・ 我が町 コネリアーノ ・ 再発見 

ブログを始めてちょうど1年。
一番最初のブログに「我が町 ・ コネリアーノ」と題して、私の住む町
ヴェネト州 トゥレヴィーゾ県 コネリアーノ市をご紹介致しました。

  
未だブログの様子も調子も手探りで、写真も市の広報誌からの物が多く、
我ながら、イマイチと思っておりました。

で、ついこの12月中旬、ほんの少しですが町の中心部の写真を撮る
チャンスがありましたので、「コネリアーノ・再発見」でご案内を。
1年前の補充として併せてご覧いただけると嬉しいです。
ではどうぞ!


正面に見えるのが、19世紀半ばにヴェネツィア間との鉄道開通を
記念して作られた駅。 当時はまだこの一帯オーストリア領でした。

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写真は、駅の北5,60M程の「アルピーニの階段」上のポルティコから。
駅前のこの道は、車の実技レッスンで何度も走らされた通りです。



駅前周辺の道は、現代の息ぶきが流れていますが、
アルピーニの階段を上り、建物の下をくぐる形のこのポルティコから
雰囲気が一度に、中世からルネッサンスへと、遡ります。

この井戸の側面に刻み込まれた数字は、1467. 
15世紀がここに存在します。

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ポルティコの前にチーマ広場が広がり、手前に東西に「9月20日通り」が。
チーマ広場の左奥にこの「カーザ・ズバッラ・Casa Sbarra・ズバッラの家」 
15世紀後半、の角の張り出したテラスが見えます。

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こちらは逆に、カーザ・ズバッラの家の手前からのチーマ広場の眺め。
真ん中の、建物がすこしへっこんだ位置の下がポルティコで、
上の井戸がある場所。

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チーマ広場の東側を占める市役所の建物。
日常的な事務窓口は、駅から南に行った建物内にあります。

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この建物の2階に大小2つの結婚式場があり、私はここの小さい方の
式場で結婚しましたが、 コネリアーノについて読んでいて、
かの大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ が、コネリアーノでこの式場と、
教会とで結婚式を挙げた事を知り、俄然、近しい気持ちに!



何度も「チーマ広場」と出てきますが、これはわが町コネリアーノ出身の
15世紀の画家「チーマ・ダ・コネリアーノ」にちなんだ名前で、
後ほどご覧頂きますがこの広場のすぐ近くに彼の生家があります。

広場の正面、北側にはネオクラッシックの建物、現在アッカデミア映画館
となっている劇場があり、追記:現在は講演会場に
外側両脇にスフィンクス式の像があり、ウィーンのベル・ヴェデーレ庭園のと、
同様です。 オーストリア領地下にあった影響でしょうね。

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ちょうど学校が済んだ子供達が出てきて遊び始めました。
この広場では毎年6月の末に、人間がコマの「ダーマ」の競技
(チェスよりも簡単)が行われます。



上に遠景をご覧頂いたズバッラの家。かっては全面がフレスコ画で
覆われていた様で、その名残が今も見て取れ、かっての裕福さが偲べます。
角にある2つの窓と張り出したバルコニーはヴェネツィア様式との事。

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これは家の側面、南側で、こちらにも全面フレスコ画の名残があります。
延びる2本の帯のような形は暖炉の煙突で、三角部が面白いですね。

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カーザ・ズバッラの手前から西への細い通りが、ジャンバッティスタ・チーマ通り。
先回のブログでご紹介した「聖母子と聖人たち」の15世紀の画家の
生家の前に続きます。



この壁のフレスコ画の家は、通りを入って直の場所にあり、近辺一帯、
つい最近修復されたばかり。

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ここが、ジャンバッティスタ・チーマ・Gianbattista Cimaの生家。
15世紀の職人が建てた家としても興味深い物との事で、
中は博物館になっており(まだ見ておりません)、彼の作品の模写や、
この近辺の考古学発掘品も収められているそうです。

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町の祭日のチャンスには見学できるはずなので、なかの様子も
またご案内できると思います。

彼、チーマはヴェネツィアに出てジョヴァンニ・ベッリーニに師事、
長くヴェネツィアに留まり作品を残しました。
人物の顔も師匠譲りの優しい顔で、作品の中に何度もコネリアーノの
丘の上の城が描かれているそう。

一度絵画技法書にも彼の名を見出しましたが、チーマ・ダ・コネグリアーノ、
Coneglianoのgliは、リと発音ですが、グリと書いてあり、いやらしく(!)
同郷人として、腹を立てましたっけ!



チーマの家から西に続く家々。 表面は修復され新しいですが、
この入口の感じがなんともレトロで、暖かく。

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通りの西端に小さな広場があり、古い水飲み場も残り、
大変良い雰囲気で、ここもすでに修復済みとなりました。



これは、カーザ・ズバッラの家の前のポルティコの軒下で、古く幅も狭く、
素朴なゴシックのアーチで、木の梁が続いているのが見えますか?

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こちらは、下の建物のポルティコ。
コネリアーノの町の中心は丘に沿って広がるので、何処もかしこも
少しずつ傾斜しています。

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チーマ広場から少しお城のほうに登り西に入ると、元フランチェスコ派の
大きな修道院の建物があり、近年大改装され、国立のワイン学校本部に。

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ワイン醸造技術者育成や葡萄栽培の技術の学校で、中学から始まります。
この手の技術者養成の学校はコネリアーノには古く、19世紀の半ば過ぎに
既にあった、という歴史を持ちます。



コネリアーノが歴史に登場するのは10世紀で、ベッルーノの司教領として
ここに砦と市壁を築いた、という記録で、この市壁はその後の封建領主に
よって補強され、現在も、お城に続くのぼり道にこうして残ります。
以前はもっと道も荒れていましたが、近年こちらも修復され整備済。

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上の市壁よりも少し下の位置からで、見えている鐘楼はドゥオモの物。
はるかに、ヴェネト平野の地平線が広がります。

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チーマ広場の前を東西に走る、ヴィア・ヴェンティ・セッテンブレ・9月20通り、
この一帯がかってのコネリアーノの一番の中心地だった様で、
「コントラーダ・グランデ・大きな地区」と呼ばれ、通りの両脇には中世から
ルネッサンスにかけての建物が並び、フレスコ画で飾られた壁が目立ちます。

が、その中で私のお気に入りの建物、15世紀の古めかしくも雅な、
陶板で飾られた「カーザ・ロンジェーガ・Casa Longega」のポルティコ。

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こちらが正面、壁の古い陶板、かっての窓のアーチなど上手く残され、
修復されていますが、実際に見た目の美しさが上手く撮れず残念。

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ポルティコのアーチ部分。 この陶板飾りの美しさ!手の込み具わい!
それに比して、この埴輪像にも似た人物像の稚拙さ!!

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既に15世紀。フィレンツェ辺りでは既にルネッサンスの花盛りの時期が、
ここ、コネリアーノでは・・、愛おしい!



通りに並ぶ殆どの家の壁には、フレスコ画の名残が見えます。
かっては、どんなに華やかな通りだったでしょうか?!
この壁画は「アダムとイヴ」ですね。

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通りは石畳舗装。 サイコロ角の石を上手く弧を描くように並べています。
この通りは余り交通量がないので、特別に磨り減ってはいませんが、
同じ様なトレヴィーゾの街の石畳は、見事にすり減り光っていますし、
時には轍のあとも残り、まさに歴史が刻み込まれる石畳。

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通りの北側は丘の山側になり、建物郡が少し高い位置に並び、
道の中央からは脇は少し坂になり、丸石舗装です。

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そして建物の下をポルティコが続きお店も続きますが、やはりどっしりとした
威圧感で、慣れないうちはお店にも入りにくい気がしたものでした。
でも、この町にも既に16年になりました! 

追記:はぁ、そして現在27年目に。 2018.9.19


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・ ソアーヴェ ・ Soave ・ 中世の城と、白ワインの町 

今日のご案内は、山上の中世の城と白ワインで有名な、ソアーヴェです。 
ヴェネツィアから国鉄で約1時間、ヴェローナからは東に20キロに位置し、   
サン・ボニファーチョの駅、またはヴェローナの駅前からバスが連絡。
  
写真は9月の半ば過ぎ、来週から葡萄祭りが始まるという時期です。

町の南の門ヴェローナ門で、ほぼ600年に渡りこの町を護ってきた城壁。

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城壁内は狭い旧市街で、門の前の広場のこちら側、そして西側に
現在の町が広がっています。
右奥、山上に見えるのが、スカリージェリのお城。



地図をどうぞ。
ソアーヴェの町、中央に丸がついていて、その南にSan Bonifacio 
というのが見えますか。

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ここが国鉄駅で、ここからバスの連絡があり、ヴェローナからもバス便が。



最初のヴェローナ門から入り、北に続く中心のヴィア・ローマ・ローマ通り。

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ご覧の通り上り坂ですが、この両側に町の主たる建物、ドゥオモ、お店、
などが並んでいて、一番奥に見えるのが、アンテンナ広場に面する
パラッツォ・ジュスティツィア・裁判所、14世紀。

     

上の絵葉書の一番右奥に、少しはみだしている建物の正面側、
パラッツォ・コンティ・カヴァッリの窓。

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中世には次々と領主が変わり、歴史の変遷を経た町ですが、
15世紀にヴェネツィア共和国の元に入って後は、他のヴェネトの町と同様、
3世紀間の平和を享受。
この建物は、ヴェネト・ゴシック様式の15世紀の物。



同じ建物の横の窓。 なかなか凝った窓でしょ?!
窓の形はヴェネツィアでもよく見かける、オリエントの香りのする窓ですが、

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中のガラスの木枠や、窓上部のステンドグラスをご覧下さい。
ね、なかなか素敵ではありませんか?!



カンティーナ、ワイン倉を持つ店、とでも言いましょうか、これはローマ通りに
あった店、コッフェレ・Coffele です。

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いかにも美味しいワインが、飲めそう、揃っていそうな雰囲気。
とにかく、「ソアーヴェの白ワイン」は有名なのです。



何のお店だったか覚えていませんが、店先にあり、多分スーヴェニールの
お店と思いますが、が突然パッと目の前に現れると、いささかぎょっと・・!

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アンテンナ広場を右に折れるとかなりな急坂になり、お城への近道で、  
これは途中で見かけた、並んだドア。

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ほぼ同じ様な造りで、右側が少し上等な趣。 右が家の主人一家用で、
左が召使用か、物置か、とshinkaiの想像は膨らみます。
はげかけた壁の色もいい色でしょう?



サンタ・マリア・デイ・ドメニカーニ教会。 オリジナルは15世紀のロマネスクで、
その後ロンバルド様式に変えられたとの事。

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内部には、貴重なフレスコ画や床細工がある様ですが、見ておりません。



上の教会の斜め前にあった面白い感じの建物。 何か良く分りませんが、
軒の飾りといい、壁の縞といい、ちょっと由緒ありげな感じがします。
門脇の小さな建物で、奥に大きな家が見えました。

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葡萄畑に囲まれた、山上のお城の城壁の様子が良く見えます。

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本来は一番左に見える塔のある門が主要な門ですが、今は閉められ、
その下に見える茶色の屋根の建物の脇を通り、切符売り場で、
現在の城の持主、または管理人の家のような感じでしたが、
三角に見える最初の庭に入り、門をくぐり、右に広がる広い庭に出ます。    
そして階段を上がり、本丸部分の庭に出て、領主の建物に入ります。

本丸の庭に見える、茶色の塔にご注目を!
かってここは監獄に使われていたようで、修復の際にこの下部から、
2mの高さに及ぶ人骨が出たそう!!

塔の下に横穴が開いていて、何の気なしに入ったのですが、
あっ!と閃くものがあり、急いで飛び出しました。 ぎゃおえ~!!



これは跳ね橋のついた北の主要な門で、上部に見えるのは
サン・ジョルジョの竜退治の浮き彫り。

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この城は完全に軍事の守備の為の、典型的な中世の城で、  
最初に出来たのは1000年頃といいます。
ヴェローナのスカリージェリ家が、13~14世紀にかけて領有、
その後15世紀初頭にヴェネツィア共和国の物に。



城の一番奥、領主の館部。上空からの写真でも分かりますが、
周囲を囲む城壁に沿ってちょっとカーヴした形になっていて、2階部分は
所謂領主の居住空間であったのが分かる優雅さです。
ゆったりとした階段も、素晴らしいですね。

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城館の内部の様子を。
左上・・護衛兵たちの部屋  右上・・大きな暖炉のある大広間
右下・・食堂  左下・・寝室 壁のフレスコ画は、1200年代の物

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修復され、その当時の家具が備えられています。



城への道から、町の眺めを。 中央に見える大きな教会がドゥオーモで、 
その右下あたりに開けて見えるのが、アンテンナ広場。

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上部に市壁が見えますが、あそこまでが旧の町で、外側が新しい町。



城に行くには、町中からの急な坂を登るか、一旦町の北の門を出てぐるっと
葡萄畑の中の道を遠回りして行くかの2通りで、後者は広く、車が通れます。
が、ぐるっと回るほどの根性はなく、葡萄畑を横切りました!

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その時に見えた、ボルゴ・村とイタリア語では呼ぶ門の外の集落。陽射しが強く
暗く写りましたが、大きなお屋敷があり、どうやらプールも。



有名なソアーヴェの白ワインになる葡萄。 行ったのが9月下旬近く。
週末から葡萄祭りが始まるという時で、その準備が始まっていました。

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城壁の中を南北に通るエマヌエル通りから城を。
こちらの通りは平野にあるので、この高みにお城が見えます。
城主と、庶民の違いがお分かりでしょうか?!  はは。

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ソアーヴェのガイドブックに、この可愛い宣伝がありました。
「お願いですから、白ワインは魚料理に合わせてください。
  野生の獲物の料理には、合わせないで」
「ワインを選ぶ時には、運を当てにしないで」

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ソアーヴェの夜  (ガイドブックより)

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たくさんのお祭りが、その時期、時期に行われるようです。
中世の白ワインのお祭り、 葡萄祭り、 夏の夜祭、ecc ecc
この満月の下、下の広場では何が行われているのでしょうか?
お出かけになりますか?


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・ 旧き 良き ヴェネツィア ・ 古い絵葉書に見る

今日は、ちょっと変わったヴェネツィアにご案内、そう、白黒写真に残る
旧き良きヴェネツィアです。
色鮮やかなカラー写真に飽き足らず、白黒、セピア色の写真がお好きな方も
多い様ですが、単に白黒写真の絵葉書ではなく、いかにも時代を反映している
かってのヴェネツィアへ、ご案内いたします。

まずサン・マルコ広場。  如何? 今と一つも変わっていませんね。

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後ろの建物の壁が、すすけて少し黒っぽく見えるかな?程度の違いだけで、
人の数も少なく、鳩がやけに多く感じます。
が、何よりも、人々の服装の違いから来る全体の雰囲気!
絵葉書の裏に年代が記されてなく、それが残念。



御存じ、リアルト橋。 右側の橋の中央の道真ん中に屋台の列が見え、
そのほかの閑散とした様子!

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建物の壁のポスターが、何のポスターかと拡大しましたが、確定出来ず、  
なにやら白い衣装の女性と、上半身裸の男性が!

が、拡大して分った事は、この絵葉書はカーニヴァル時期の物で、
殆どの人が、仮面をつけているのが分りました! 今のカーニヴァルと違い、
まだ地元の人々がチョッピリ仮面をつけ、楽しんでいるのでした。



ヴェネツィアに帆船が! それもかなり大きな帆船です!  
これは実際に仕事中の帆船ですね?!  凄い!

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左側に見えるのはジュウデッカ島ですから、ここはアッカデミアの東南辺りですね。
この辺りを北に入っていくと、ゴンドラ製作所が今もあります。



アッカデミア美術館の建物自体は今と変わっていませんが、大きな違いが一つ、
屋根の上の像で、今はありません。かなり大きく、手前はライオンの様にも。

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今はこの前の広場に、スーヴェニールの屋台があり、アッカデミア橋も違います。
見えるこの橋はどうやら鉄製の様ですが、今は木製の少し弧を描く橋に。



カンポ・サンタ・マルゲリータは、アッカデミアから、サン・バルナバ、映画「旅情」の
骨董店のある、を経て、ローマ広場に至る道順にある広場。

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ご存知の様に、ヴェネツィアではピアッツァ・広場と名乗るのは、サン・マルコ
前の大小の広場のみで、他の広場は全て、カンポ・畑、広っぱ と呼びます。

このサンタ・マルゲリータの正面に見える半分に切られた鐘楼、横の建物の並び、
は全て今もそのまま! 歩いている人々の数と、衣服が違うのみ。
なんとなし人々の背が低いように、感じられませんか?



左の建物群の奥に、アルセナーレの入り口辺りが見え、
絵葉書に見える右側の野菜果物店、まったく同じ場所に今も八百屋さんが!

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女性の長いスカート! 年代が分らないのが、本当に残念。



これは上でご覧頂いた、大きな帆船が停泊していたよりも西ですね。
やはり大きな帆船で、奥に煙を吐いている黒い汽船も見えます。
手前を行く、ステッキの粋な紳士はカンカン帽。 道の右辺りに、
確かフランス大使館があったと。

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サン・マルコ広場に何か大きな展示館が出来ている様子。
何の展示館か分りませんが、左中程を行く女性の長いコートの感じから見て、
カーニヴァルの期間ではないかと言う気がします。 仮面をつけている感じも。

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それにしても、この人の少なさ! 隔世の感あり、ですね。



ヴェネツィア名物、アックワ・アルタ・高潮!

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先月11月4日は、フィレンツェの大洪水から40年、でニュースがありましたが、
あの当時、ヴェネツィアも大変な高潮の被害を受けたようです。
ただフィレンツェの被害が歴史的に大きかったのと、ヴェネツィアの高潮は
「いつもの高潮」とみなされ、大したニュースにもならなかったとか。
この写真で見る限り、海と陸の境がなくなっていますね。



こちらはリド島です。 左端に馬車馬が見え、それになんといってもこの母子の姿、
「ヴェニスに死す」の親子を思い出させます。
ボクが少し小さいですが、この服装! 「タッジュウ」と「マンマ」ですね。

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・ ボローニャ ・ Bologna ・ 落穂ひろい

過日はグロリオーザさんの素晴らしい写真によるご紹介で、
「ボローニャ・美食と意外性の街」としてお届けいたしましたが、
今日は私の写真で、彼がご紹介しなかった場所を「ボローニャ・落穂ひろい」で。  
ではどうぞ!

ボローニャの街の中心にある、ピアッツァ・マッジョーレの「ネプチューンの噴水」。 

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グロリオーザさんは、ネプチューンよりも、その下にある「おっぱいから噴水・・」
に目が釘付けになったようなので、私は全体像をご覧に入れますね。
女性像は、下の角に2体見えています。



広場の奥に見える大きな未完製の教会がサン・ペトローニオ聖堂、
ボローニャのドゥオモ。

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写真手前左にちょっと見える老夫婦にお目を。
腕を組み、二人でゆっくりと歩んでいる、良い眺めではありませんか?!



やはりマッジョーレ広場に面している、ポデスタ宮が後ろに見えますが、
こちらの写真も、小さく前面に見える人物像にご注目を。

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少し見え難いですが、この彼女と愛犬がスタスタと歩いて来たと思ったら、誠に自然に、
さっとこのワン君を抱き上げて、お水を飲ませたのですね。
2人の毎日の散歩の道順、手順の様に自然なしぐさで、チョット見とれました。



パラッツォ・デル・ポデスタの中庭にある井戸。 この建物のオリジナルは13世紀で、
15世紀に再建されたようです。 
後ろに見える煉瓦の壁はいかにも古そうで、井戸にも趣を感じます。

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壁の煉瓦の重なり。 この重厚さ、時を経た趣の滲み。
そして一列入る、この米型の飾り模様。 

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ドゥオモの南側に、ヨーロッパ最古の大学であった、旧ボローニャ大学の建物があり、
中に人体解剖の教室もありますが、この写真は、建物の壁にかけられた紋章。

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多分、この大学で学んだ各地からの学生の家柄を示しているのでしょう。   
歴史の旧さを示す、物凄い数の紋章。



やはり壁の紋章ですが、真ん中の物は良くご存知のメディチ家の紋章です。  
丸薬を現す、という6つの球の紋章を見ると、一挙に時代をさかのぼる気が。

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かってのボローニャの街には100本程の塔があったそうですが、現在ではたったの、
と、街のサイトに、20本ばかりが残っているそうです。 
 
で、中心部にこの様に2本の塔があり、高い方のアジネッリの塔は約100Mあり、
登る事ができます。 勿論、登りました!! お金を払ってね! 
  
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では上からの街の様子を。

上の写真でもご覧の様に細い塔で、中は大変狭く、梯子のような急な木の階段で、
つかまりながら、ぎしぎしときしみ、鳴る階段を上ります。  
で、勿論登る人だけでなく、下る人もいるわけで、こんな状態の階段ですれ違うわけ!! 

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この写真は途中の踊り場とでもいうような場所から、街を覗いた所。  
その他の場所? 窓もなく、暗く、裸電球がついていた記憶があります!



塔の上は展望台式に開けていて、遥かに見渡せ、ドゥオモとマッジョーレ広場の眺め。

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こうして見ると、ボローニャの街がいかにも赤く見えますね。
フィレンツェの屋根も赤いですが、もっとオレンジっぽい、明るい赤だった様な。 

ボローニャは長らく共産党支配の市政で、今もまた左派、赤いのも仕方がないか!

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こちらは塔のすぐ横に見えた、教会の鐘楼でしょうか? 
赤い屋根瓦に、緑青をふいた銅屋根の緑。 対照が見事です。

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追記:調べましたら、どうやら元教会の様ですが、今は違う様で。2018.12.14 


    
これも塔のすぐ下の街並み。

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通りに沿って曲がる屋根。 天窓。 建物内の小さな中庭。 そこに開く窓。 
ベランダに並ぶテーブルと椅子。 三叉路の角にある、小さなロッジャ。 
見飽きませんね!



これは中心街の古い建物を修復したもので、中は大変モダンな造りに変身し、
素敵なお店がありました。

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外に見えるこの古い、太い梁をご覧下さい。 いかにも中世の雰囲気ですが、
これをこのまま残すセンスが素晴らしいと思います。 残す方が大変でしょうにね。



赤い、いささか重たいイメージのボローニャの街。 
お口直しに、最後は駅近くの公園にいた、緑に囲まれたこのライオン君を。

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目をむき、口をあけ、凄いたてがみ。 でも笑えません?!


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