの面々が上ってきますが、この前にも既に2人。

7-084_GF.jpg

イタリアはやはり自転車の人気が高く、平日でもよく見かけます。 が、
日曜ともなると、こんなグループから2人連れやら1人やらに、たくさん出会います。
カメラを向けると、皆嬉しそうに、声をかけて行きます。



これは、先ほどの大きな家の西に見える風景。

8-078_GF.jpg

アルプスからの流れの最後の山々が終わり、この辺りに行く筋もの丘の流れができ、
コネリアーノの向こうは、南にヴェネト平野が、東には、フリウリの平野が開けます。
そんな丘の流れのひとつで、あのまた向こうに丘の流れが見えますね。

靄がかかって本当に残念ですが、
でも、黄色から茶色のハーモニー、イタリアの秋の色は感じていただけますよね?



これは、コネリアーノへの最後の丘の坂道。 こんな風に、松の並木が続き、
大好きな坂道です。

9-048_GF.jpg

スコミーゴ村からオリアーノに上り、そこからの道筋に幾つのカーヴがあったっけ、 
と、思い出しつつ数えてみました。
オリアーノから全部で7つのカーヴ、すべて丘を巡りつつの下り坂ですが、
最後に、この上りの坂道です。

追記:2年前の台風並みの強風以来、この坂道の松並木が全部切られました!
    大好きな道だったのに、今は丸裸の道となり残念。2018.10.18 



上の写真の左に見えた葡萄畑、坂道の上から逆方向に見ています。
葡萄の葉の色が、縞みたいに色が違っているのが、お分かりでしょう。
なぜか知りませんが、とても綺麗。

10-039_GF.jpg

葡萄畑の形のカーヴの様に道がカーヴし、左の中程にちょっと見える
土山を巡って行きます。



葡萄の葉の色を、アップして見ました。 なぜ、こんな風に?! って、
不思議に思われません? 同じ畑で、なぜこんなに色が違うのでしょうね?

11-041_GF.jpg



この葡萄畑、実は大変広く、傾斜地に広がるので、広さが写り切りませんが、
こんな感じに畝が続きます。

12-047_GF.jpg



先ほどの坂道を上り切った所からの眺め。 丘の上にコネリアーノの城の塔が見え、
手前に町が始まりますが、中心街は丘の向こうに。

13-056_GF.jpg

手前の木々の左奥にプールがあり、その右に小さな柵のような物が見える所、
あそこに馬場があります。 厩舎はもっと右奥にありますが、
この春頃、かなり本気に、乗馬を習いに行こうかと・・。
  

     
時々、馬の姿が見える事があるので、ひょっとして、と眺めていましたら、
写真を撮って! という声が後から・・。

14-059_GF.jpg

なに?! と振り向くと、このシニョーレが、すぐ上の小道を、カポッ、カポッと。
わっ、わっ、モチロン、モチロン!!
       


上の坂道を下りきった所にプールがあり、これはその駐車場。
       
15-066_GF.jpg

夏の間は木々の影に駐車してたのが、少し前から、平気で木のない所に止め、
そして先週、プールから出て来た所で、すっかり、景色が変わっている事に気がつき。

黄葉して良い色だったのが、殆ど裸木になり、空が広く見えるようになったのですね。
右奥に大きなお家が見えますが、 この辺り、かっての町外れだったのでしょう、
中心街の、古い何世紀もの建物とは違う大きなお家が、続きます。



広い駐車場に影を作ってくれるシナの木・ティーリオです。

16-067_GF.jpg

初夏に薄緑色の大変香の良い花が咲き、花の終わりには、車の上いっぱいに
カスが落ち、今、ほんの少しの葉が残り。 季節が、また移って行きます。



プールの駐車場からオリアーノまで戻り、教会の裏の景色を覗きに行き戻って来ると、
スコミーゴへの道脇にあるサッカー場で、試合が始まるのに出会いました。

17-091_GF.jpg

観客、親戚、友人、家族の数は、全部で5,6人ほどですが!
ちゃんと正式に隅から列を作って出てきて、こうして一列に並んで、ご挨拶を。



中央でボールを蹴って始まりましたが、う~ん、到底ゴールまでは待てないよぅ!

18-094_GF.jpg

でも、控えの選手が見えない。 皆、元気で丈夫なのか、
それとも、双方、ヨレヨレになるから、同じ事なのか?!



スコミーゴ村に下ってきた所から、オリアーノの教会を。

19-095_GF.jpg

標高は、スコミーゴの方が10m低い、と公式記録にはあるので、
スコミーゴの高い位置にある教会が、その基準なのかも。



郵便局の隣にあるお家のザクロ。 少し小粒ですが赤く熟れて、美味しそう!
イタリアのザクロは、本当に甘くて美味しいのですよ。

20-102_GF.jpg
       


郵便局からの道脇にある葡萄畑。 その奥にある、別の葡萄畑とトウモロコシ畑、
そのまた奥に、早春に緑の花を見せてくれる、野生のクリスマスローズの場所が。

21-119_GF.jpg

これは奥の方のトウモロコシ畑。枯れて、逆光に透き通って見えます。



日中の暖かさのせいか、北からの風が遮断される位置だからなのか、
まだ、タンポポが咲き、丸く白い、旅立ち準備OKのも。

22-114_GF.jpg



スコミーゴ村の葡萄畑。 ここの葉は、まだ緑がたくさん残り。

23-116_GF.jpg



スコミーゴ村のはずれ。 見事な葡萄畑の畝が続き、まだ平地の畑よりも、
茶色が少ないような。

24-028_GF.jpg



我が家のテラスから、コンドミニオの庭を。 常緑樹の植木の緑、草の緑、
黄葉、そして落ち葉の茶色。

25-124_GF.jpg

今の季節、朝、テントを上げて見るイタリアの秋の色。


*****

ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!


*****

コメントの書き込みについてのお願い。

ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、  
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。

・ バロックのフィレンツェ ・ レッチェ n.1 

今日は、月一ゲストのグロリオーザさんの写真とコメントで、
レッチェ・Lecceをご案内いたします。 ではどうぞ!
**

今月と来月は、プーリア州南部の都市レッチェを紹介です。
長靴の形をしたイタリアのかかと付近、サレント半島に位置する
中心都市です。
この街は旧市街が至る所バロック芸術で埋めつくされており、
”バロックのフィレンツェ”と称されます。

バロックといえば、ローマのナボーナ広場の彫刻などで有名な
ベルニーニが代表的な彫刻家ですが、ここレッチェのバロックは
スターはいない代わりに、個々の職人たちが腕を競った
総合的なバロックの面白さを見せてくれる場所だと思います。

ただ、その典型は次回に回して、
今回はドゥオモ広場を中心とした、優雅な風景をお見せします。

 
まずは古代遺跡から。 街の守護聖人の名を冠した
サントロンツォ広場・S.Oronzoのすぐ横に、ローマ時代の
円形闘技場があります。

1-17_GF.jpg



1900年に建築工事が行われた際、
地下に埋もれていた、この遺跡が発掘されました。

2-26_GF.jpg



そこから少し行くと、ジェズ教会があります。
ジェズ教会といえば、ローマの教会もバロックの代表的なものですが、
ここのジェズ教会もまたすごい。 よじれたような円柱が祭壇を
取り巻き、まるで中尾彬のねじねじがずらりと並んだような壮観さです。

3-03_GF.jpg



それに彫られた彫刻もこんな風です。

4-22_GF.jpg



街の中心・ドゥオモ広場に向かいましょう。 大聖堂、鐘楼、司教館
などに囲まれたこの広場は市民の憩いの場所です。

正装したカラビニエーリのグループがいたので、何があるのか聞いた所、
友人の結婚式だということでした。
ちょっとブラッド・ピット似のハンサムを記念撮影。

5-42_GF.jpg



広場に花嫁が到着。 まるで映画のワンシーンのような光景でした。

6-46_GF.jpg



一緒に中に入れてもらって、式の模様を一枚。
とても厳粛で美しい式でした。

7-55_GF.jpg



このドゥオモのクーポラ。 天井画が描かれています。

8-16_GF.jpg



この後少しカフェで休んで外に出たら、虹がかかっていました。
南イタリアでは初めて見る虹です。

9-60_GF.jpg



広場に戻ったら、鐘楼が夕陽で赤く染まっていました。

10-02_GF.jpg



ライトアップが始まったドウオモ広場の光景です。
この写真ではあまりよくわかりませんが、いつの間にか沢山の市民が
広場に集まり始めました。

11-97_GF.jpg

南イタリアでは、昼間はまるでゴーストタウンを思わせるような静けさの
街並みが、夕方以降はお祭りの最中のように人が湧き出してきます。



そんな広場で、昼のカップルとは別の新婚さんが花嫁衣裳のまま
散歩していました。

12-99_GF.jpg

イタリアでは結婚式の後、市内の名所をこうして回り、
写真を撮るのが習慣なのだそうです。
この日は日本で言う大安だったのか、何組ものカップルに出会いました。



広場に闇が迫り、空のアズッリが目に沁みます。

13-20_GF.jpg



広場からヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りに出る角の建物には、
聖人たちの彫刻が飾られています。

14-34_GF.jpg



すっかり暗くなって、ドゥオモの建物が光り輝きます。
南イタリアで最も美しい広場といわれる所以です。

15-36_GF.jpg



旧市街と新市街を分けるルディアエ門・Rudiae.

16-40_GF.jpg

レッチェに滞在した3日間に、この門を何度もくぐって街歩きを
しましたが、この日は宿に帰ります。


***

今月のレッチェのご案内、如何でしたか?
レッチェは、夫の妹のご亭主の故郷なのですが、
ヴェネツィアから遥か遠~い、南イタリアと知っているだけで、
実際には、どこにあるのかも知りませんでした!
今回、遅ればせながら、ははは、
ウィキペディアと地図で、確かめたという次第です。

で、このご亭主の姓は、トゥレ・3と言うのです!
一体、何に由来するのでしょうか?
そんな事なども、久し振りに思い出しました。

来月の、バロック三昧も、お楽しみに!

*****

ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!


*****

コメントの書き込みについてのお願い。

ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、  
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。

・ n.2 駆け足ながら、 ローマの休日! 

天正4少年使節のご縁により、九州大村からの皆さんと共に、ローマの街も
駆け足ながら見る事ができましたが、ここでは、2日目に拝見した連判状なども。
では、ローマの休日2日目をどうぞ!

翌10月1日には、既に見て頂いた様に午前中、ヴァティカン訪問があり、
で、午後はまたバスに乗り、街中を通過して行きます。

こちらはご存じ、カステル・サンタンジェロ城。 プッチーニのオペラ「トスカ」の
舞台でもあり、ヴァティカンから、イザと言う時の秘密の抜け道が通じていると。
       
23-035_GF.jpg



この橋は、ヴァティカンから繋がるヴィットリオ・エマヌエル橋と思うのですが。
テーヴェレ河の水量も少なめ。

24-036_GF.jpg



本日も交通警官の目を気にしながら、禁止地点でバスを大急ぎで降り、
カザナテンセ図書館・Casanatenseに向かいます。
途中通りすがりに素晴らしい建物の中庭を。黒塗りの車に運転手が待機中。

25-037_GF.jpg



カザナテンセ図書館、という名は始めて聞きましたが、こんな場所を訪れる
チャンスも、今回の天正4少年使節のご縁なのです。

場所はパンテオンの少し東、サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会隣接。
17世紀末に、このドメニコ派教会に接し、カザナーテ枢機卿の意向により、
一般に公開する図書館として発足。
現在は35万冊以上の蔵書を抱える国立図書館で、毎日一般公開との事。

26-040_GF.jpg

我々は、この写真の左奥の入口から記念の大図書室に入りましたが、
かって教会付きの図書館としてあった時は、この位置の後の扉が入口で、
こういう印象で、図書室に入った訳ですね。
この素晴らしい眺め! そしてなんとも言えない古書の匂い! 涎が垂れそう・・!
       


この大広間には、かってのままに6万冊に及ぶ古書が収められているとの事。
本棚の上にはその部分の蔵書内容が示され、蔵書は百科事典的に全ての項目と。

27-041_GF.jpg

部屋の一番奥左にエトゥニカという項目があり、その場所には日本に関する本も。

一階部分の本棚には、この写真ではちょっと見え難いですが金網が張ってあり、
勿論泥棒除けで、図書室入口の上には、本泥棒は破門するの額も!

本の上に見える帯状の物は茶色の皮ですが、これで本の上に溜まる埃を防ぎ、
本の高さを一定に見せる美学的な物!



特別に見せて頂けたものが、この本。 4少年が8年半に及ぶヨーロッパ旅行からの
帰国途中、マカオでイエズス会の神父とした会話集の本です。

28-043_GF.jpg

下の方にAnno 1590 とあるのが見えますか? で、この本はラテン語ですが、
イタリア語訳にして出版した本もあり、それも見せて頂けました。
 
当時マカオには、イエズス会の大きな支部があり、印刷機も備え、
後には神学校も創られた、ヨーロッパと東洋を結ぶ街だったのですね。



次に見せて頂けたのが、司書の方達も殆ど見た事がないという貴重な物。
こんな、本の形をした箱に入っていました。

29-045_GF.jpg



これです。 1622年の年号の入った、やはり九州大村一帯からの連判状。
最初の一行の初め、日本国貴理志端 は読めますが・・。

30-047_GF.jpg



ヴァティカン図書館で見せて頂いた、美しい柄入り、金箔をちりばめた紙と違い、
巻紙に大変に長い文章が続き、そして、村の名前の後、名前、花押。

31-048_GF.jpg

連名もかなりの数で、数を忘れました、そして最後にこれが貼り付けてあります。
文の内容をラテン語に訳し、連判状が本物である事を証明したもので、
この中に1622年の年号が見えます。



連判状は同じ物が2つ作られ、1つは最初にラテン語で文章を書き、それに連判して
いる物で、横書きの文章が最初に来るので、同じ巻紙ですが、
左端から始まり、右に続いていきます。

32-050_GF.jpg

1622年というと、ヴァティカンで見せて頂いた連判状とほぼ同じ年代で、キリスト教の
弾圧が始まっていたのでしょう、危機感を抱き、悲痛な思いで記したものと。
   

    
ラテン語の文章を読まれているのは、図書館の副館長と思われるアンドレア氏。

33-052_GF.jpg

この図書館には手描きの写本をはじめ、手書きのパガニーニの楽譜、
そしてご覧のように、一連の版画によるローマ風景、肝心な有名作者の名が出ない! 
など、ご自慢の貴重な蔵書があるようです。



今回は、このスペイン広場に行けなかったので、ローマの休日の一部としてこれを。
まだ舗装されていないスペイン広場。

34-039_GF.jpg

カザナテンセ図書館のサイトはこちらに。英語版もありますので、どうぞ。
http://www.casanatense.it



カザナテンセ図書館を出てバスに乗る為少し歩き、ちょうどカンピドーリオの前を。
       
はい、奥に見えるのがローマ市庁舎で、この階段を上がった所に広がるのが、
ミケランジェロ設計の美しい広場ですが、横目で睨みながらバスに急ぎます。
       
35-055_GF.jpg

それにしても、本当に車が多い!



すぐ近くにバスが待っている向こうに、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会が、
あの「真実の口」で有名な教会が見えました。

36-056_GF.jpg

ここも前をバスで通りながら、「真実の口」の前に並ぶ人々をちらり。
今見えている一番左のアーチの内側にありましたっけ。



チルコ・マッシモの横を通って、ホテルに戻ります。
映画「ベン・ハー」の、戦車競争のシーンでお馴染みの、といっても実際は
セットが作られたそうですが、そして先年はサッカーの世界大会で優勝した時の
歓迎大会が行われた思い出の場所。

37-058_GF.jpg

細長いチルコ・マッシモの向こうにずっと続いて広がるフォロ・ロマーノの遺跡。
巨大です!



チルコ・マッシモは、長さ620m、幅120m、15万人収容の競技場だったそうですが、
今は散歩や、ジョギング場所の様子。
散らばって見える人々の大きさから、この競技場、そして背後のフォロ・ロマーノの
巨大さをご想像下さい。

38-059_GF.jpg

それにしてもローマ人の建造物は凄い! 巨大さ、遊びに対する真剣さ、
イメージの豊かさ、そして2000年後の今も残る、頑丈さ!!



3日目の朝に行った、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ教会と、最後に訪問の、
サンタ・マリア・マッジョーレ教会は省略し、

これはローマの休日の最後にと、終着駅構内を。

39-072_GF.jpg

ご一緒したグループと一旦別れ家に戻り、再度マントヴァで合流させて頂いたので、
その様子はまたご紹介いたしますね。
       

◆ JTBに抗議を ◆
長い間、ツァー旅行なるものに参加した事が無くかったので、
今回の経験で驚き、少々腹の立つ事もありましたので、ここに書きます。
         
ローマの宿はフィミチーノ空港に近いホテルで、4つ星の、部屋は綺麗で
静かななかなか良い物でしたが、なんともお粗末な食事で驚きました!

ここに2泊で2晩とも夕食はホテル代込み。最初の夜は、パスタとロースト・ポーク。
私は肉を食べないので他の物を頼み、蛸の足が3本出て、少し固めでしたがまぁまぁ。
そしてデザート。
2晩めは、パスタの後ビフテキとの事でしたが、薄い皮の様な、何時間も前に焼いた、
巻いた焼肉が出て、食べた皆さんのお話では、固くて味も素っ気も無く、
ソースは無いのかと訊ねると、そのままとの事で、皆さんは塩コショウで調味して。
で、私には何が出たと思いますか? 薄いトマトのうす切りを3切れほど敷き、
その上にモッツァレッラ・チーズの小さいのが3つ。

まったくあきれ果てました!!
4星のホテルの食事とも、イタリアのホテルとも思えません。
近所に食べにも出れない田舎のホテルに缶詰にして、おまけにこの食事。
日本人は小食で、文句を言わない、を悪く利用しているのです。
こういうホテルを選ぶJTBの神経が知れません!!
       
付いてくださったガイドさんは、大変優秀で、気配りの優れた女性でしたが、
JTBの仕組みで他は端折っても、他にお土産を買う時間がありませんからと、
三越に連れて行かれるのです!

今時日本には、何でも揃っているのでは無いですか?! 
何十年も前ならいざ知らず、まだこんな旅行をさせるのです。
今回の旅行は、天正の4少年の旅を辿る目的がありましたが、
でも折角のイタリア旅行なら、何も日本のデパートでも見れるような物でなく、
一般の店、美味しい食事等など、なぜそういう物に触れさせないのでしょうか?!
      
JTBの、海外旅行に対する昔のままの見識!
旅行に参加される方達が、今、既に何を知り、何を見たいと思っているのか、
改めて大いに考えて欲しいものです。
イタリアに住む者として、イタリアはもっともっと面白く、美味しい国と
知って欲しいと、切に願います。            

*****

ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!


*****

コメントの書き込みについてのお願い。

ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、  
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。

・ n.1 駆け足ながら、 ローマの休日!

天正4少年使節のご縁により、九州大村からの皆さんと共に、ローマの街も
駆け足ながら見る事ができました。
「ローマの休日」というには、バスの窓からの風景が多いのですが、
その代わりに普通では見れないものもご覧いただけますから、 
有名すぎるローマの名所と一緒に、どうぞ!

9月30日の午後早く、フィミチーノ空港で日本からの皆さんと合流し、
バスで市内観光に。
       
このいっぱいに広がる壁、これコロッセオ。 バスで南から行きましたので、
いつもご覧の写真とは違う裏側からの眺めですが、やはり大きい!

1-002_GF.jpg



正面に見えるコスタンティーノ帝の凱旋門。 315年に建設され、高さ28m.
修復され白く、大変美しかったです。

2-004_GF.jpg

右奥にコロッセオが見え、この道筋左側一帯にフォロ・ロマーノが広がりますが、
今回は遠くから眺めるだけ。



凱旋門の右上部分。こういったモチーフも逸話があるのでしょうが、
駆け足で、おお!と眺めるのみ。

3-005_GF.jpg

このコスタンティーノ帝が、313年に多神教からキリスト教に改宗、
キリスト教による国、政府が生まれたのでした。

昨日まで迫害の対象だったキリスト教が、突然に最大の勢力を持つ国教となり、 
その推移は1世紀にも満たない内に行われ、制度、階級、文化、意識 ecc、
大変な混雑を呈したと言われます。
       


半分裏側から眺めるコロッセオですが、左に見える途中で切れた層、
これが本当は外側を全部覆っていたのが、何年だったか(!)地震で崩れ、
その後さらに崩れ、建築資材として持ち去られ、今の姿との事。

4-006_GF.jpg



歩いて一周し、この場所に20分後にとかで中には入れずぐるっと一周。
まぁ、一度昔入った事があるので。 とはいえ、入口があるとやはり覗き込みます。

5-007_GF.jpg



周囲の石畳。 石が大きく見事にすり減っています。

6-008_GF.jpg



いわば表側に来た所に、馬車が待機中。
さすがぁ! と言うほどの人込みですが、観光馬車は暇そう。

7-009_GF.jpg



ローマ兵士の扮装で、写真のモデルを努める男性2人。 ガイドさんによると、
5エウロ位取られますと。 兵士とは言え、余り品が良くなかったなぁ。

9-010_GF.jpg



内部の通路から見下ろす人々。

8-011_GF.jpg

構築の石が本当に大きい! 一つの大きさが、2トンほどもあるそうで、
中世の石工の親方は、このローマ期の大石を積む技術を持たなかったとか。

ボコボコと開いている穴は、ガイドさんの説明によると、支柱に使われていた
鉄棒を抜き取るために開けた穴だとか! 鉄の支柱は穴に差し込んだ後、
鉛を流し込んで固定していたのだそうで。



天正の4少年使節が1585年3月にローマに到着した際、
最初の夜をこのイエズス教会の修道院で過ごしたのだそう。

10-013_GF.jpg

彼ら4少年をローマに送り出すよう取り計らったのは、当時のイエズス教会の
監察官として日本に来ていた、ヴァリニャーノ神父ですし、
イエズス会が布教に努めていた理由にも寄るのでしょう。



日本に布教に来たフランシスコ・ザビエルが、イエズス会の神父だったのはご存知でしょう。
イエズス会を創始したイグナティオ・ロヨラのお墓もこの教会内にある、
いわばイエズス会の大元で、バロック様式の大装飾で覆われています。

11-015_GF.jpg

ロヨラのお墓は、左手奥に青く見える修復幕が半分かかった場所で、
ラピスラズリの石で装飾された、凄い礼拝堂でした。



ロヨラのお墓の向かい合わせに、ザビエルのお墓というか、礼拝堂があります。

12-018_GF.jpg

ザビエルは日本から中国に向かう途中で亡くなり、彼の右手のみがこうして戻ってきた
というわけで、う~む、余りはっきり見えない写真を選びましたぁ。



表に出て来ると、こんな格好で写真を撮る女性が!
うん、傑作を狙うのも楽では無いですねぇ。

13-020_GF.jpg



ローマ市内観光用のバスで、2階席は青空天井というわけで、色々な色のバスが
走っているのを見かけました。 水色、若草色、そしてこの大派手なヤツ。

14-014_GF.jpg

場所はイエズス教会のすぐ前の交差点。 カンピドーリオの丘にも程近い中心地で、
大変な交通量。 で、遠くの方で救急車のサイレンが聞こえ始めたものの、
この交差点に来るまでにかなりの時間が・・!



コロッセオからのフォーリ・インペリアーリ通りの北端、ヴィットリオ・エマヌエル記念廟。
       
15-022_GF.jpg

バスのガラス窓が反射して申し訳ないですが、廟の向かっての右側が修復中で覆われ、
手前の工事の覆いは、新しい地下鉄の工事に入ったとか。 少し掘れば、
何かの遺跡にぶち当たる永遠の都、ローマ。 この工事もきっと長い事でしょう。



フォロ・トロイアーノの遺跡群。 トロイアーノ帝の戦勝行幸図が浮き彫りにされた
高さ40mの円柱が見えますが、 う~ん、これもバスの窓から。
手前にフォロ・トライアーノと呼ばれる商業活動で栄えた市場の遺跡が広がります。

16-025_GF.jpg

この遺跡は始めてみたのと、後ろにそびえる現代のビル群との対比で、かなりの迫力。



フォロ・トライアーノの市場の建物跡、といってもかなりはっきり建物群が残っています。

17-024_GF.jpg

正面に見えるアーチの続く建物は、1階部分が野菜、果物などの生鮮食品の店、
2階の小さいアーチが続くのは、ガイドさんによると、輸出入の事務所だったとの事。

全体としては約150店あったそうで、東洋の絹物や香辛料の店も。
内部の建物からの見学が出来そうで、次のチャンスには!



市場の建物に続いてのこのバルコニーの建物、赤い旗が見えますが、
これはマルタ騎士団の所有物との事で、赤い旗の真ん中に白い十字が見えます。
    
18-023_GF.jpg

ローマ期の遺跡、中世の騎士団、そして現代のビル、やはり、ローマは永遠の都!



さて、バスの窓からコロッセオが見え、この姿がいつもの姿なのですが、
道の半分右側が敷石工事中でこんな有様。
       
19-026_GF.jpg

ガイドさんによると、8月に始まった工事で、夏休み中に済むという説明だったそう。
あはは、誰も信じてはいなかったでしょうねぇ?!
来年の6月2日、この通りで行われる共和国記念のパレードまでに、さて?



ローマの休日、と言うからにはこのトレヴィの泉ははずせませんよね。
昔来た時は修復中で、後全部が覆われていましたから、お初のお目見えです。

20-028_GF.jpg

嘘みたいに水の色が綺麗ですから、泉の底に色が塗ってあるのでしょうね。
それにしてももの凄い観光客で、泉の傍に行くにも一苦労でした。



この写真はヤラセです。 いえ、私がヤラセたのではなく、彼ら2人がカメラを構え、
目の前でして見せて下さったので、折角ですから、ではと私めも便乗し、はい。

21-029_GF.jpg



泉の傍で警戒中の(何を?!)カラビニエーリ2人。
まったくのにやけ顔で、次々と観光客の注文に応じて写真に納まるのがお仕事!
      
22-027_GF.jpg 

この後バルベリーニ広場の噴水脇を通り、三越にお土産を買いに連れて行かれ!  
戻り道は既に暗く、大変なラッシュに出会い、ヤレヤレとホテルに戻り、
初日の半日観光はオシマイに。


*****

ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!


*****

コメントの書き込みについてのお願い。

ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、  
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。

・ ヴァティカン訪問 ・ 天正4少年使節のご縁により

今日は、イタリア・ローマをご訪問された方も、まだの方も、
皆さん良くご存知のヴァティカン訪問記です。

が少し違うのは、今回の訪問は天正の4少年使節のご縁に寄り、九州大村を
中心とする方々のヴァティカン訪問について行き、
教皇様の一般謁見の会場にも、図書館内にも入る事が出来ましたので、
その様子をご覧頂きますね。 では、どうぞ!

10月1日の朝8時、ローマは、ヴァティカン市国に向かいます。 ホテルは
フィミチーノ空港に近い街外れ、大体バスで1時間ほどの距離ですが、さて・・。

1-001_GF.jpg



九州大村を中心とする20人近いグループの方々は、半数程がクリスチャンの方、
そして神父さまと、4少年の一人、中浦ジュリアンのご子孫に当る方。
中浦ジュリアン神父は帰国後のキリスト教の禁教で、4少年の内唯一殉教された方で、
この11月に福者に列せられるのを機会にこうしてやって来られたという事で、

横断幕を用意されていて、これがその縮小版で、バスの中でご披露中。

2-002_GF.jpg

教皇様、万歳! 中浦ジュリアン神父の列福に感謝するため、
そして日本人188名の殉教者のため、日本の長崎、大村からやって来ました。

道に見える車がかなり混雑し始めている事に、ご注目!



いよいよ中心地に近くなると大混雑! ヴァティカンに近い、と言いつつ進みません。
前も後ろも、横も、満杯!  毎日通勤の方々、ようやります!

3-003_GF.jpg



大体1時間の予定が1時間半かかり、ああ、やっとヴァティカンの大クーポラが!

4-004_GF.jpg



地下の駐車場にバスが入り、広場に出る途中、地下通路にこんな広告が。
ライトが映っていますが、誰か分ります? トッティと奥方のイラリー。

5-005_GF.jpg



遂にサンピエトロ広場に到着。 やはりこの快晴の広場では記念撮影をせねば、ね。 
はるばる、やって参りましたぁ!
    
6-009_GF.jpg

ここに来るまでに、既に一度検問通過。



大変な快晴でどんどん温度が上がります。 広場の大噴水が気持ちよかとねぇ~!

7-010_GF.jpg



そして次の検問を通り、列柱の間を進みます。

8-011_GF.jpg



先ほどの検問通過から、この許可書が必要となります。
左下の太字、REPARTO SPECIALE・特別区域、にご注目を!

8-2-51_GF.jpg

わが生涯で最初で最後の経験でしょうから、見せびらかしをご容赦願いま~す。
そして、参加させて下さった大村の皆さん、有難うございましたぁ!! 



そして最後の検問。 水色の許可証をひらひらさせて通過します。

9-012_GF.jpg



広場の聖堂への階段が始まる位置にこんな楽隊もおりました。
我々はもうちょっと上に上がります!

10-013_GF.jpg



教皇様の座られる椅子を取り囲むように設えた席が、我々の位置でした。
券に番号がありましたが実際は早いもの順でして、前から10列ほどは既に満杯!

法王様のお出ましは10時半。じりじりと焼きつく様な陽を浴びながら、
あちらを見、こちらを見あげ・・。

11-014_GF.jpg



中央上部のキリスト像もこんな角度で。
2000年の大聖年の際の大修復で、サン・ピエトロ聖堂の正面壁は大変に美しく。

12-021_GF.jpg



サン・ピエトロ聖堂の正面壁、向かって右上角にこんな時計がありました。

13-022_GF.jpg

左上にある時計は正確で、イタリアの実の時間でしたが、この時計が何処の時間なのか、
2時間10分ほどか、遅いのです 。どなたかが、遅れているのだろうと言いましたが、
まぁさか、ヴァティカンの時計が不正確とは考えにくく、ご存知の方、お教え下さい!



我々の前の列に陣取るグループの女性。 例の横断幕を広げる練習を重ねていると、
物珍しげに写真を撮ったり、日本からかと話かけたりするので、
どこからですか、と聞くと[クロアチア]と。

14-019_GF.jpg



と言ううちに、中央のドアからスイス衛兵が2人、階段を下り場所を占めます。
お出ましだ! と待つうちに広場の向こうの端の方から、歓声が上がり、
その声が徐々に近づいて・・。

15-015_GF.jpg



椅子の上に立っても皆立っていますし、背も横幅も大きい人ばかりなので、
椅子席の列の間を抜け前に行くと、同じように考えるのが他にもたくさんいて、ははは、
一番前列の女性が「私ら、7時から並んでいるのに」と文句を言うのが聞こえましたが、
まぁ、隙間から覗いているので勘弁してもらい・・!

と、教皇様の車がゆっくりと階段を上り、ぐるっとお席の後まで来て停まり、
という所で、この一枚!

16-016_GF.jpg

思いもかけず、大きくしっかり撮れたので、ローマから一度家に戻った際に印刷し、
グループの皆さんに一枚ずつ記念に。



これは、教皇様のお車と護衛たち。 車のナンバーは、SCV1、ヴァティカン市国1、
やはりおベンツで、フィアットではダメなの?!

17-017_GF.jpg



これが、我々の席から見えた教皇様。

18-020_GF.jpg

聖書の一説を、フランス語、英語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語の順で話され、
それが済んで後、同じ言語の順で今日の謁見に臨んでいるグループ紹介がされ、
名前が上がるグループは一斉に声を上げたり、歌を歌ったりで、アピールを。
       
英語の時に、日本の長崎の・・、との紹介で、打ち合わせの時は皆で、
ヴィーヴァ・パーパ!と叫ぼうと言っていたのが、・・なかなか!
いぇ、私はインディアンみたいに、イェーイ!と前の方の人が振り返るような声をね。
        
グループの紹介に、教皇様がその言語でお話をされ、それが結構長い時間で、
見事にまた日に焼けて。



一応お話が済み、枢機卿たちのご挨拶がはじまり、我々は席を立ちました。
次のお約束、ヴァティカン図書館への時間が30分以上も遅れていますが、
やはりこういう位置からの風景は見逃せませんよね。

19-023_GF.jpg



かなり下りてきた場所から、こんな風によく見えましたが、横には大スクリーンがあり、
中継もされてもいるのですね。 でもね、やはりあの場所に行った、というのが・・!

20-026_GF.jpg



検問所にいたスイス衛兵の背中を一枚。 背中の真ん中と、両側斜めに2本、
襞の間の切れ目は、ダーツが畳まれているのを発見。 見えますか? 
背中の筋肉に合わせているのですね。

21-027_GF.jpg

このスイス衛兵の制服は、個人寸法に従い、300幾つかのパーツで、
全体の重さが4キロとか、とにかく世界の制服の内で一番重いのだそう。
近くで見るとこれは夏服らしく、生地が薄めでした。
それにしても、素敵な後頭部!



広場から列柱の間を通りぬけ、いよいよヴァティカンの建物の中に。
中庭に通るまでに2つの検問所。 でも既に連絡が届いており、すんなりと。

図書館の中で、マジーニ館長のお迎えを受け、見せていただけた物はこれ。
1620年代に、九州大村のキリシタン達から届けられた連判状です。

22-030_GF.jpg

ご覧のように、大変美しい柄が入り、金箔を散りばめた紙に・・・、



こうして、名前を記し花押も書かれたもので、左上にラテン語訳がなされ、
その下に、ローマ字で名前が記されています。

23-029_GF.jpg

1602年にはキリスト教は禁止されたと言う事ですから、この連判状が書かれた時は
禁教となって既に20年経っているわけで、それでも、こうして信仰を守っていた人々が       
教皇様に書状を差し上げた事になります。



マジーニ館長が、大変美しい文章であるとラテン語を訳して下さり、内容は、
キリスト教信者への弾圧が始まり、それに対し、我々は心を備え、
神のお力を借りて立ち向かいますという、覚悟の程を示す、大変感動的なものでした。

24-028_GF.jpg

若桑みどりの[クワトロ・ラガッツィ」を読むまで、当時の日本に何十万にも及ぶ
キリスト教信者が存在した事も知りませんでしたし、
当時の日本の貧しさ、また信仰に至る心の動きを考えた事もありませんでした。

が、400年後の今、この悲痛な連判状を見ると、死に至る覚悟を決めたとはいえ、
やはりその思いを吐露したかったのだろう、聞いて欲しかったのだろう、と
心に染み入るものがありました。



拝見した図書館は、実はドア1枚で、博物館に接していて、大変ご親切に特別に、
鍵のかかったこのドアを開けて下さり、博物館に入り、ドアの上に描かれていた、
4少年の壁画を見れるようにして下さいました。
    
この写真の奥に見えるドアがそれで、これは逆に出口に向かう際に写したもの。

25-037_GF.jpg



これが、行幸図。 天正の4少年達は、1585年にローマに到着、ヴァティカンで、
グレゴリオ13世の謁見を受け、後のイタリア各地でも大歓迎を受けました。

26-032_GF.jpg

この行幸図は、その様を描いたもので、一番下の列、真ん中左寄りに白い衣装、
赤いマントの教皇様が見えます。
マジーニ館長の説明によると、その上の列左端に4本の赤い傘をさした騎上の人物が    
4少年だという事で、そう言伝えられているとの事でした。
       


この左端の4つの傘の人物が4少年だ、という説は今回来られたグループの、少年使節の
研究を続けられている方々にとっては初めて聞く説、という事で、皆さん驚かれ、
私も写真を撮りました。

27-034_GF.jpg

で、一旦家に戻った際に見てみますと、ご覧の通り、日本風な傘はさしていますが、
横顔も西洋風な高い鼻をし、とりわけ顎鬚が皆さん白く、かなりの年配者に見えます。



一方こちらは、真ん中の列の右寄りに3人、そして一番上の列の右端に1人、
騎乗の人物が続きますが、従来は、これが4少年という説だったそうです。 
如何? こちらの方が横顔も丸く、帽子の下に見えるもみあげも黒く見えませんか?

28-033_GF.jpg

4少年、と言いならわされるとおり、彼らは13歳から16歳の少年だったのです。
という事で、やはりこちらが4少年と思うのですが如何でしょうか?


この壁画を拝見した後、もっと凄い事に、ガードマン先行で、ヴァティカン博物館内の
道筋を逆行し、(細い廊下の通行には先方を一旦止めて!)
システィーナ礼拝堂も見る事ができたのです!!

23年前に一度、ミケランジェロの有名な壁画の礼拝堂は見ているのですが、
修復されて後は初めてなのです。
大変色が美しく明るくなり、肌色も綺麗、衣服の黄色、ピンク色も鮮やかで見とれました!



長い長い廊下を歩きながらの、外の緑。 北イタリアでは既に黄葉、落ち葉が
始まっているのに、ローマのこの緑! 目に沁みるようです。

29-035_GF.jpg



博物館の廊下を歩きながら、ガイドの女性が教えてくれた地図。
よくご覧下さいね。
左端中程の位置にイタリアは見えますが、日本が無い!!

30-036_GF.jpg



有名な螺旋階段。 今回は上から見ただけ。

31-038_GF.jpg



という事で、ローマのヴァティカン市国訪問は、この出口の写真で終わりです。
かってはここが入口でしたが、今はこの写真の左手に変わっていました。
     
32-039_GF.jpg

天正の4少年使節のご縁で、思いがけないヴァティカン訪問が出来ました。
来られた皆さんとご一緒に、ローマの街中もチラッと見ましたので、
ローマの休日もご覧頂きますね。 お楽しみに!    
    
   
*****

ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!


*****

コメントの書き込みについてのお願い。

ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、  
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。

・ ペルージャ ・ 街の中心を、ほんの少し

今日はこの5月に行ったウンブリアの州都ペルージャ・Perugiaの、
ほんの中心のご案内を。

ペルージャは人口16万ほどで、有名な外国人大学もあり、ローマからの
鉄道便も比較的便利で、訪問された方も多いと思います。 
快晴、青空のペルージャをどうぞ!

1-098.jpg

ウンブリアに行った時にトーディに3泊して後、アッシジのカレンディ・マッジョの
お祭りを見に移動する際に半日寄ったのでしたが、
       
ペルージャもエトルスク人によって開かれた古い歴史ある街で、街の古い
中心地は丘の上! 駐車してスカラ・モービレで上に上がり、
もひとつのスカラ・モービレで街の中心に上れる筈、が、1つ上がった所で
次を探しそこね、坂道を歩いて上りました。

地図で探したものの、これがどこの門か特定できず、が、ほぼ中心地に近い門。
細長く、高く、暗く・・、久し振りに感じた威圧感!



街の門をくぐり、一番の中心通りのヴァンヌッチ通り・Vannucciと平行に走る
バリオーニ通り・Baglioniを少し歩き、ふと横を見ると、
このプリオーリ宮・Palazzo dei Prioriが!

2-099.jpg

3-104.jpg

そう、今回のペルージャ訪問はこのプリオーリ宮にある国立ウンブリア美術館で
開催中の「ピントリッキオ展・Pintoricchio」を見るのが目的だったのですが、
大きなポスターが見えます。


ペルージャは2回目、23年ぶりの訪問! 先回も中心街そして美術館も見、
ここの至宝のピエロ・デッラ・フランチェスカの祭壇画も見ているのですが、
この街の大きさ、豊かさ、凄さを、私は忘れていました。

最近、ウンブリアのあちこちを見て回りつつ、小さな古い町の大きさを自分の尺度
とする様になり、その感覚で街の最初の門をくぐった時、大変な威圧感を覚え。
多分私のこの感覚は、かって中世の人々がこの街を訪れ、門をくぐる時に感じたのと、
大差ありますまい!



プリオーリ宮は13世紀末から15世紀の半ば、この街が一番繁栄した時代の建物で、
イタリア全体においても中世建築の主たるもので、古く、厳しく、そして優雅です。

プリオーリ宮、そして国立ウンブリア美術館の正面入口、上の部分。
7層のアーチ、全面に施された浮き彫り。 水色のカーテン部分が美術館です。
       
4-105.jpg



上の写真、半円部分の像。 いえなに、一番左の像の人物が
如何にも若く清らかで、なんとなし、童貞さま、という言葉を思い出し!

5-107.jpg



正面入口扉の両脇にいるライオン君が、どちらも今にも泣きだしそうな顔で、
先回も写真を撮り、時々思い出しては笑っていたのでしたが、       
やはり今回もお変わりなく、ははは。

6-110.jpg



今回のピントリッキオ展の一番の目玉、サンタ・マリア・デイ・フォッシの祭壇画。

7-43.jpg

ピントリッキオは1454年ペルージャ生まれ。 この祭壇画は自分の生まれた街の為に
描かれた物だそうで、大変に細密。 この凝った細部の美しさで、彼の絵は人気が
あったそうで、確かに、素晴らしく美しいもの。



祭壇画の中心の聖母子部分。 大きな天井の高い美術館の広い部屋で、
殆ど一人で楽しむ事が出来、両脇にヴィデオが置かれ絵の細部も辿る事ができ、
まさに驚きでした。

8-52.jpg

背景の風景の中、旅人がおり、宿屋らしきものがあり、ベンチに腰掛け遊ぶ男、
働く農民、揺れる木々・・。 まさに細部に凝る画家の、真骨頂で、
到底、実際には見れないものまで楽しめました。

カタログに名前の見えるペルジーノ・Perugino、彼もこのウンブリアの近くの町、
チッタ・デッラ・ピアーヴェ生まれで、一般には、彼の方が有名ですね。
ラファエッロのお師匠さんでしたが、甘美な美しさは、3人共に共通の物と。



プリオーリ宮の斜め奥には、ピアッツァ・クワットロ・ノヴェンブレ・11月4日広場・
Piazza IV Novembre、ペルージャで一番有名な広場が。

9-108.jpg

奥正面に見えるのがドゥオモですが、これは正面壁ではなく左側の壁で、
ドゥオモの正面は今見えている右端を回った、ダンテ広場に面しているのですが、
今回は、中も正面部分も見ませんでしたぁ。

14~15世紀にかけてのゴシック建築で、今見えている下部の白とピンクの大理石の
装飾が大変美しく、全面完成していたなら、さぞや優雅であったろう、と想像。



上で見えている、ドゥオモ左側壁の入口。 ガイドブックによると、
入口上に見える壁がん、門の上に見える窓の様な青い部分に、塩の戦争の十字架が
掛けられているとあり、知らない事なので調べてみました。

10-133.jpg

元々ペルージャは教皇領だったものの、かなりの自由が許された自治領だった様で、
それが1531年に教皇領全体に塩の税金が課せられ、その不満を元に
バリオーニ家が音頭を取り1541年に教皇と戦ったものの負け、
以来ペルージャは完全に自由を失い、単なる教皇領の一部となったという、
街の苦い歴史を知りました。
   
13世紀から15世紀の半ばの、街が一番繁栄した時代にプリオーリ宮が建設
されたとありましたが、この繁栄が塩の戦争で終った、という事なのでした。
ドゥオモの前にある階段、暑い位の快晴でしたが、街の人、観光客、学生、
たくさんの人々が腰を下ろし休んでいます。



広場にある素晴らしい泉、ラ・フォンターナ・マッジョーレ・La Fontana Maggiore 
の横には、修学旅行の学生が引きも切らず。

11-129.jpg



はい、こちらが泉の全体。 修復され、白く美しく、水も流れ。

12-127.jpg

13世紀ニコラとジョヴァンニ・ピサーノ父子によって建設の、中世における一番の泉。
3層をなす泉の壁面には、其々に、人類の歴史の例、芸術、月、聖書の中の
人物などが浮き彫りされ、上層の面の角には、彫像があります。



泉上部の、3体が背中合わせの青銅の女性像。

13-131.jpg



泉の下層の月暦がある部分。 ガイドブック片手に、必死に自分の誕生月の
射手座を探しました。

おお、見つけたぞぉ! 右端が種まく男、左に2頭の牛に引かせた鋤で耕す男、
上の部分に射手座の印が見えます。

14-140.jpg   
           
少し小さく見難いですが、右から3枚目、樽に葡萄の醗酵した汁・モストを注ぐ男、
さそり座の印があります。



その次は摘んだ葡萄いっぱいの籠を肩にして運ぶ男、そして石臼に入れた葡萄を
足で踏む男に天秤座の印が。

15-141.jpg



上の写真の逆方向、一番左が、山羊座。 絵柄は豚の処理で、これは
中世以来の暦の、冬の食料調達の伝統的な物で、

16-139.jpg

そして、狩人、ライオン、グリフォーネ。



真ん中部分、アダムとイヴ。 そして右側がサムソンとデリラですって。
サムソンがライオンを倒している所、その右は、デリラがサムソンを押し倒す所!

18-146.jpg



暑い日で鳩たちも泉に来ますが、水の出口はこんな動物の顔。

19-138.jpg



広場ではこんなお揃いの衣装の女性達が,「ドリンクいかが?」のキャンペーンを。
burnという、燃え上がりそうなお飲み物。 腰の刺青、見えるかな?

20-156.jpg



広場から見たプリオーリ宮。 この建物も多分修復されたのでしょう、白くなったと。

21-134.jpg

こちら側に階段とテラスが見えますが、あの階段を上がった所に、公証人の広間・
サーラ・デイ・ノターリ・Sala dei Notariがあります。



入口からの眺め。 13世紀の建設といい、全面絵画と紋章で埋め尽くされた、
大変な密度を感じます。

22-112.jpg



天井のこのアーチは全部で7本。 その隙間もこんな風に。

23-113.jpg



画家は土地の画家といい、絵の出来も特別とは思いませんが、
でも、時にこんな優雅な女性も。

24-115.jpg

全面が埋め尽くされている事と共に、この赤と濃い青の取り合わせ、
特にラピスラズリの青の魅力が素晴らしいと。



動物が多く描かれているのも目に留まります。 こんな犬の一家とも呼べる物、
ライオンとキツネとか、寓話に添っているのだろうと思いますが。

25-118.jpg



部屋の名の由来となっている「公証人」ですが、
最近読んだ本で、アルプス以北において公証人は文章の認証だけを行ったのに対し、
イタリアでは、公正証書の作成、認証は勿論、その文書の適正をも保証できる
法律家で、彼らが作成する契約書が、イタリアの市場経済の法的実務を支えた、
とありました。
    
26-125.jpg   

となると、こういった素晴らしい部屋に陣取った大勢の公証人達が忙しく働く、
中世のこの街の賑わい、活気が目に浮かぶようですね。

公証人について   ファブリアーノ ・ イタリアの紙の郷
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461029550.html



ドゥオモ前の石段に腰掛けて見た、街の一番の目抜き通りヴァンヌッチ通りの眺め。
   
28-135.jpg
                 
緩やかな下り坂で、車の通行が制限され、通りの真ん中にテントが見えるのは、
バールとレストラン。

私もここでお昼を食べましたが、写真で見える感じよりもずっと賑やかで、
若い人が多いのが目につきました。 やはり大学のある街の特徴ですね。



こちらは、泉の傍らで説明を聞く高校生。 春は学期終了前の社会見学で、
観光地はどこもこういった修学旅行生で満杯。

29-132.jpg



この建物はプリオーリ宮の近く。 如何にも中世風で、あちこち修復され、
きっと中は素敵だろうと、好奇心に満ちたshinkai。

30-103.jpg



この門はドゥオモから西に少し下ってすぐの門で、ここも、高く、厚く、厳しく、
威圧感があり、途中で道がカーヴした下り坂で、上手く説明できる写真でないのが、
とても残念。

31-165.jpg



ペルージャの街は、古い中世の壁に囲まれた中心地の外に、とりわけ現在は
低地のほう、南西側に大きく広がっていますが、
中心のヴァンヌッチ通りの南はずれの眺めの良い公園から。

32-171.jpg

赤い古い瓦の向こうに、ウンブリアの平野が望めます。



こんな眺めが大好き。

33-170.jpg



平野の中を続く道。

34-172.jpg

そう、街は、時に空気を吸いにくる所、 生きるにはこんな場所が良いですねぇ。
       


日本のガイドブックの地図を見たら、小さい地図にいっぱい書き込んであって、
なおの事分らなくなりそうなので、簡単、明快な、こちらの地図を!
7. ドゥオモ
5. フォンターナ・マッジョーレ(泉)
4.6. プリオーリ宮、ウンブリア美術館

35-45.jpg

8. エトルスクの井戸
9. カピターノ・デル・ポポロ宮
11. アウグストの門 (エトルリア門)
       

◆**◆  お知らせ

皆さんも、天正の4少年使節の事をご存知でしょう?
16世紀に、九州長崎を船出した彼らの8年半に及ぶ彼らの旅行、
そして戻って来た彼らを待っていた運命。

若桑みどりの「クワトロ・ラガッツィ」に、彼らの事のみでなく、当時の日本、
そして世界の事情が詳細に書かれていますが、

この度、彼らの一人で殉教した中浦ジュリアンがこの11月に福者に列せられるのを
機会に、九州大村の方たちを中心としたグループが、今イタリアを、彼らの足跡を
辿りつつ旅行中です。
中には、中浦ジュリアンのご子孫もおられ、この10月1日にはローマの
サンピエトロ広場での法皇様謁見もありました。

私も同行させていただくチャンスがあり、この3日間ローマに行って来ました。
そしてまた、マントヴァで合流の予定です。

常の観光旅行とは違い、普通では見るチャンスもないであろう貴重な本、
そして九州大村一帯のキリシタンからの連判状なども見る事ができましたので、
また写真が整理できしだい、見て頂こうと思います。
お楽しみにどうぞ!
       
    
*****

ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!


*****

コメントの書き込みについてのお願い。

ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、  
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。
スポンサーリンク