・ ウンブリア陶器の町・ デルタ、グアルド・タディーノ、グッビオ・・

今日はウンブリア紀行の第2回として、手工業の盛んなウンブリアにあって、
世界に知られた陶器の町々、デルタ、グアルド・タディーノ、グッビオ、
オルヴィエートをご案内です。 
 
先回のアッシジ同様、DeAgostino出版の旅行雑誌
「ウンブリア・緑の魂」からの記事、写真でご紹介です。 ではどうぞ。

ウンブリアはイタリアのどこにあるか、はい、この赤い部分がウンブリア州。

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こうして見ると、ほぼイタリア半島の中央部にある事が分り、
「ウンブリアはイタリアのハート」とも呼ばれます。

左上隣がトスカーナ州、左下隣がラツィオ州で首都ローマが。



もう一つ、ウンブリア州の地図を。
ほぼ真ん中にペルージャ・Perugiaがあり、今日のデルタ・Derutaはその南、
グッビオ・Gubbioは北北東、グアルド・タディーノ・Gualdo Tadinoは北東に。 

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アッシジ・Assisi、オルヴィエート・Orvieto、スポレート・Spoleto、
ノルチャ・Norcia など、囲いましたので位置を確かめて下さいね。



世界中にその名を知られるデルタの町。 手作り陶器の歴史は古く、
8世紀に遡ります。 

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周辺の丘から良い粘土が採取された事から始まり、中世においては
ヨーロッパ中の貴族の館、テーブルを飾りましたが、当時は、単なる職人の
手工業ではなく、芸術と同じ位置にあったとか。



町には幾つもの、手作り、手描きの陶器工房があるそうですが、
これはマヨリカ焼きの工房。 この雰囲気、素晴らしいでしょう?

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デルタには陶器博物館があり、16~18世紀にかけての芸術的な作品が
多数収集され、展示されているとの事。 
 
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最初は素朴な形、デザインで始まった物が、イスラムの図柄の影響も受け、
複雑に、動植物の柄も入り込んできたのだそうで。



こういった人物像の入ったもの、名画の中の人物像であったりを見かける事も
多いですが、絵として見ると、納得できる物がなかなかで。
が、これは素晴らしいですね。 

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縁の柄が同じですから、何かのセット物の一部だったのでしょうか。
  
よく使われた色は、緑青色、オレンジ、コバルト・ブルー、との事。



グアルド・タディーノ。 町を見下ろす中世の要塞は現在市の博物館に。
やはりここも周辺からの豊富な粘土の産出があり、中世において既に評判の
陶器の町でした。 

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そして19世紀、忘れられていたマヨリカ焼きの「光を反射する」手法を、
高い技術で復活させ、現在世界中に評判を取っている、との事。



グアルド・タディーノの工房の様子。 手描きで、模様がやはりイスラムの影響
を受けた植物柄。 こういう作品はすべてろくろ製作で、焼きは木を燃やす窯と。

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マヨリカ焼きの陶器製作の様子を現した陶板。 多分、工房・店の表にあるものと。
伝統の一点物、床や壁のタイル、飾り皿、観賞用を兼ねた食器等が評判との事。

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山の中腹にかけて広がるグッビオの、町の感じが良く出ている写真を。

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狭い道の両側にこうして家が立ち並び、道は上がり下がり。
たくさんの店先に陶器が並び、観光客が品定めをしつつ、時に陶板に書かれた
警句を読んで、大笑いしていたのを思い出します。

どんなのか、って? 「家のパパは、トイレの中でのみ王様」とか、
「夜はライオン、朝は兎」とかね。 ホラ、洋の東西一つも変わりませんね。



グッビオの町の壁ですが、こんな風に、ウンブリアのあちこちの町で陶器が店の
表にかけられ売られています。 アッシジでもペルージャでもご覧の方も多いと。

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色も形も良く見るものですが、真ん中の下のテラコッタ風のものは、
「猫注意」「犬注意」の陶板です。 猫、犬の親子で、恐くはありませんね。



金色燦然たるオルヴィエートのドゥオモは余りにも有名ですが、その周辺の、
アーチをくぐりながら広がる小路をたどると、こんな風に店が並んでいます。 
古い印刷物の復刻版、陶器、人形、等など。
       
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ここもエトルスクの町で、小高い山の上に広がり、地下にもう一つの町があります。 
昔は作業場に使われたり、備蓄場所であった様で、ガイド付きで見学そう。



オルヴィエートのドゥオモは、余りにも正面は金ぴかで、晴れやかで華やかで、
なので、私の好きな側面の縞柄をどうぞ。 ドメニコ会派独特の縞柄だそうで。

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異端宗教裁判ではドメニコ派が大活躍したそうですが、そんな内の熱狂的な激しさも
秘められている様で、この縞柄、大好きです。


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・ モンタニャーナ ・Montagnana・ 市壁と塔、生ハムとパリオ 

今日はモンタニャーナ・Montagnana、パドヴァから南西に46kの、
周囲を市壁に取り囲まれた中世以前からの町にご案内です。 
 
周囲を囲むこの市壁にはなんと24もの塔が今も聳えていて、 
そして町は、生ハムとパリオ(競馬)でも有名の様子。 ではどうぞ!

まずは地図を。 字が小さいですが、一番右端にヴェネツィアがあり、
そして西にパドヴァ、そこから南に下りモンセーリチェ、(ご案内済み)
そしてモンセーリチェから西に向かう道に、中世のお城が続きます。

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まずエステ・Este そして今日ご案内のモンタニャーナがあり、
もっと西にベーヴィラックワ・Bevilacqua、ここは行った事がありませんが、
素敵なお城があるようです。 そしてもっと西にマントヴァ・Mantovaが。
ベーヴィラックワから北にソアヴェ・Soaveが見えますが、
ここも白ワインと、お城で有名です。


市壁の雄大さをガイドブックから。 すごいでしょう?!  
この市壁の写真は実際はもっと横長だったのですが、余りにも細長いので
少し切りました。 こんな市壁がぐるっと町を囲んでいるのです。 

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9世紀から10世紀頃のものと言われますが、そんなに高くも厚くもなく、
その事からも建設された時代が分ります。
左奥に見える塔は高さ38メートルある最高のもので、この下にお城が。


サイトにある町の航空写真を見ると、町はちょうど長方形の形で、
その周囲を壁が取り囲んでいるという様子で、大きな門は4つあり、
それぞれの辺に一つずつ、車が通れるのはこの4門のみで、
他は人が通行できるだけの小さな門、と言うか、出入り口があります。

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中世の人々の市壁に護られ、そして規制されていた日常生活が偲ばれます。  
市壁の外はこの様に草原になっていて、今は細くなった堀も。



4つある門の1つ、ポルタ・ヴィチェンツァ。 
町の門には、道が向かう町の名が冠されていて、ここからヴィチェンツァに向かい、、
またヴェチェンツァからの旅人は、この門から町に入った事でしょう。

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上のヴィチェンツァ門を内側から見た様子。  
一番上の階は見張り所、真ん中の階は駐屯所というか、兵士達が寝泊りして
いたのかも知れませんね。  
実際、現在ちゃんと家に修復されているらしい塔も見かけました。

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町の中心にあるマッジョーレ広場で、周囲を由緒ありげな建物が囲みます。
写真の真ん中に見える中世風の大きな建物ですが、古い建物が上手く保存され、
修復され、「預貯金銀行」として使われていると。

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所がなんと、これは20世紀初頭に建てられた「中世風建物」である事を、
ガイドブックで知りました! やはり、しっかり読まねばなりませんね!!



こちらは広場の西側に立ち並ぶ建物群、殆どが17~18世紀の建物との事。
広場はグレーの石に白い石の線で、ちょうどヴェネツィアのサン・マルコ広場
を思わせるような、デザインが施されています。 

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左側建物の煙突に、ご注目を。



エレガントな煙突にちょっと驚きです!  
どうやらかなり有名な煙突のようで、町のスケッチ展のポスターにも、
この煙突のスケッチがありました。
煙突でこれだと、建物の中も大変エレガントなのでしょうね?!

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広場の東側にドゥオモがあり、正面はゴシック様式ですが、
内部はルネッサンス様式との事。  
ジョルジョーネのフレスコ画もあるそうですが、残念、見ておりません。

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これは、元教会の建物。 入口の上にはマントを広げ、信者を庇護する
聖母の姿もちゃんと残っていて、模様からもかなり古い教会の様です。  
年代を経て、今は何の建物になっているか? バールになっていました!

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市壁のどの辺か、確か南だったと思いますが、
大きな門、高い塔があり、堀を渡る橋があり、威圧感のある中世の眺め。

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上の写真の門の内部、2重になっている門の内部です。  
厚い煉瓦の壁、中はヒンヤリとして、まるで時間が止まっているかのよう。

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毎年9月の第1日曜に、モンタニャーナの10のコムーネが集い、
時代衣装の行列を初め、旗振り、競走、競馬が行われます。
大変煌びやかなお祭りのようで、「10のコムーネのパリオ」と呼ばれるそう。

で、これはその中の一つの競技 ゴンファローニの競走。
ゴンファローネというのは、その地区の旗を指し、それを旗持ちが持って走る
競争なんだそうで、  
700Mのコースを、ふくらみ、はためく旗を持って走る、大変過酷な競技と。
       
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サイトはこちら。 www.palio10comuni.it  
galleryで写真が見れます。



こちらは、「パリオ」の呼び物、競馬。
ご覧のように市壁の外、かっては堀であったろう草原を走ります。
こういった競馬は、イタリア中世の一番古い催しなんだそう。

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モンターニャナ名物の生ハム、ヴェネト・ベーリコ・ウエガネオ・
Veneto Berico Euganeoは、12~15ヶ月を熟成期間に当てる、
甘くて柔らかく、そして歯ごたえのある美味しい生ハムと、評判なのだそう。 

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他にも、この町には昔からの味が楽しめる食品、料理があり、
5月にはそのお祭りもあるそうです。



生ハム、ヴェネト・ベーリコ・エウガネオの美味しそうな写真!
横にある赤ワインと共に、秋の夜長に如何ですか?
そうそうこの辺り、ワインも有名、チーズも美味しいとか。

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ヴェネツィアからも楽に行く事ができます。  
9月のパリオの時期、または5月下旬にお出でになると、たくさん楽しみが
ある様子。 どうぞ、お出かけを!


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・ ロンガローネの悲劇 ・ ダムの出水に飲み込まれた町 

先日43回目の悲しい記念日を迎えたばかりの町、1963年10月9日の夜
山崩れによるダムの出水に飲み込まれた、ロンガローネ・Longarone
をご案内致します。

我が町コネリアーノから、北に約50キロほどの位置にあり、
今は逆に「ヴァイヨンの悲劇」で観光客が集まるロンガローネの町です。 

1963年10月9日  時刻22時39分 
銅板には、悲劇の起こった日付と時刻が刻まれています。

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ロンガローネの町から東を望むと、正面中央に細く山に挟まれたダムが
あるのがお分かりでしょう。
ENEL という、イタリアの電力会社(ほぼ国営)が造ったダムです。

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ヴァイヨン・Vaiontの渓谷を流れ下るヴァイヨン川を利用しての、
世界一高いダム、と呼ばれるものです。
       
このダムからこちら町に向かって下った所に、ピァーヴェ河が流れていますが、       
ダムの溜まった水の中に右側の山が崩れ落ち、その勢いで跳ね上がった水は
谷を下りピァーヴェ河を越え、こちら側のロンガローネの町と、
ダムの左にあった村々を、飲み込んだのです。



これが、ダムに崩れ落ちたモンテ・トックの今の様子で、写真はガイドブック
からですが、実際に私の写した写真も同様で、

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下に見える丘の様なのが、崩れ落ちてダムを埋めた土砂です。
今はこの様に、土砂にはかなりの木が生えて育っています。



これが災害前のロンガローネの村。 一番右下に少し見える白い部分が
ピァーヴェ河の河原で大変広く、村自体はかなりの高台にあります。  
平和な村だった事でしょう。

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災害直後の様子で、上の絵葉書とほぼ同じ場所からなので、
壊滅状態が一目で分ります。
      
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高い位置にあるダムから溢れた水は一気に谷を下り、ピァーヴェ河を越え、
村を飲み込んだのですね。
  
1963年10月9日、夜10時39分、
家々も、教会も、すべて飲み込まれ、押し流され、死者の数は、約2000人。  
一家全滅した数も少なくありません。



かってはこのロンガローネよりも下流にあるベッルーノからも、筏を組み、
このピァーヴェ川を下り、ヴェネツィアにまで木材を運んだ、というのが嘘のような、
水流が細く河原ばかりが広い、現在のピアーヴェです。

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ロンガローネの町からこのピアーヴェを東に渡り、ダム側の村々に行きます。 



ロンガローネの対岸の、ダム足もとの村コディッサーゴ・Codissagoという村。 

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製材所があり、修復された綺麗な家もあるのですが、かっての石造りの壁も
残っていて、写真は3月半ばのものですが、少し寂れた村の感じ。



コディッサーゴの村。 正面の家は災害の後、放置されたままなのでしょう。 
この村はまだ生きていますが、奥の村はもっと悲惨です。

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同じくコディッサーゴの村。  
「1963年10月9日通り」の標識があるこの家は放置されたままですね。

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ダムから溢れた水は対岸のロンガローネを襲っただけでなく、
ダムの足もとの村をも攫って行きましたから、死者も多かったはずです。



村はずれの家の屋根に、立派な風見鶏。 3月半ば、山々にはまだ雪が。

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ダムの建設は1957年に始まり1959年に完成、そして1960年には、
既にかなりの大きさの山崩れが。

工事が始まる前から、一帯の地盤のゆるさが指摘されていたにも拘らず着工、
そして完成後わずか4年、人災ともいえる大災害が起こりました。

この写真は6月頃。 ピァーヴェを渡ってからダムのある場所まで8キロ程あり、
しかもかなりの急坂で、ダムの右側がピァーヴェ河、ロンガローネの方角です。
ダムの上には金網が張られ、見学ができる様になっていました。

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カッソ・Cassoという村。 ダムのすぐ北の山腹、ダムからちょうど200Mの高さに。

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左に路傍のマリア像が見えますが、ダムの水がこの高さまで撥ね上がったそうで、 
山崩れによるダムの水の騒ぎが如何に大きかったかが想像できます。  
       


そしてこのカッソの村は、ダム災害では生き残ったものの、今村の半分は
ゴーストタウン化しています。

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この辺り一帯の地盤がゆるい事は指摘されていた、と書きましたが、
この村はその後の背後の山の地崩れで、半分以上の村の家々が放置され、
歩いていても気味が悪いほどゴーストタウンなのです。

家々の建物は崩壊もしておらず残っているのですが、人が住んでいない村の
うす気味悪さ。 窓の奥に人気のない気味悪さ。

この気味悪さは、ダムからの道をもう少し奥に辿った、エルト・Ertoという村では
もっともっと、酷かった!! 
 
山崩れによる水流を横から受け、家々は残っているものの、
人が住めない状態になったのか、一家全滅したのか、放置されたまま。
所々の家には住人もいるのですが、夜の薄気味悪さを想像しました。
背後の高台に新しい村が出来、新しい家が並んでいるだけに、一層悲惨で。



ロンガローネの町のかっての18世紀の教会があった場所に、
今新しいモダンな教会があり、

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中には、ピァーヴェを何十キロも流され下流で見つかったマリア像や、
崩れた鐘楼の鐘、等が、亡くなった方々の名が刻まれた壁と共にあります。
町は新しく現代的センスで造りかえられ、観光バスが、たくさんやって来ます。



帰りの汽車を待っている時、奥に見える山が夕陽を受けてバラ色になりました。  
地図で確かめると、どうやらモンテ・チッタという2191mの山のよう。 

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重苦しい気分が、少しゆるぎました。


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・ アッシジ ・ ウンブリア紀行

  
初夏に旅行雑誌「ウンブリア・緑の魂」を買い、大変素敵で
皆さんにも御紹介をと思いつつ、例によって、夏を過ぎた今になり!

「ウンブリア紀行」と題し、これから徐々にウンブリアの素晴らしさを
御紹介して行こうと思いますが、今日はその第1回「アッシジ」を。
有名すぎるほどの町ですが、美しい写真と共にお楽しみ下さい。
写真に断りのないのは、すべてこの「ウンブリア・緑の魂」から。

こちらが雑誌の表紙で、DeAgostini出版。
見えるのはアッシジのロッカ・山上の要塞ですね。 

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左上に「芸術、文化、歴史、そして伝統。忘れられないヴァカンスに」  
左下に「丘と森の間に、美しい環境と唯一の魅惑を発見する旅」。  
では、参りましょう!




13世紀、聖人がなくなってわずか2年後に建設が始まり、
たったの2年間で造り上げられたサン・フランチェスコ大聖堂。 
上下2層の教会が重なる形で、これは上の入口。
ご覧の様に素晴らしいバラ窓があり、
内部にはジォット等の有名な壁画がたくさんあります。

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こちらが本人に一番近い肖像、と言い伝えられている
チマブエ描く所の肖像画。

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背も高くなく痩身の様ですが、中に秘めた強い意思がうかがえます。
右胸と右手の掌に、彼が受けたとされる、
十字架上のキリストと同じ傷、聖痕が見えます。




教会の上院には全部で28枚の、ジォットが描いた
「サン・フランチェスコの生涯」の壁画があり、こちらは  
「フランチェスコ、衣服を父親に返す」場面。 

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中世の伝統的絵画から一歩抜け出し、空間概念と、現実的な描写に
新機軸を持ち込んだ、ルネッサンス絵画の先駆けとされます。




上院の美しいバラ窓をご覧下さい。  (絵葉書)

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建設途中で、ロマネスク様式から、上院の正面はゴシック様式に
変更されたといいますが、
素朴で、美しく。  そして実際はもっと白く。




山腹に、東西に長く広がるアッシジの町。
 
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写真は西上からで、一番手前がサン・フランチェスコ聖堂。
聖堂前から前をまっすぐにのびる通りがフランチェスコ通りで、
中程にみえる中心のコムーネ広場まで続き、 
町の一番奥にサンタ・キアーラ教会が。




5月の最初の週に毎年行われる、カレンディマッジョのお祭り。
古い異教徒の争いに結びつけた、宗教的なお祭りとの事ですが、
毎年巡り来る春を、喜びと共に迎えるお祭り、の様子。

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これは「ズバンディエラトーリ」と説明がありますから、
「旗振り」の先駆けの太鼓でしょうか?  
黒ずくめの衣装が、如何にも中世。

◆ 追記 ◆ 
これは町を2分しての太鼓隊の一つで、
衣装の濃いブルーから見て上の町の太鼓隊でしょう。




時代衣装をつけた女性たち。  
薄物の被り物が、如何にも春の訪れを感じさせます。 
煌びやかというより、やはり中世を感じさせますね。

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お祭りで、技を見せる射手。

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説明によると、このお祭りの間は町は2つに分かれ、
「パリオ・優勝旗」の獲得をかけて争うそうです。
となると当然町は、人々は盛り上がりますね。
  
歌と踊りと愛のセレナードで、巡り来る春を迎えるのだそう。


       

西のサン・フランチェスコ聖堂と向き合う形に、
町の東端にあるサンタ・キアーラ教会。 (写真はサイトから)

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如何にも清楚なイメージの、白とピンクの石の横縞のデザイン。
この教会も大変美しいバラ窓を持ち、前には広い広場が。




サン・フランチェスコ聖堂にある、シモーネ・マルティーニ描く所の
サンタ・キアーラの肖像画。 (絵葉書)
 
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ろうたけた美しさといえましょうか。
ライ患者の世話から彼女自身もライ病になったと、伝えられます。




町の東端の山側にこのドゥオモ・サン・ルフィーノがあります。

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サン・フランチェスコ聖堂は、世界中からの参拝客で溢れていますが、
こちら町のドゥオモはひっそりと静まり、
地下礼拝堂なども、ゆっくりと見学できました。




アッシジの町から4キロほど離れた山の中に、「カルチェリの庵」が。

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フランチェスコが瞑想と、祈りの場として選んだ場所で、
今も当時のままの雰囲気を伝えていると。




田舎の畑の間を、曲がりくねって続くウンブリアの道。
(写真集・フランチェスコとキアーラの土地で)

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芥子の花が赤く咲き乱れ、懐かしい想いを誘います。  
      



朝霧の中の山上の要塞 (写真集・フランチェスコとキアーラの土地で)

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アッシジの町は山腹にあり、そこからまたかなり登った所に、
14世紀の要塞の遺跡が残ります。  
       
高い場所から覗くと、暗い奥深い底の床に模様が見え、
驚いた事を覚えています。

◆ 追記 ◆
現在山上の要塞はすっかり修復され、公開されています。


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・ 葡萄摘みがそろそろ ・ スコミーゴ村、コッレウンベルト村

この10日の日曜日、すっきりと快晴になったので、
葡萄摘みが近くの畑でも始まったかと、自転車で出かけました。
  
先日、隣村コッレウンベルトまでマウスを買いに行った時、
石榴が真っ赤に熟れているのやら、刈り取った草の巻かれたのが
並んでいるのも見たので、この日は坂を下ってこちらの方へ。

葡萄摘み・ヴェンデーミアも確かに始まっている様ですが、我が家の
近くはまだ最後の仕上げで、強い秋の陽をいっぱいに浴びて。

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スコミーゴ村の葡萄畑を8月の最初にご覧いただいた時は、
まだ葡萄の粒が小さく、硬かったですが、今はご覧の通り。  
どっしりと重たげに垂れ下がり、陽を浴びて光っています。



イタリアのススキは、ご覧の通り! しっかりと太く頑丈そうで、
風情に欠けます。 箒にでもなりそうではありませんか?!
イタリアの空の蒼さと共に!

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コネリアーノからの国鉄の支線で、坂の下の国道の手前を通る 
ベッルーノに向かう線で、コルティナ・ダンペッツォに行くバスが
出る、最後の駅カラルツォまで続きます。  

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手前に見える低い山の手前にヴィットリオ・ヴェネトの町があり、
高い山との間の谷を抜けて、ベッルーノに向かいます。 
ここは古くからの山岳民族の通り道なのです。

手前の山の中腹に草原があり、高い所に建物があるのが分りますか?
あそこは、きっと牧場ですね。 
牛達が放し飼いで、自家製のバターやチーズも作っている事でしょう。 
見る度に、一度行って見たいと思います。


  
大変な快晴で逆光になり、向こうの農家が良く見えませんが、
この広いコッレウンベルト村のトウモロコシ畑をご覧下さい! 
 
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冬には、霜の降りたこの畑の上に靄が広がり、
春には、芽の出たトウモロコシの畝がはっきり見えた畑です。


 
名前が思い出せませんが、道脇に並木道を作っている樹。
幹がところどころ白くはげ、秋にはこの様に、とげとげの丸い実がつきます。 
葉の色がすでに秋の色でしょう?

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東隣の村コッレウンベルト。名前の通り小高い丘・コッレがあり、
教会とお城と(伯爵家が今も)市役所と図書館と。   
       
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ハァハァと自転車を降りて上りますが、下り坂は爽快この上ありません!



葡萄畑の間を、くねくねと続く細い道を行きます。  
広い庭の農家が幾軒かあり、用水路が通り、犬がいて、果樹がたわわ。
クサギの花もそろそろ終わりかけですが、まだ良い香りを放っています。

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ものすごい石榴でしょ?! 写真はもっとすごいのもあるのですが、
バイト数の関係で、これで最高。  この赤さ! 大きさ!
石榴の甘さに驚きます。 日本の石榴の酸っぱさとは大違い!!

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刈り取られた草は、こんな風に巻かれて畑にしばらく置かれ、
冬には牛達が食べるのでしょう。

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あちこちで、この様に置いてあるのを見るのですが、
一列に並んでいると少し面白く、広い畑の感じと共にご覧頂きたく・・。

そう、牛達はまだこのあたりに結構います。 乳牛です。
夕方など、乳絞りを要求する鳴き声が、よく聞こえてきます。



トウモロコシ畑があり、もう取り入れ寸前。

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この一帯は、トウモロコシ畑と、葡萄畑と、豆も少しありますが、
この頃はどんどん葡萄畑に。
安い安いとは聞くものの、それでも葡萄の方が実入りが良いのでしょうね。



こちらの葡萄畑ももうしっかりと熟れて。  
我がコネリアーノから北西にかけて「白ワインの道」で有名ですが、
葡萄畑を見ると、やはり白葡萄が主流のよう。

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遠くの村、東です。 カンシーリオの山が張り出し、
この張り出した山の向こう側に、フリウリの平野が。

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この様に小さな集落があちらこちらに見え、そこには必ず教会の鐘楼が。  
これはカペッラ・マッジョーレの村。



コネリアーノから、コルティナ・ダンペッツォに続く国道51号線。

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我が家から坂下のこの道まで出てバスでコネリアーノに、トゥレヴィーゾ
にも行けますし(この写真は南向き、コネリアーノ方面)
北に行くと、ヴィットリオ・ヴェネトからベッルーノに。

日曜なので車が少ないですが、平日はもうちょっと交通量が・・。
本当です! この頃はものすごく車が増えたのです、はい!! ははは。
MENARE`・メナレと見えるのが、この道筋一帯の通り名です。



国道からスコミーゴ村に向かうメナレの道脇の葡萄畑は、珍しく黒葡萄。
この葡萄畑は今で10年位ですが、すっかり葡萄の幹が太くなりました。 
そして、このたわわな事!

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奥に続く畑の様子も、写真からご想像を。 ここはかなり広い畑なのです。



見事に実っています! 
やはり葡萄摘みは始まっていて、今年の葡萄は大変出来が良いのだそう。 

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葡萄の出来も、ワインの出来予想も良い! 畑にいたご主人は上機嫌。  
私もまた、楽しみに待つ事に!! 何を? ははは。


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・ サチーレ ・ Sacile ・ ヴェネツィア共和国の庭

今日はブログ・タイトルに相応しい、小さく大変美しい、スケッチにも最適、
写真も良いのが撮れそうな町の御紹介を。

ヴェネツィアから電車で約1時間、我がコネリアーノから東へ約20キロ、
フリウリ州の入口に当るサチーレ・Sacile、
「セレニッシマ(ヴェネツィア共和国)の庭」と呼ばれる、美しい町です。

絵葉書の、手書きの地図が見つかりましたのでこれで。
赤い丸のついているサチーレ・Sacileの南西にヴェネツィアがあり、
サチーレを流れている川はリヴェンツァ川、これを辿るとアドリア海まで出ます。  
       
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東にポルデノーネ・Pordenone、そしてさらに東に行くとウーディネ・Udineで、  
サチーレとポルデノーネのちょうど3角の頂点の位置に、アヴィアーノ・Avianoが。  
ここにNATOの基地があり、ボスニア、コソボ紛争の際には最前線基地となった所。
北に広がる山々は、アルプスに繋がるカンシーリオ・Cansiglioの山々です。



サチーレの町の中心に入って、すぐ目に映るヴェネツィア風の建物と運河。

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サチーレの町の名の由来はサッコ・袋から来ているそうで、ロンゴバルゴの
主要街道の要所として、運河を張り巡らし、袋のようにした事に由来しているそうで、  
水に寄り添った美しい町です。



水辺のある所、必ずいる家鴨と鴨達。 一見長閑そうですが、見ていると
かなり戦闘的な彼ら。

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騒いでいる声を聞き見ると、首根っこを押さえつけ水に突っ込み、馬乗りになって
いたりして、そんなに喧嘩するのなら、あっちに行けば良いと思うのですが、
繰り返しながらも一緒にいます!  夫婦喧嘩みたいな物なのかも。



奥に見える橋の右側に、アーチのあるロッジャが見えますが、 (絵葉書)
サンタ・マリア・デッラ・ピエタ教会の入り口部分で、右側に見えるのが教会。 

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小さな美しい17世紀初頭に立てられた教会が、サチーレの美しさのシンボルとして、
大変愛されているもので、
川の左側の建物は、上でご覧になった様に修復され美しくなっています。
      


町中は道幅が狭く、ゴシック式アーチのポルティコが連なっている部分も多く、
ぼちぼちと古い建物郡が以前の形を保ちつつ修復され、なかなかに良い感じです。

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周囲を川が蛇行して流れる、町の中心広場・ピアッツァ・デル・ポポロ。

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左側、真ん中に張り出している建物が市役所・コムーネで、広場右側が膨らみ、
そこにカフェの椅子が並び、その間を通り抜けると先程の橋に出ます。



中心広場を突っ切り、右に曲がっていくとそこにも水辺が広がります。
これはその辺りのお家で、家のすぐ前に小舟が浮かび、ライオン君が。

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これは中心広場の裏側に当る運河で、奥に見える鐘楼はドゥオモの物。
真ん中に見える新しい橋を渡っても、広場に抜けれます。

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町の東端にある素晴らしい大きな建物、多分由緒ある建物と見ますが、
図書館になっていて、その中庭を抜けるとこの公園。 

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南側にはトラックもありますが、この一帯で13世紀から続いているという、
「小鳥の展示会」も開かれます。 何もないような公園ですが、
素朴な公園が四季折々に季節の顔を見せ、とてもよい感じです。



一番奥に見える白っぽい建物が図書館で、中庭を通り抜け、
太鼓橋を渡リ、振り返るとこの様に見えます。 

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古い建物が修復され、形は古いままに新しい息吹を吹き込まれ、
中はモダンなお店になっていたり、それがとても素敵です。

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この写真は橋の上から写していますが、この橋ポンテ・デル・オスペダーレの
両脇の風景が素晴らしいのです。



水に映る緑の影、 そして小舟。

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逆光に浮かぶ鐘楼。  春にはこの場所に柳の緑も。

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水にしだれる緑も、秋の色。

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サチーレには、よく自転車で出かけ、冬の帰り道の夕陽。

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・ フォッリーナ ・ 中世の修道院と町

ヴィットリオ・ヴェネトから西へ25キロほど行くと、
フォッリーナ・Follinaという小さな町があります。

そのまま西へ向かうとヴァルドビッアーディネに通じる道と、南へ
トゥレヴィーゾに向かう道が分岐している、古くからの交通の要所で、
ここに13世紀からのロマネスク様式の修道院があり 
今日は、その修道院と町のご案内を。

地図をどうぞ。
上中央に見えるLA BELLA というのは、この地図を拝借した
アグリトゥリズモのパンフレットの名前なので、お気になさらずに、ははは。

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そのすぐ下にFollinaが、線で囲っている所。
ヴェネツィアからの他の町も含めての位置が分りやすいので拝借ですが、
これは道路地図で、太い線は高速道路。 



サンタ・マリア修道院 (パンフレットより)
これは下側、南からの眺めで、丘に入り込む形で上(奥)に教会が、
そしてちょうど写真の中程に、修道院の美しい回楼があります。

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道から石段を上がり、一度建物を抜けた所にある美しい回楼。

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真ん中に井戸が見えますが、一つの岩を掘り抜いたものといい、
この中庭で夏に音楽祭が開かれるそうで、素晴らしい雰囲気です。



教会は内部もゴシック様式で、素晴らしい金色の祭壇画と、古い起源を
思わせる聖母子像、木製の十字架像、F・ミラーノのフレスコ画も。

南側にあるこの修道院は、シトー派の修道士がここに居を定めた
13世紀に遡り、回楼側から見える、教会庇下の壁画。 
古びた赤い色、素朴な模様が素晴らしいでしょう?

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回楼を取り巻く円柱がそれぞれの表情を持っていて、ここに見える円柱は
一本ずつの太く柄の入ったものですが、その柄も違っています。  
こういうのを見るのが、大変興味深いです。

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この円柱部分は細いのが2本ずつ組になったもの、また太い1本で、
円柱には柄はありませんが、柱頭部分をご覧下さい。
なんと楽しくなるではありませんか、それぞれが違う柱頭部分です。

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この円柱は2枚上でご覧頂いた写真の、真ん中の柱頭部分。
角に当たる部分に素朴な人面があり、真ん中に鳥がいます。

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影に当たる真ん中は鷲でしょうか、羽を広げ脚を踏ん張っています。
表側の正面には、椰子の木が葉を広げ実をたわわにつけています。



修道院の入口付近に小さな水飲み場があり、この蛇口が。
鳥の様でもあり、竜の様でもあり・・、
上の真鍮のひねり部も、いい味でしょう?

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この教会、修道院の周りにある古い家々は、石造りでどっしりと。
正面も、左手に続く建物も、大きな入口のアーチを持つ古い家々で、
通りに大変良い趣を与えています。 

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この道の右上側に教会入り口が。



これは上の家並びの軒下に見えたもので、
1758年4月28日、すでに250年近く経った事になりますね。

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教会の北側の道を少し西に行くと、泉が湧き出ている場所があります。
かってはこの水を使っての製糸工場があったようで、今は無人の
大きな建物が残ります。 (再利用のプランはある様子)

その湧き水が、こうして家の下を潜り抜け、町の中を流れていきます。

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私はつい書き慣れている様に「フォッリーナの町」と書いていますが、
実際は町というより、十字路になった通りの両側にお店が少し続く、
といった趣なのです。 が、どうやら奥は深そうです。
というのもこの建物の壁をご覧下さい。
 
この様にフレスコ画で飾られた建物もあり、洒落たホテルもあり、
バールではなく「喫茶店」と言いたいような古い店もあり、
周囲には「白ワインの道」に当る、葡萄畑の丘が広がります。

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先ほどの湧き水の流れは結構な水量があり、通りの少し先の方では
こんな風に鴨達が遊んでいます。 
写真の中だけでも15,6羽見えますが、この周囲にももっといます!

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そしてすぐ横に家々が続き、そこで見かけた大きなデブ猫ちゃん達
すでに「イタ猫」でご紹介したことがあります。 
       
この様に何もかもが混存しているイタリアの小さな田舎町、 
お出かけくださ~い!


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